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2019_01
15
(Tue)22:00

地元の山で寒中トレッキング




私の住む町は

北側の山、南側の海に挟まれた

東西に細長く、温暖な所です。


先日、幼馴染のマサチャンから

地元のお寺の住職さんが

近くの山を案内して下さると聞き

早速申し込みました。







今月の10日。とても寒い日でした。

集合場所は、原田水源池

小学校の北側にあって、

子供の頃は、お花見や写生会などをした

とても懐かしい場所です。








水源池を左に見ながら

8時に出発~~~☆彡








通り道に生い茂っていたカヤを

前もって住職さん親子が刈り取り

歩きやすくして下さっていました。








参加人数は、

住職さん親子を入れて

総勢12人です。








山の神様に道中の安全を祈願して

みんなで般若心経をあげました。








木々の間から水源池が見えます♪








急な坂は、用意してくださっていた

ロープを頼りに上がって行きます。








水防ダムが見えてきました。








坂を下って・・・








水防ダムの中へ・・・

大雨が降ると、

ここにお水が溜まるんですよね。








ダムを横切って

山道を歩いて行きます♪








勿論、住職さんの案内付きですが、

山の中を探検しているようで

とても楽しいです(*^-^*)








黄色の矢印の先に

もう一つの水防ダムが見えるのだけど

分かりますか?








石がゴロゴロ

足元をすくわれない様

気をつけながら歩いて行きます。








蔓をかき分けかき分け・・・








落ち葉の絨毯を踏みしめて・・・








お正月飾りに使う

ウラジロの群生地にきました。

「立派なウラジロだけど、

ここまでは採りに来るのは大変ね」








向こうの方に高速道路が見えてきました。

そこが折り返し地点です。








ため池

淡路島には23000ヶ所のため池があって

全国のため池の数の1割が

淡路島に密集しているのだそうですよ。








後少しで折り返し地点です。








平たんな畑に出てきました。








金網の向こうには高速道路








同じ道を引き返し、

途中左に曲がって

尾根伝いに岡尾山へ・・・

そこに止めて置いてくださっていた

車3台に別れて乗車。

出発点まで戻って行きました。



有名な山ではなく、

こういった地元の

名もない山のトレッキングも又楽し♪

次の企画が出来たら

又是非参加させて頂きたいので、

どうぞヨロシクとお願いして

お別れしました。








途中、ビューポイントから見た我が街

曇り空なのがちょっと残念ですが。









トレッキングは4時間かかる予定だったらしいのですが、

順調に行ったので11時半解散!

夫と二人でワカバカフェでランチしました。





オムライスセット








食後のコーヒー


運動の後のお食事とコーヒーは、

とても美味しかったです(*^-^*)






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2019_01
06
(Sun)22:58

続・西宮時代の友人と飛騨方面への旅





穏やかで暖かい新年でしたね。

ご挨拶が遅くなりましたが、

本年もよろしくお願いします。



4日に次女一家、5日に長女が帰って

今日から又ふたりだけの生活に戻りました。

ちょっと気が抜けて、

ボ~っとしている間に一日が過ぎてしまいました(苦笑)









一月一日には

今年も恒例の獅子舞いがやって来ました♪

家の前で記念写真を撮るのも

恒例になっています(*^-^*)










では、前回の旅日記の続きです。




朝の穂高荘 山のホテル

素晴らしいお天気です(^^)v








この日は12月25日

クリスマスの日でした♪

クリスマスの朝を家以外の所で迎えるのは

多分初めてだったのではないかしら?








ホテルの入り口横には

水車小屋のある庭があります。

ここから観光バスに乗って

新穂高ロープウェイ乗り場へ・・・










 

第2ロープウェイの・しらかば平駅

二階建てロープウェイが来るのを待っている時、

あまりにも雪山と青空の対比が美しかったのでパチリ!








山頂駅に到着!

この画像では分かりにくいのですが、

気温はマイナス8℃








西穂高岳(?)

この山の向こうには

上高地があるのかな?








笠ヶ岳

好天気に恵まれて

360℃の視界が開け、

雪山が綺麗に見えます♪








大好きな白銀の世界です(*^-^*)








焼岳







向こうの方には雲海が見えます。








槍ヶ岳







槍ヶ岳

山頂に雪がないのは、

傾斜が急だから???








雪山の素晴らしい眺めを満喫した後

笠ヶ岳を眺めながら

ロープウェイで降りて行きます。








2階建てのロープウェイ

対向車がやって来ます。












自由昼食だったので、

飛騨牛ステーキ定食をオーダーしたのですが・・・












飛騨大鍾乳洞へ・・・








今までに、いろんな鍾乳洞へ行ったのですが、

飛騨の鍾乳洞は知りませんでした。








日本に約800ヶ所もあるという

観光鍾乳洞の中で、

日本一の標高900mに位置しています。








LEDライトが幻想的な空間をかもし出しています。








こちらには

「ローマの遺跡」という標識がありました。








幸福の滝







月の世界








子宝神社

「70代の私たちには、もう関係ないわよね」

な~んて言いながら、

一応お参りをしておきました(*^-^*)








鍾乳洞を出て駐車場へと続く通路の窓から

素晴らしい氷の風景を発見!








氷の渓谷なのだそうです。








七福神の石像








日本一宿儺鍋(すくななべ)

丹生川町で行われる宿儺まつりで使用された

日本一大きい鉄製の鍋(直径6.1m)







この後、特急ひだ→新幹線に乗り、

三宮から高速バスに乗って、

10時半ころ帰宅しました。


「お客様満足度95%」という触れ込みのツアーでしたが、

期待外れだったのは夜のお弁当だけ。

後は大満足の二日間でした(*^-^*)



***** おしまい *****










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2018_12
28
(Fri)19:00

西宮時代の友人と飛騨方面への旅




今年も押し迫ってきました。

世間では、明日からお正月休み。

来月の6日までの長い連休が始まります。

我が家は連休とは無縁ですが、

長女が明日から帰淡との事なので、

久しぶりに、ちょっぴり賑やかになります(*^-^*)







西宮時代、英会話でご一緒していた友人Uさんから

一泊旅行のお誘いがありました。

二つ返事で「行く~!」

クリスマスイヴ~クリスマスにかけての旅行になりました。



行き先は・・・

多分、飛騨方面と言えばいいのかしら?

新大阪から名古屋まで新幹線に乗り

特急ひだに乗り換えて高山駅で下車。

そこから観光バスに乗っての観光です。










飛騨民俗村 飛騨の里




五阿弥池(ごあみいけ)


飛騨の里は、

時代の流れとともに失われていく

古い民家や生活用具。

それらを後世に伝えるために

昭和46年に開村されました。






 クリック! 飛騨の里の詳しい説明 


頂いた地図を片手に

のんびりと村内を回ります♪








六地蔵(1740年頃の建立)

現生と冥途の境に建ち

人々を守ってくださる地蔵菩薩です。








旧新井家住宅

江戸時代後期に建てられた

代表的榑葺き民家。








旧中薮家住宅

軒が低く、榑葺(くれぶき)石置屋根は

飛騨地方中央部特有。








家の内部








旧若山家住宅

荘河造りと言われる入母屋作りから

白川村の合掌造りに移行する構造が見られる

唯一の建物。

かっては、飛騨北部の豪雪地帯にたっていました。








住宅の説明の記録はこの辺までにして、

この後、趣きのある建物を楽しみながら

ゆっくりと歩いて行きました。









空は青空。

気持ちのいいお天気です。








柿の実が鈴なりです♪

収穫する人がいないのかしら・・・

柿が大好きな私には、

ちょっと気になります(苦笑)








苔の生えた茅葺屋根。

素敵です~~~☆彡








旧富田家住宅

外壁には・・・








建物のまわりの荷車や車輪は

富田家ゆかりのものではなく、

飛騨各地で使われてきた車輪を集めたもの。








北側の屋根には雪が残っています。

苔の緑と白い雪の対比が素敵!










飛騨高山




伝統的建造物群保存地区 高山市上三之町界隈

ここも例にもれず、外国人がいっぱい!

あまりにも人が多すぎて

写真はこれしか撮れませんでした。








船坂酒造店の杉玉

江戸時代創業の200年以上の歴史を誇る老舗日本酒蔵元

緑色の杉玉は、

新酒が出来たことを表しています。









添乗員さんに頂いた

高山食べ歩きブック内のクーポン

ここで甘酒を頂きました。

他に、陣屋だんご店でみたらしだんご2本

本陣平野屋売店で、

朴葉味噌(朴葉2枚&味噌2袋入り)を頂きましたが、

写真はありません(^-^;



飛騨高山に来たのは、3回目。

今回は、クーポンでGETできる品物探しで

自由時間が終わってしまいましたが、

それも結構楽しかったです(^^)v







ホテルでも夕食で~す♪







翌日は、新穂高ロープウェイで

西穂高口から雪山を楽しみ、

その後、飛騨大鍾乳洞で、

自然が作り上げた造形を楽しんできました。







穂高荘 山のホテル










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2018_12
22
(Sat)19:40

インスタグラマーと行く!神子畑選鉱場跡と口銀町並み散策




神戸新聞社のバスツアーに

「インスタグラマーと行く!神子畑選鉱場跡と口銀町並み散策」

というのを見つけました。

1年くらい前に、神戸新聞旅行社のバスツアーに参加した時

神子畑選鉱場跡の前を通って以来、

一度訪れてみたいと思っていたので、

早速申し込みました。

「インスタグラマーと行く」というのにも

ちょっと興味があります。

インスタ映えがする写真の撮り方を教えてもらえるかもと。







今回のツアーの趣旨は

明治・大正時代に播磨と但馬を結んだ産業道路「銀の馬車道」を辿り

昔の産業に触れること。








「銀の馬車道」の発着点だった姫路市飾磨区の赤れんが壁

飾磨津(姫路市)と生野鉱山(朝来市)をつなぐ日本初の高速産業道路で

1876年に完成し、約40年間鉱石の運搬などに使われたそうです。








赤れんが壁は、馬車道で運んだ鉱石などを

船から積み降ろす前後に集積した物を置いた跡地に当たる場所に立地。

明治20年代後半から30年代前半に造られたとみられ、

県は「明治の雰囲気を伝える象徴的な存在」として保存を決定しました。








飾磨港から集積場まで船で運んでいた運河










いよいよ神子畑(みこばた)へ・・・




神子畑鋳鉄橋 (みこばたちゅうてっきょう)

パリのエッフェル塔を作ったエッフェルの設計だそうです。

神子畑鉱山で採鉱された鉱石を、

生野の精錬所へ運ぶために作られた「鉱石の道」

この時に架けられた5本の鋳鉄橋のひとつで、

国の重要文化財に指定されています。

明治18年の架設で、日本最古の鋳鉄橋。








神子畑選鉱場

現在は鉄筋コンクリートの基礎構造物だけが残っています。








選鉱場の上下を結んでいたインクラインの跡

写し方が下手だったので、

いまいちレールの傾斜が出ていません(^-^;

ひとつ上の画像を参考にして下さいね。

結構急な傾斜になっています。









インクラインで運ばれてきた台車を

方向転換させていた所。








1円電車

鉱石を運ぶために作られたのですが、

人用のも運行されていて、乗客数を把握するため、

運賃を一人一円にしていたことから

そう呼ばれていました。








ムーセの元住居

ムーセは、生野鉱山開発に貢献したフランス人技師








郷土記念物 神子畑のサルスベリ








選鉱の最終工程の脱水や濃縮が行われていた

ろ過装置

直径30mのものは、百尺シックナーと呼ばれていました。








頂いたパンフの一部をスキャンしたものですが、

上から見ると、規模がよく分かります。







 クリック! 拡大画像 

やはり、パンフの一部のスキャンですが、

詳しい地図を見ると、

全体がよく分かると思います。



神子畑選鉱場跡(←クリック!)









生野町口銀谷へ・・・




昼食は、芒種 (ボウシュ) で。

古民家カフェです。








前菜とご飯が出てきて・・・








次は、まな板の様な板に

不思議な感じのものが乗っています。








これって何???

そう思っていると、海苔が出てきて

手巻き寿司なのだそうです。

楽しい趣向で、ちょっと真似たいとも思いました(*^-^*)








雑貨屋さんも併設されていて

随所に素敵なフラワーアレンジメントも・・・








もうひとつ・・・








紅葉の落ち葉が

そろそろ秋の終わりを告げています。








ランチを終えて、

ボランティアガイドさんと歩いている時

風情のある小屋を発見!








蔦が紅葉しています♪








生野書院

材木商の邸宅(大正時代)を改築したもの。

今は資料館になっています。








生野橋 欄干 親柱


銀の馬車道で一番の難工事だったのが

市川下流に橋を架けることでした。

でき上がったその橋は、

生野から遠く離れているのにも関わらず

「生野橋」と名づけられました。

その二代目の親柱がここに移設され、保存されています。








旧生野警察署(元一区公民館)

明治19年、地元の大工が

異人館をまねて建てたのだそうです。








教徳寺

塀や石段の両サイドにカラミ石が使われています。


カラミ石とは

江戸から大正時代にかけて

生野鉱山で精錬された鉱石の残りカスの塊を成型して

屋敷の土台や側溝、塀などに利用していました。

とても重いものなんだそうです。








旧生野銀山職員宿舎

大正、明治社旗、昭和中期、明治後と

4棟の建物が保存展示されています。

生野銀山の上級菅史用官舎でした。








三菱マークがあります。

生野銀山は、国の管轄から皇室財産に。

後に三菱に払い下げられたのだそうです。








屋根にも三菱マークが。

昭和48年に閉山になりました。








昭和中期の官舎の中。

懐かしいものが沢山あります(*^-^*)

我が家にもあった左側の冷蔵庫は、

お客様があるときしか氷が入りませんでした。








東日本大震災支援の為の薔薇 絆








そうだったんですね。

生野とご縁があったのね。








この日は、12月1日。

未だ紅葉が残っています(*^-^*)








生野クラブ

明治19年、大山師の松本林右衛門の邸宅として建てられ

有栖川宮熾仁親王が宿泊された部屋も現存。

昭和31年に三菱が買い上げ

企業の保養施設・迎賓館として活用するようになり、

現在は㈱SUMCOが管理し、

「生野クラブ」の名称で職員に利用されているそうです。








屋根下と軒先には

防災や家屋の格式をあげるための

卯建(うだつ)があります。








会所

下の新しい木で出来た蓋をを開けると、

山水の排水管があります。








口銀谷銀山町ミュージアムセンアー

生野を代表する2軒の旧家、旧浅田邸と旧吉川邸があり、

こちらは、旧吉川邸

屋根には生野瓦が葺かれています。








そして、こちらが旧浅田邸















庭にある井戸には

カラミ石が使われています。








庭から見えたトロッコ道

大正9年、市川沿いに

鉱石輸送の為の電車専用道が建設され、

昭和30年まで使われていました。








生野まちづくり工房 井筒屋

生野の町家の伝統を色濃く残しています。

江戸時代、生野銀山では、

一般の旅人の宿泊はご法度でした。

ここは、公用で代官所をを訪れた人の為の御宿だった所。








姫宮橋から見た市川とトロッコ道

所々壁に穴が開いているのは、

川の水の勢いを和らげる為なんだそうです。








反対側はこんな感じ。

トロッコ道の向こうに見える建物は

先ほど行ったまちづくり工房








水路橋

トロッコ道から撮った写真。

ボランティアガイドさんの案内で、

トロッコ道を歩きました♪








旧海埼病院

明治20年頃の建物。

当時の面影を残す貴重な建物だそうです。







この他にも沢山の写真を撮りましたが、

長くなってしまったので、

この辺でお終いにします。



「インスタグラマーと行く」・・・

確かに、インスタグラマーだという若い女性が随行していました。

けれども、みんなと一緒に写真を撮りながら観光していただけ。

一体、何の為に付いてきたのか、

少々疑問に思ったものでした(苦笑)






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2018_12
20
(Thu)21:00

福良学教室の遠足(管外視察研修)~淡路の維新150年



マタマタ久しぶりのブログです。

旅行記の事を記録に残さなければと思うのですが、

やはり12月・・・

雑用がいっぱいあって、中々PCに向かう事が出来ません(涙)

そんな中で、先日から少しずつ画像処理をして

記事を書き加えていたいた分を更新しますね。







平成23年~27年の5年間、

「瀬戸の潮みず交流広場」事業の一環として

福良学教室があって、

郷土のいろんな事を学んできました。

教室は、もう終了してしまいましたが、

以来、年に一回の遠足(管外視察研修)は

今も続いています。



  今回は「淡路の維新150年」に思いを馳せ、幕末から明

治初期に至る激動の時代を、淡路の先人たちがいかに考え、

いかに行動し、いかに時代を乗り越えたのかを知り、その考

えや行動及び遺構・遺物などに触れて学び、私たちの生まれ

育った淡路への愛着と誇りを育むものとする。


<↑旅の栞内の視察研修の趣旨・目的より>












公民館からチャーターしたバスに乗り

最初に訪れたのが 洲本厳島神社

そこで・・・








斎館2階で、宮司の浦上雅史氏から

「庚午事変と城下町洲本」についての講演がありました。


「庚午事変」は、明治3年に

当時の徳島藩淡路洲本城下町で

洲本在住の蜂須賀家臣の武士たちが

筆頭家老・稲田邦植の別邸や学問所を襲った事件。

「稲田騒動」とも呼ばれているいます。








益習館

稲田氏の別邸と私学問所のあった所です。

ここでは、文武両道を教えていました。

※ここも襲撃を受けました。








益習館庭園


徳川幕府が崩壊し、武士による支配が終わり

天皇を中心とした新政府が誕生。








益習館庭園


庚午事件は、武士という身分が否定され、

武士が武士で無くなるこの時期に起こった

悲劇的な大事件でした。








益習館庭園


稲田氏と蜂須賀氏は、秀吉の時代に

共に戦った兄弟分の様な仲でした。

秀吉が蜂須賀氏を播州滝野の城主にした時、

稲田氏には河内2万石を与えようとしましたが

稲田氏は、それを断り、

蜂須賀氏の筆頭家老に留まりました。








益習館庭園

そして、四国攻めの後、

蜂須賀氏は阿波徳島の城主となり、

稲田氏は、脇城代として1万石を拝領。

さらに、大阪の陣の後、

蜂須賀氏は、淡路を加増され25万7千石の大名になり、

稲田氏も、阿波と淡路に1万4千5百石の知行地をもらい

洲本城代や淡路仕置に任ぜられ、3千人もの家臣を抱えて、

大名並みの地位と経済力を有していました。








益習館庭園

大名や武士の身分が廃止された時、

大名は貴族、武士は士族になりましたが、

稲田氏は、蜂須賀の家老だったので士族。

稲田氏の家臣は、家臣の家臣になるので、

卒族扱いになり、極小になった禄高に

経済的な不安が出てきました。








稲田家菩提寺 江国寺


又、

稲田氏は、公卿と姻戚関係があったので、

幕末の勤皇運動にかかわりましたが、

蜂須賀家は、徳川家と姻戚関係があったので、

徳川方につきました。








稲田家歴代のお墓が並んでいます。


先日終わったNHK大河ドラマの西郷どんもそうでしたが、

勤皇方について戦ったのに、

何の恩賞もなく、身分迄剥奪されてしまい、

生活の手段が無くなってしまった稲田氏の家臣たち。

稲田藩として分藩独立しようとしたことが、

稲田騒動の直接的な原因でした。








招魂碑


事件を起こした徳島藩士は切腹。

稲田氏と家臣には北海道の静内に

移住開拓命令が出されました。


この事は、船山馨の小説・お登勢

吉永小百合主演映画・北の零年

詳しく描かれています。

ホントに、何度考えても理不尽な事でした(涙)












バスで洲本城跡へ移動

この日は雨の予報でしたが、

何とか雨に合わないで済みそうです。








穴太積みの石垣

洲本城跡には、立派な石垣が

今も沢山残っています。








三熊山に初めて城が築かれたのは

室町時代の後期。

紀州熊野水軍出身の安宅(あたぎ)氏が

土塁や柵などで作った土の城でした。








ここは、随分前から崩れたままですが、

技術面や予算面から

中々直すようにはならないようです。








本丸大石段








本丸虎口








今年は、紅葉狩りの機会がありませんでしたが

こちらで、少し楽しむ事が出来ました(*^-^*)








武者走台








山茶花








本丸天守台

昭和3年に、御大典(昭和天皇の即位式)を記念して、

鉄筋コンクリート製で築造されたもので、

模擬天守としては日本最古のものだそうです。








ピンクと白の山茶花








大浜海岸と洲本市街地








晴れていなかったので、ぼんやりとしか写っていませんが

矢印の先にあるのは

淡路富士と言われる千山です。








模擬天守閣にお別れして








本丸搦手虎口

次の目的にに向かいました。









昼食は洲本市の竹一

お弁当を頂きました。

HPで見てみましたら1000円。

お値段の割には美味しかったです(*^-^*)









徳島藩 松帆台場跡

幕末のペリーの黒船来航の翌年、 

大阪湾にロシアのプチャーチンが軍艦ディアナ号で来航し、

開国を要求する事件が起事りました。


これを機に、幕府は、

大阪湾入り口を防御するため

明石海峡と紀淡海峡に台場を築くことにしました。


その頃、徳島藩に属していた淡路島は、

藩の命を受けて岩屋、洲本、由良に台場を作りましたが

中でも明石海峡を守る岩屋の松帆台場と

紀淡海峡を守る由良の高崎台場は特に大きく

淡路島では最大の台場となりました。








火薬庫跡








明石海峡大橋が見える台場跡

今はもう、名残りの建物や大砲は何も残っていませんが、

明石海峡が一望できる

絶好の立地だったことが想像できます。


現在は、神戸製鋼の保養所の私有地なので、

許可なく勝手に入る事が出来ません。








来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに

焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ


有名な藤原定家の歌碑もたっています。








松帆湊

陸からの砲撃が届かない海上に発進させる

御備船(バッテラー)と呼ばれる小型船を

停泊させる基地として作られた港。

台場の背後の海上からは見えない所にあります。



ちなみに、この台場も由良の台場も

使われることが無かったそうです。










ウェルネス パーク五色



ビオラが見事です♪

歴史のお勉強に来たのですが、

お花を見ると、ついカメラを向けてしまいます。








菜の花ホール(高田屋顕彰館・歴史文学資料館)

淡路島で1番有名な歴史上の人物と言えば

司馬遼太郎氏の小説『菜の花の沖』にも出てくる

高田屋嘉兵衛です。

ここでは、彼のいろんな業績についてお勉強ができます。








日露友好の像

この像の意味は・・・








嘉兵衛が持っていた 北前船(模型 10分の1)

『買積みの北国廻船』の代表的なものです。

買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく

、航行する船主自体が商品を買い、

それを売買することでも利益を上げる運送業です。

単に運送を引き受けるだけでなく、

船主自身が、承認・問屋機能も持ち合わせていました。







菱垣廻船(模型 10分の1)

紀州から江戸へ運航していました。








樽廻船(模型 10分の1)

こちらは、お酒類を運んでいたようです。

この2つの船も歴史で習いましたよね。








廻船問屋として海運業に乗り出した嘉兵衛は、

幕府の要請を受けて

クナシリ、エトロフへの航路を開拓しました。


その頃、通商交渉のもつれに端を発した日露双方の誤解から

ロシア船のゴローニン艦長が幕府警備隊に捕らえられます。

副館長リコルドは、艦長の消息を聞き出そうと、

偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、

カムチャッカへ連行抑留します。


囚われの嘉兵衛とリコルドは同じ部屋で寝起きし、

信頼関係を築きました。

そして、遂にゴローニン釈放にこぎつけ、

嘉兵衛も無事釈放されたという事です。








カムチャッカにおける嘉兵衛とリコルド

あわや戦争!と危惧された事件でしたが、

嘉兵衛は、大国ロシアとの紛争を解決し、

日本を救ったのです。







今回は、厳島神社宮司の浦上氏が、庚午事変について

淡路文化資料館 館長の登角田氏が、稲田家墓所・江国寺と洲本城跡

淡路市教育委員会の新田氏が、松帆台場跡

そして、菜の花ホール学芸員の斎藤氏が、

嘉兵衛について説明してくださいました。

将に管外視察研修で、

実りの多いバスツアーでした。

お世話になった係りの人たち、

本当にありがとうございました。







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