2015_03
19
(Thu)19:00

教科書でもう1度学ぶ日本史 江戸時代後期




最近、雨の日が多いですね。

そういえば、「なたね梅雨」という言葉があります。

将にそれなんでしょうね。



昨日(3/18)は、 日本史シリーズの最終回 でした。

飛鳥時代から始まってから14回目の今回は、

江戸時代の後期のお勉強です。



最初に行ったのは、 角屋(すみや)もてなしの文化美術館






京島原の花街(かがい)にある角屋(すみや)は、

揚屋 と呼ばれ、現在の料亭のような所で、

文化人のサロンでもあrました。


この建物は、江戸期の饗宴・もてなしの文化の場である

揚屋建築の唯一の遺構 として、

昭和27年(1952)に 国の重要文化財 に指定されました。


画像の赤い暖簾がかかっている所が本来の入口ですが、








現在は、こちらから入ります。








入口の横には、こんな標識が・・・

何か、新選組と関係があるようですね。








台 所

広さが50畳もある素朴な民家風の建築です。

天井から下がっている照明具は「八方(はっぽう)」といい

灯心を種油に浸して明かりを取っていました。








帳 場

ツケ払いで、お盆と暮の2回払いだったそうです。








とても立派な大黒柱が、建物を支えています。








ズラッと並んだカマド








商家にあるような 箱階段








幕末に西郷隆盛 が角屋を訪れた時に使用した盥

昭和20年、戦況の悪化に伴い空襲の延焼防止の為に

角屋も取り壊しの対象になっていましたが、

この盥が西郷隆盛が使った遺構ということで、解体を免れたとのこと。

角屋の危機を救ったのは、まさしくこの盥なのです。








中戸口

台所に入る、家用の入口

右手前の樹木・槐(えんじゅ)・は、

出世や金運に加えて、延寿の字をあて長寿の縁起を担ぎます。








新選組の刀傷

修復されていますね。








よく伸びる蔓(つる)と蔦(つた)を配し商売繁盛を願った

家紋「蔓三つ蔦(つるみつつた)」を染めた暖簾


この後、2階のお座敷を見学しましたが、

重要文化財の為撮影禁止。


おもてなしの心がいっぱいのお座敷は、

素晴らしい細工が施されていて、

お寺や寺院、お城などとはまた違った、

町民文化の素晴らしさを堪能しました。


この頃になると、将軍の力が衰えてきて、

町民が力を付け始めていたのです。








一階奥座敷の松の間だけは、

火事で焼失して立て直したため、文化財の指定がなく

撮影する事ができました。








お庭に臥龍松(がりょうしょう)という松があるので、

この名(松の間)がついたそうです。



文政元年、頼山陽が実母を角屋南隣の「八文字屋」に案内して

宴席でもてなし親孝行の場に供されました。

また、幕末になると、

勤皇派の久坂玄瑞、西郷隆盛、坂本竜馬 などの密議にも使われましたし、

新選組の出入りもありましたが、

池田屋事件のようなことは起こらなかったそうです。


でも、この松の間の床柱にも、新選組の刀傷がありましたが、

一体どうして???と思いませんか?

実は、新選組の隊員たちは、沢山のツケを溜めこんでいたので、

新選組の上部から角屋の方に、

ツケにしないようにとの書状が届き、

それを理由に断ったら、怒って刀を振り回したのだそうです。


今は、その事件が角屋の名物になっているとは、

何とも言えず皮肉です(苦笑)








角屋を出ると、お向かいの家の鮮やかな黄色が目に飛び込んできました。

鬱陶しい曇り空の下、

ビタミンカラーの黄色が、気持ちまで明るくしてくれました^^








輪違屋

太夫や芸妓を抱えていた由緒ある 置屋








島原の花街への入口

江戸の吉原では、遊女を閉じ込めておくため、

厳しい検問のある入口がひとつあるだけでしたが、

島原では、比較的自由に出入りが出来ていたそうです。







世界遺産 元離宮 
二条城



徳川家康が征夷大将軍に宣下された時、

また、徳川家による政治に終わりを告げる時もまた、

二条城で行われました。

江戸時代の幕開けと終焉を見届けたお城なんです。








二条城の地図

画像は、二条城のHPから拝借





先ずは 二の丸御殿(国宝)





唐 門








二の丸御殿 「車寄」 

御殿の内部が撮影禁止なので、興味のある方は

こちらの パノラマウォーク で。

先日行ってきた名古屋城の出来立ての本丸とは違い、

年月を経て重みの増した素晴らしい内装でした。

上のパノラマウォークで見るほど金ぴかではありませんよ。








二の丸庭園

大広間、黒書院、行幸御殿など、

三方向から庭を観賞できるように作庭されています。








本丸櫓門

以前は、櫓門の2階を通る二の丸から本丸への渡廊下が続いていました。


第3代将軍家光の時に

後水尾天皇の行幸(ぎょうこう)を迎えるための二条城の大改修を行い、

土地を歩かないで本丸まで行けるようにしたのですが、

今はありません。








本丸御殿



家光の時に建てられた創建当時の本丸御殿は、

二の丸御殿にほぼ匹敵する規模をもっていて、

内部は狩野派の障壁画で飾られていましたが、

天明8年(1788年)には市中の大火のため焼失。


現在の本丸御殿は、

京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を

明治26年~27年にかけて本丸内に移築したもの。

内部は、解放されていませんでした。








天守閣跡

本丸には五層の天守閣がそびえていましたが、

寛延3年(1750年)落雷のため焼失しました。








西北土蔵(国の重要文化財)

桃山時代末の1602年~16033年)に造られ、

1625年~1626年の改修で現在の姿になった米蔵です。








内堀 と向こうの方に 西橋








桃の花かしら?

お天気がイマイチなので、綺麗に映っていませんが・・・








北中仕切門

本丸側から・・・








北中仕切門

二の丸側からは、屋根が二重になっていて、

本丸方面へは攻めにくくなっています。








向こうに 本丸櫓門 が見えます。

以前のように、 渡廊下を復元 しようとの計画があるそうです。








桜の花のようですが・・・

一輪一輪がとても可愛いお花です♪


「寒緋桜」 だそうです。

ROUGEさん に教えて頂きました。

ROUGEさん 、ありがとうございました♪







北大手門

現在は、中で働く人たちの通用門になっているそうです。








やっぱりお花にカメラを向けてしまいます(苦笑)







この日の京都の最高気温は、22.7℃

汗ばむような陽気でしたが、

なんとか雨に合わずにすみました(^^)v


2013年5月から始まった日本史シリーズも

江戸時代後期をお勉強した今回でお終い。

寂しくなりました(涙)


少しは、歴史が分かるようになったのかしら???(滝汗)





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2015_02
11
(Wed)21:03

教科書でもう1度学ぶ日本史 江戸時代前期




先週の土曜日(7日)に名古屋まで、

何と 日帰りのバスツアー で行ってきたんですよ。



日本史シリーズの13回目は、名古屋まで行くとは聞いていたのだけど、

まさか、日帰りだとは(滝汗)

少し躊躇しましたけれど、今まで全回出席の皆勤賞!

後2回を残すだけとなった今となっては、

お休みする訳にはいきません。

頑張って行ってきました^^







徳島方面からやって来たバスに、

最寄りのバスターミナルで乗車したのが8時5分。

それから、途中2回のトイレ休憩をしながら、

名古屋に到着したのが12時前。

昼食のお弁当は、それまでに車中で頂いておきました。



名古屋駅では、何度か乗り換えたことがあるのですが、

名古屋の土地に立ったのは初めて。

近いようで遠い所でした。







先ずは、 徳川美術館 へ・・・




黒 門

明治33年(1900年)に完成した尾張徳川家の邸宅の遺構で、

総けやき造りの三間薬医門です。



この門の向こうに見えるのは・・・








徳川美術館


徳川家康の遺品を中心に、

初代義直(家康九男)以下代々の遺愛品、

いわゆる「大名道具」1万件余りを収める美術館です。


詳しくは、 こちら をどうぞ。

もう、素晴らしいの一言♪








特別展では、

尾張徳川家の雛祭り が開催されていました。








御殿雛飾り








雛道具


一つ一つに三つ葉葵の家紋が入っている実際の婚礼調度のミニチュアで、

その繊細な美しさには目を奪われます。






 クリック!拡大画像


尾張徳川家三世代の夫人たちの大雛壇飾り



日本史シリーズの講師の山崎先生は、

雛飾りの特別展の為に、

何時もは常設されている素晴らしい展示品の一部が、

今日は見て貰えないので残念だと言われていましたが、

私は、豪華なお雛様が見られてラッキーでした^^







名古屋城

関ヶ原の合戦で勝利した徳川家康は、

大阪の豊臣方への備えとして、

清州城から尾張に街ごと引っ越しました。



築城にあたって家康は、

加藤清正、福島正則等の西国大名20家に

普請を命じました。(天下普請)

以降名古屋城は、御三家筆頭・尾張徳川家の居城 として栄えたのです。



名古屋城は、 平城(ひらじろ) で、

岡山城、広島城と共に三大平城のひとつです。








正 門

明治43年に旧江戸城内の蓮池御門が移築されましたが、

第2次世界大戦により焼失したため、

昭和34年、天守閣と共に再建されました。


※名古屋城は第二次世界大戦での空襲で、

殆ど全てを消失してしまったそうです。









名古屋城のカヤ

樹齢600年以上経つ天然記念物。

初代尾張藩主。徳川義直が大坂の陣に出る際、

その実を食べたと伝えられています。








天守閣 が見えてきました♪








西南隅櫓(重要文化財)


未申櫓ともいわれ、南両面には、

軍事用の「石落し」を張り出して屋根を付けています。








濃尾大地震で石垣と共に崩壊しましたが、

宮内省によって修理復旧され、

鬼瓦などに菊花紋 が見られます








東南隅櫓(重要文化財)


辰巳櫓ともいわれ、

その規模、構造は西南隅櫓と同じですが

「落狭間」の破風の形を異にしています。









この櫓は創建当時の姿を伝えるもので、

鬼瓦などに葵の紋が見られます。







大手馬出(うまだし)東側の堀

城の戦闘用出入口の外側に

石垣を築いて防御力を高めています。








侵入軍が、馬出、櫓からの攻撃を潜り抜け、

入口の狭い表山之門から入れたと思うと、

この袋小路の様なところで、

前後左右からの攻撃を受けます。


名古屋城は、もの凄く守りに強いお城として設計されているのです。








清正石

名古屋城で最大の石垣石材

この石垣は、黒田長政の担当 でしたが、

巨石だった為、

加藤清正が積み上げたと伝えられているのだとか。








新しく復元中の 本丸御殿・玄関








玄関・一之間








表書院・上段之間








表書院・一之間

障壁画の一部を拡大してみました。


江戸時代の初期は、未だ安土桃山文化が残っているので、

流石絢爛豪華です。


本丸御殿も内部は こちらで360℃のパノラマ で見られますよ。

興味のある方は、をクリックしてみてくださいね。



復元建設中の本丸御殿の完成は、

2018年 だとか・・・

本丸御殿については、江戸時代の文献のほか、

多くの写真、実測図が残されているので、

在りし日の姿を忠実に蘇らせることが可能だそうです。



後3年・・・

見に行ける体力が残っているといいのですが(滝汗)

きっと、素晴らしい御殿が完成する事でしょう。








天守閣

現在の天守閣は、鉄筋コンクリート製なので、

上までエレベーターで行く事が出来ます。







有名な 金のシャチホコ です♪

高さは、約2.6mあります。








当時の名古屋城の模型








不名門 ←本丸側から

土塀の下に設けられた門で、

本丸北側と御深井丸を繋ぐ門ですが、

厳重に施錠されていたので、

「開かずの門」と呼ばれていたそうです。








不名門←御深井丸から

上には、 槍の穂先を並べた剣塀 が続いています。








天守閣は、高い石垣の上に立っています。

空堀底面からの高さは、55.51m もあるそうです。








石垣には、いろんな記号を刻んだ石ががありますが、

これは、石垣を命じられた各大名が、

他大名の石と区別するために刻んだものだそうです。








天主礎石


昭和20年の空襲で焼失した天守の礎石で、

長い間焼け跡に残っていましたが、

天守閣再建に当たりこの地に移し、

勝手の敷設状況を再現したものです。








石垣は、各大名が分担して積み上げていったので、

石の積み方に違いがあり、境界線がわかります。








空堀には、シカが放たれています。








この人たちは、どういった人たちなのかしら?

調べてみましたら、 名古屋おもてなし武将隊 でした。








城内の観光案内書の入口に、

「ご自由にお持ち帰りください」と書かれた入れ物の中に

連鶴 がありました。

こんなに沢山の鶴が1枚の紙で折られているのです。

私も、昔挑戦したことがあるのですが、

ちょっと油断すると、継ぎ目の所で切れてしまい、

とっても難しいのです。








それが、シッカリした和紙ではなく、

こういう普通の紙で折られているのでビックリ!!!


ありがとうございます。

大切に飾らせていただきます^^







これで、名古屋での見学はお終い。

4時30分にバスは帰路に着き、

私達夫婦が、朝乗ったバスターミナルに着いたのが8時過ぎ。

丁度12時間の旅でした。



12時間の内、見学に使ったのは4時間半。

それ以外は、ずっとバスの中か、トイレ休憩中でしたが、

不思議に今回は疲れませんでした。

この前に行ったカニツアーの方が、

余程疲れたように思います(苦笑)




2014_12
14
(Sun)14:15

教科書でもう1度学ぶ日本史 安土桃山時代 その2




今日は、今冬1番の冷え込みではないでしょうか。

今、我が家の暖房をしていない部屋の温度計を見ると、

8℃しかありません。

暖かな居間から出るにはちょっと勇気が要ります(ー_ー)!!







12月7日(日)に、日本史のお勉強の12回目で、

関ヶ原と彦根城へ行ってきました。


折りしも、その夜 NHK大河ドラマの軍師 官兵衛 で、

合戦直前の様子が放送されていましたので、

実にタイムリーな見学でした。



関ヶ原に着いて、先ず初めに、

ちょっと早めの昼食を頂いた後、史跡見学です。

関ヶ原は、前日の寒波襲来で、

雪が残っていました。


最初に、 関ヶ原町歴史民俗資料館

館内には、関ケ原合戦図屏風をはじめ、

関ケ原の戦いで使われた武具等が展示されています。

また、合戦時の東西両軍の陣形と戦の流れを電光で示した

大型ジオラマがあり、

戦いの様子が詳しく理解出来るようになっています。


※参考資料  陣地MAP ←クリック!









徳川家康最後の陣地跡

歴史資料館のすぐ傍にあります。


ここで家康は戦いの指揮に当たるとともに、

戦いが終わると、

部下が取ってきた首を実検しています。







石田三成の陣地跡 笹尾山へ




前日の雪が残っている小高い丘のような笹尾山。

足元に気を付けながら登っていきます。








展望台からは、古戦場全域が見渡せます。

こんな狭い所で、15万もの兵が戦っていたのです。

想像しただけで、どんなに激戦だったかわかります。








「石田三成陣跡」の碑

戦に敗れた後、再起を期して戦場を離脱しましたが、

戦運尽きて伊吹山で捕らえられ刑死されたそうです。








笹尾山の麓には、

敵の攻撃からの防御として使われた竹矢来・馬防柵が復元されています。

当時、「三成に過ぎたるもの」といわれた、

島左近 を竹矢来の前に配置して、山頂で指揮をとったのです。



布陣を見ても、人数からも、

圧倒的に西軍の方が有利だったにも拘らず、

小早川氏の寝返りによって、

一気に情勢が変化して、あっという間に東軍が勝ってしまいました。

もし、彼が西軍についていたら、

今の日本は、どうなっていたのでしょうね。

いろいろと想像すると、歴史ってホントに楽しいです^^







彦根城
・・・ 滋賀県彦根市 ・・・


日本を開国に導きいた人物であり、

江戸幕府の大老として

「安政の大獄」という歴史的大弾圧で怖れられた人物・井伊直弼

それに、 ひこにゃん でが有名なのですが、

今回は、安土桃山時代のお勉強なので、

時代は、関ヶ原直後にさかのぼります。


徳川四天王に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた井伊直政は、

関ヶ原の戦いの後、その功績で、

石田三成の居城・近江佐和山十八万石 を与えられていましたが、

直政の死後、息子の直考・直継 の時代に、

琵琶湖から広がる内湖に浮かぶ 彦根山に築城 しました。








いろは松


駐車場を出て、表門橋に向かう中堀沿道の松並木。

47本あったので、この名が付いたのですが、

現在は33本だそうです。








佐和口 の方から入ります。








表門参道

この石段を上る前に、傍の彦根城博物館前で、

後10分すると、ひこにゃんが登場すると看板に出ていましたが、

時間がないのでスルー(涙)








綺麗な色合いの葉を見ると、

思わずパチリ!








右手に 天秤櫓(てんびんやぐら) が見えてきました。

攻め込んでいくと、白壁の格子の中から、

鉄砲の弾や槍が飛んできます。








そこを掻い潜って進んでいけば、

次は、頭上の廊下橋の上や、右手の格子からの攻撃!

この橋は、非常時には落とし橋にもなるそうです。








鐘の丸への石段ですが、

ここまで来ると、前後左右から攻撃出来る様になっているのです。

感心するほど守りの堅いお城です。








天秤櫓

まるで天秤のような形をしているので、

そう呼ばれているとの説もあるそうですが、

講師の先生は、それを疑問視されていました。


日本の城郭で、この形式のものは、

彦根城だけだそうです。

橋の下は 堀切 になっていて、

橋を外されてしまうと、

この高い石垣を登るのは至難の業です。








遥か向こうに琵琶湖が見えてきました。

空はどんよりとしています。

雨が降らないだけ良しとしましょう。

前日なら、寒波と雪でどうなっていたか知れませんもの。








天秤櫓の中が公開されていたので入りました。

攻撃される側の壁は、

人に当たる所だけが、ぶ厚くなっています。








彦根城の天守閣が見えてきました♪








太鼓門櫓(たいこもんやぐら)

天守閣を目前にした最後の門。

建物の背面の壁が解放され、バルコニー(?)のようになっています。

一説には、名前になっている太鼓の音が、

広く響くための工夫だたと考えられています。








時報鐘

今も定時に鐘がつかれ、

「日本の音風景百選」に選ばれているそうです。








本丸 天守 (国宝)

ひこにゃんの看板が出迎えてくれています♪


京極高次が築いた大津城から移築されたと言われています。

姫路城、松本城、犬山城と共に、

「国宝四城」のひとつです。








下の方に 玄宮園(げんきゅうえん) が見えています。








冠雪された伊吹山 が見えますよ(^^)v

石田三成が捕らえられた山です。








紅葉は、もう殆ど終わっていましたが、

雪を抱いた伊吹山が見られたのでラッキー!








帰りは、もう一つの橋を渡って、

西の丸の方から玄宮園に向かて下りていきました。








真っ赤な紅葉の絨毯です。

今年は、紅葉狩りにはちょっと遅くて、

あちこちで、この様な落ち葉の絨毯が見られました^^








講師の先生が、

「もう少し早ければ、綺麗な紅葉が見られたのに残念ですね」

っておっしゃったので、

「でも、それだったら伊吹山の冠雪は見られませんでしたよね」

とお返事^^








お城を攻めるのに、

上方だけではなく、横にも進めない様にと、

所々に、こういった縦の城壁も築かれています。








玄宮園

彦根城を借景とする江戸初期の大名庭園

ポツポツと雨が降り出してきました。








目を上にやると、お城のライトアップが始まっていました。








お城を借景にした庭園。

素晴らしいです~~~☆彡








二期咲き桜

友好都市の水戸市から寄贈されtもので、

冬(11月~2月)と、春(4月~5月)の

2回開花するそうです。


小雨も、玄宮園で少しだけ逢っただけで、

その後は降りやんで、バスまで移動。

帰路に着きました。







この前に高野山へ行った時カメラの電源が入らなかったので、

新しいコンデジを買ったのですが、

まだ、操作方法に慣れていません。

今回は、うっかりしていてマニュアルモードのままで、

他の設定をちゃんとしないまま写してしまったので、

画面が暗くて見づらいのは、

お天気のせいばかりではないと思います(^^ゞ


今年のバスツアーも、今回でお終い。

これからは、年賀状の印刷と、

つるバラの剪定&誘因に力を入れたいと思っています。

相変わらず、ブロ友さんへのご訪問&コメントが出来なくて、

申し訳けなく思っています。






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2014_11
19
(Wed)19:36

教科書でもう1度学ぶ日本史 安土桃山時代 その1




昨日(11/18)、高野山へ四国88ヶ所のお礼参りに行って来ました。

今まで高野山へお参りする時は、上で1泊していたのですが、

今回は、お遍路のツアーだったので日帰り。


高野山は、淡路島からは遠い。

朝6時に家を出て、帰宅したのは午後9時頃でした。







高野山へ行く2日前の16日(日曜日)に、

日本史のお勉強で、又京都へ行って来ました。


最初に行ったところは、京都国立博物館の隣にある神社とお寺。

博物館では、未だ鳥獣戯画の展覧会をしているみたいで、

入場待ちの人達が長蛇の列を作っていました。




豊国(とよくに)神社
・・・ 京都市東山区大和大路通 ・・・

豊臣秀吉公が祀られています。

豊臣家滅亡後、徳川家により徹底的に破壊され、

廃社の憂き目を見ましたが、

民衆の間で太閤人気が根強く、

明治維新の頃に再興されたそうです。








大きな鳥居を潜り抜け・・・








銀杏の木が綺麗に黄葉しています♪

今回も、好いお天気 (*^^)v








唐 門(国宝)


伏見城の遺構で、西本願寺・大徳寺の唐門と合わせ、

国宝の三唐門 と呼ばれている内のひとつです。


総欅造りで、創建当時は彫刻などに金箔が施してあったと伝えられ、

形式や彫刻などに従来の規格にとらわれず、

自由奔放で豪華絢爛な気風は、

桃山建築そのものです。








両側には、 ひょうたん絵馬 が下がっています。








唐門正面にかかげられている「豊国大明神」の額は、

後陽成(ごようぜい)天皇のご真筆 で、

旧豊国社伝来の勅額です。


額の両側にある鶴は、左甚五郎作 と伝えられ、

「目無しの鶴」 と呼ばれています。

何故かというと、あまりにも見事な作なので、

目を入れると飛んでいってしまうかも・・・という事ですが。








唐門の向うに神殿が見えます。








境内で仰ぎ見ると、

木々の葉の彩が、青空に映えて美しい~~~☆彡








隣接されている 方広寺


秀吉が1586年に東大寺を真似て創建した方広寺。

創建時は、三十三間堂も含む巨大な敷地で、

奈良の大仏様よりも大きな木造大仏が安置された大仏殿がありましたが、

1596年の大地震で倒壊してしまいます。


その後、家康が豊臣家の財宝を使わせるために、

淀君、秀頼に秀吉の供養にと薦め、

銅製の大仏を再興させましたが、それも地震で倒壊。

現在は、多分創建当時の仏像は、こんなお姿であったろうと、

その十分の一の仏像が造られてお祀りされています。








国家安康の鐘


1614年に鋳造された鐘に、

救世の悲願を込めて銘文が刻印されました。








文中の、「国家安康 君臣豊楽」が故意に曲折して読み取られ、

徳川家への呪いを込めた文章であるとして、

豊臣氏討滅への口実に利用されたという有名な鐘です。








高さ 4.2m、 外形 2.8m、 厚さ 0.27m

そして、重さが82.7トンと、日本一の大きさです。

それが、この天井から吊さ下られているんですよ(@_@;)








豊国神社宝物殿の裏の方には、

ひっそりと五輪塔が立っています。


秀吉没後、東山の阿弥陀ヶ峰麓に

秀吉を「豊国大明神」として祀った「豊国社」が建立されました。 

秀吉公の人気は衰えず、沢山の人々がお参りしていたそうです。
 
けれども、豊臣家滅亡後、徳川幕府に破壊され、門を閉ざされたため、

京の人々は、この五輪塔に命日の日付だけを刻印して

代拝社としてお参りしていたそうです。 








もう一度、豊国神社の方へ戻ったら、

結婚式をしていました。


日本史のお勉強で回っていて、今までにも結婚式に遭遇したんですよ。

山の辺のみち 清明神社 へ行った時。

今回で3回目です(*^^)v

こういう幸せな時を共有できると、

こちらまで幸せな気分になりますよね^^



  





昼食は、 京都タワーホテル・タワーテラス でのバイキング。

こちらの様子は、以前にも書いたので、今回は省略します。








醍醐寺
・・・  京都市伏見区醍醐 ・・・

秀吉公の 「醍醐の花見」 で有名なお寺です。







 クリック! 拡大図 


先ずは、地図の左下にある

醍醐寺の 塔頭・三宝院








受付を入ると、みごとな松の寄せ植え(?)が目に飛び込んできます。








モミジの赤が、なんて素晴らしいんでしょう~~~☆彡








越天楽の雅な曲が聞えてきました。

奥で、何かあるのでしょうか・・・








ここから三宝院の中へ・・・

有名な醍醐の花見の時、

太閤秀吉のベースキャンプになった所です。


建造物の大半が重文に指定されていて、

中でも庭園全体を見渡せる表書院は

寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物で、

国宝に指定されています。


また、三宝院の庭園は、

秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら設計をした庭で、

いろんな要素を取り入れた盛りだくさんの庭。

桃山時代の華やかな雰囲気をかもし出しています。


残念ながら撮影禁止だったので、画像はありませんが(涙)








三宝院 唐門(国宝)

朝廷からの使者を迎える時だけ扉を開いたとされる勅使門です。

平成22年、約1年半をかけて、

往時の壮麗な姿に修復されました。

豪華で大胆な意匠は、桃山文化そのものです。








三宝院を出て 仁王門 へ・・・








仁王門を入ると、モミジの並木が続きます。

こちらの紅葉は未だのようです。








金 堂(国宝)

醍醐天皇により創建された建物。

当時は釈迦堂といわれていましたが、2度焼失。

現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州の湯浅から移築が計画され、

秀頼の時代)に完成したものです。








五重塔(国宝)

醍醐天皇のご冥福を祈るために建てられました。

平安時代の建物で、京都府下では1番古い木造建築。








清瀧宮本殿

醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。








4時を過ぎると、少し薄暗くなってきました。

着いた時には太陽の光を受けて鮮やかな色をしていた紅葉も、

帰る頃には色を落としていました。


日が短くなりましたね~~~








仁王門を出る頃には、

手前の方がシルエットになっていました。








駐車場へ行く道の両側は桜並木。

紅葉が落ち始めて、冬景色に変わろうとしていました。






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2014_10
14
(Tue)13:49

教科書でもう1度学ぶ日本史 室町時代 北山文化と東山文化




台風19号が九州に上陸。

日本列島を縦断するような気配です。

ホントは、今日は地元の文化協会の主催で、

倉敷と旧閑谷学校へ行く予定でした。

当たり前のことですが、中止になったので、

ブログをする時間が出来ました。

外は、激しい雨が降っています。

被害が無いようにと祈るばかりです。



では、10月7日に行って来た日本史シリーズの第10回目です。






金閣 鹿苑寺
・・・ 京都市北区金閣寺町 ・・・・


正式名称を 鹿苑寺 といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。

舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。


鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を

室町幕府三代将軍の足利義満 が譲り受け、

山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。








舎利殿「金閣」


一層は、寝殿造で放水院(ほっすいいん)、二層は武家造で潮音洞、

三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。



三島由紀夫や水上勉の小説で知られるように、

現在の金閣は昭和25年の火災で焼失したものを再建したものです。








陸舟の松 (樹齢 約600年)

京都三松の一つで、船の形をしています。

これは五葉松で、義満が盆栽を自ら移植され、

帆掛け船の形に仕立てられたものとされており、

舳先は西の方角を向いています。

この船に乗って西方浄土に向かうという発想からとの事です。








銀河泉

義満公が使用されたお茶の水です。








龍門の滝と鯉魚石








夕佳亭

数寄屋造りのお茶席で、

夕日に映える金閣が殊に佳いという事で、

この名が付きました。







大徳寺
・・・ 京都市北区紫野大徳寺町 ・・・




勅使門(重要文化財)

三門前にあって、前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門。

後水尾天皇より拝領したと伝えられています。








三 門(重要文化財)


2階部分に千利休の像が安置されていて

それが秀吉の逆鱗に触れ、

千利休が切腹に追いやられたと伝えられています。

昨日のNHKの「軍師官兵衛」にも、

その事がチラッと出ていましたよね。








仏 殿(重要文化財)


応仁の乱にて消失後、一休和尚等によって再建されましたが、

寛文5年(1665)、那波常有によって改めて建造。








法堂(重要文化財)

写真は写せませんでしたが、

天井の龍は、狩野探幽35歳の筆。






大徳寺の塔頭のひとつである 大仙院




初期の枯山水の庭があるので、

枯山水の入門としてお勉強できます。








一旦建物の中に入ると、

例え外の景色でも撮影禁止。

枯山水のお庭に興味のある方は、 こちらのページ で、見られます。








大仙院の方丈は、室町時代のもので、

わが国最古の方丈建築として、国宝に指定されています。







銀閣寺 東山慈照寺
・・・ 京都市左京区銀閣寺町 ・・・


銀閣寺は金閣寺とともに相国寺の塔頭寺院で、

相国寺は室町幕府三代将軍 足利義満により創建され、

金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。

そして銀閣寺は、後年、八代将軍である足利義政により創建されています。








観音殿(銀閣)と錦鏡池(きんきょうち)








銀紗灘(ぎんしゃだん)と、

右端に見えるのが 向月台








洗月泉


錦鏡池に落ちる滝で、

山部山畔から流れ落ちる水を銀閣・東求堂のある下段の庭へ導きます。








東 求 堂


観音殿(銀閣)とともに、

東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。

東求堂は本来は阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。

浄土信仰の象徴として東求堂を建て、

禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、

義政公の精神世界を垣間見ることができます。








池の向うの山道を上りながら散策。








台風18号が去った後の気持ちの良いお天気。

木漏れ日の下を歩いていきました。








お茶の井

足利義政が茶湯に使ったと言われています。








高い所から見た 銀紗灘








観音殿(銀閣)を上から見たところ。








このアングルは、旅行雑誌などでよく見かけますよね^^







久しぶりにお食事の写真です。




 創作料理とお寿司 希味(のぞみ) 

ビルとビルに挟まれた京都の町屋造りを利用したお店で、

なんと、看板がありません。








お寿司盛り合わせ







カレー鍋








赤だし

最後に抹茶ピリンが出てきたのですが、

残念ながら画像はありません(^^ゞ


お寿司もカレー鍋も抹茶プリンも、

みんなみんなとっても美味しかったですよ(^^)v

赤だしは、なくても良かったかも・・・(苦笑)


お店のhpを覗いてみましたら、

お手軽ランチで1051円(税込)

その割には、何度も書きますが、美味しかったです^^






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2014_09
26
(Fri)21:00

教科書でもう1度学ぶ日本史 室町時代その(1) 南北朝の動乱



今回は、南北朝時代のお勉強で、

後醍醐天皇が皇居を定めた吉野に行って来ました。







吉野山 如意輪寺
・・・ 奈良県吉野郡吉野山 ・・・

創建は延喜年間(901~923)と伝えられる、後醍醐天皇の勅願寺で、

吉野中千本に佇むお寺です。





私たちは、駐車場から裏門の方へ入って行きましたが、

これは、山門から長い石段をみたところ。








本 堂

御本尊様は  如意輪観世音菩薩








この石段の上の方には、

後醍醐天皇の御陵・塔尾陵(とうのおのみささぎ) があります。








塔尾陵(とうのおのみささぎ)


後醍醐天皇は、

「身はたとへ南山の苔に埋むるとも 魂魄は常に北闕の天を望まん」

と、都を憧れつつ、吉野金輪王寺で崩御されたそうです。

遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、

ご意思どおり、京都に対する願いを表すために、

天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、 「北面の御陵」 として有名です。








この建物の左手奥に 宝物殿 があります。








多 宝 塔









楠木正成・正行親子の桜井の別れ








この歌、知ってますよ。今でも歌う事が出来ます(*^^)v

私が子供の時、お手玉の遊び歌だったのです。

懐かしいわ~~~☆彡

でも、歌の意味なんて何にも考えないで歌っていましたが(苦笑)


1.青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
  木下陰(このしたかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと
  偲ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙か はた露か
  
2.正成涙を打ち払い 我が子正行(まさつら)呼び寄せて
  父は兵庫に赴かん 彼方の浦にて討ち死にせん
  今しは ここまで来つれども とくとく帰れ故郷へ

3.父上いかにのたもうも 見捨てまつりて我一人
  いかで帰らん帰られん  この正行は年こそは
  未だ若けれ諸共に 御供(おんとも)つかえん死出の旅

4.今しをここより帰さんは 我私(われわたくし)の為ならず
  己 討ち死になさんには 世は尊氏のままならん
  早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国のため


負ける戦とわかっていながら天皇のために戦った正成と、

父の教えを守り一族をまとめて戦い続けた正行の忠義の姿は、

太平記をはじめ数々の書物に書き記されています。







正成・正行親子の忠義心に心を馳せながら、

次の目的地に向かって出発!

道が狭いので、少しの間マイクロバスに乗り換えて行った後は、

徒歩での行程です。








ススキの穂が風にたなびき、

秋の風情を醸し出しています。








この道は、桜や紅葉のシーズン中は、

人がいっぱいなんでしょうけれど、

今の時期は、とても静かな佇まいです。








ヒガンバナも、あちらこちらで咲いています♪

お彼岸になると、急にあらわれるヒガンバナ・・・

不思議なお花ですよね。












勝手神社
・・・ 奈良県吉野郡吉野町 ・・・


吉野山山上へのぼる街道と如意輪寺への分岐にあります。

後方の袖振山は、大海人皇子(のちの天武天皇)が社前で琴をかなでられたとき、

天女が袖をひるがえして舞ったという伝説で知られています。


境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、

請われて舞いを舞ったといわれています。

社殿は2001年に焼失し、今はありません。







吉水神社
・・・ 奈良県吉野郡吉野町 ・・・


元吉水院として、今からおよそ1300年前に

役行者(えんのぎょうじゃ) が創立した、

格式の高い修験宗の僧坊でした。


又、南北朝時代は、 南朝の皇居 でもありましたが、

源義経や静御前、豊臣秀吉等のゆかりの地 でもあるのです。








長い坂道を上って行き、








門をくぐると

右手に「一目千本」と書いた看板が目に入ってきます。








ここからの景色に秀吉公は感動され

「絶景じゃ!絶景じゃ!」と大声をあげられ、

まるで子供のようにはしゃがれたそうです。


残念ながら、今は桜の季節ではありませんでいたが・・・








吉水神社 本社








書 院

南朝の皇居だった所で、

秀吉公がお花見をされた時の本陣にもなりました。








日本建築史上最古の書院として、

ユネスコ世界遺産として登録された書院です。








現在の日本住宅の源流をなす最古の実例として、

数々の珍しい手法が見られ、

初期書院造りの代表的なものとなっているそうです。












芙蓉の花







金峯山(きんぷせん) 蔵王堂
・・・ 奈良県吉野郡吉野町 ・・・




役行者が開基。

1336年後醍醐天皇の御座所だった所です。








蔵王堂(国宝)


金峯山寺の本堂です。

秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置。


建物は重層入母屋造り、桧皮葺、高さ34m、四方36mで、

安土桃山時代に再建された大伽藍。








愛染堂








鐘 楼






  

南朝妙法殿








モミジが色づき始めていました♪








高さ5.1mの仁王様








仁王門(国宝)は、修復中でした。








参道は、シーズン中と違って、とても静か。








家の前に、お花を置いている所が多い♪








銅の鳥居(重要文化財)

発心門とも呼ばれ、

ここで修行の道に入る事を決心します。








この門が 結界 になり、

これより先は俗世界になります。








向うの方に、竜巻のシッポの様なものが見えます。

夫が「写真に撮れ撮れ」というので・・・(苦笑)








トレニア








紫 苑








百日紅








もう一度・・・ヒガンバナ








七曲り下の千本


吉野駅から弊掛社を経て吉野山へ上る急な坂を 七曲り といい、

この付近一帯に植えられている桜が下千本。

「一目千本」 というのは、この辺りだそうです。







今回は、結構歩いたのですが、

暑くも寒くもない気持ちのいい気候で、

シーズン外れの長閑な吉野の町を、

古の人達に心を馳せながら、

ユッタリと楽しむ事が出来ました。










帰りは、トンネル内の6台の玉突き事故の渋滞に巻き込まれ、

淡路SAに着いた頃は、もう真っ暗








家に着いたのは予定より1時間半遅れの

9時頃でした(滝汗)





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2014_07
23
(Wed)10:00

教科書でもう1度学ぶ日本史 鎌倉時代後半



梅雨が明けた途端、セミが鳴きだし、

いよいよ夏本番!

年を追う毎に一層暑くなっている感がしますが、

今夏はどうなのでしょう???



梅雨明け前の7月20日に、

日本史シリーズの鎌倉後半編参加の為、

京都へ行って来ました。

京都の暑さは格別なので、覚悟をしていましたけれど、

時折ザーッと降る夕立で暑さが和らげられたのと、

やはり、お堂の中は涼しいので、

思ったほどには暑くはなかったのでホッとしました。







千本釈迦堂(大報恩寺)
・・・ 京都市上京区 ・・・


今から約800年前、

鎌倉初期安貞元年(1227)義空上人によって開創されたお寺です。








綺麗に刈り込まれた参道の向うに、山門が見えます。








山門を潜って境内に入ると、

枝が下まで垂れている大きな木が見えます。









阿 亀 桜(おかめ ざくら)

春の桜の季節は、綺麗でしょうね。








本 堂

本堂は創建時そのままのもので、

応仁・文明の乱にも奇跡的にも災火をまぬがれた

京都市内最古の建造物として国宝に指定されています


とても素晴らしい建物なのですが、

大きすぎて全体を写すことが出来なかったので、


お寺のHPの画像 をご覧くださいね。








おかめ塚
 「おかめ」は本堂建築で棟梁を務めた大工「長井飛騨守高次」の妻。
 高次が重要な柱の寸法を間違えて短く切り過ぎた際、枡組で補えば良いと助言して、窮地を救いながらも「専門家でもない女性の知恵で棟梁が大仕事を成し遂げたと言われては夫の恥」と上棟式を迎える前に自害した愛妻「おかめ」の物語が伝わる、全国のおかめ信仰の発祥となっています。

 有名な「おかめ」のふくよかな笑顔は明るい人柄を今に伝えています。

 悲話の主人公「おかめ」の“助け合う円満な夫婦であり続けたい”という強い思いがお参りする人を応援してくれるのかも知れません。

 お寺のHPより


また、鎌倉時代を代表する有名な仏師たちの仏像が沢山ありましたが、

撮影禁止だったので、これも お寺のHP< でどうぞ。








地図で見ると近くに、

北野天満宮、金閣寺、大徳寺などがありますが、

今まで、こんな素晴らしいお寺があるなんて知りませんでした。

みなさんも、お近くにいらしたら、是非お参りされてはと思います。












蓮華王院 三十三間堂
・・・ 京都市東山区 ・・・


正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。








名前の由来は、

南北にのびるお堂内陣の柱間が33あるという建築的な特徴によります。

「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しているのだそうです。


後白河法皇の勅願により、平清盛が法住寺殿内に建立したのが始まり。

80年後に消失し、鎌倉時代に再建されました。








通し矢が行われたお堂の軒下

三十三間堂は、今も毎年1月15日に近い日曜日に行なわれる通し矢でも有名ですが、

桃山時代には、もう行われていたそうです。


ちなみに現在は、この軒下ではなくて画像左側の広場で、

向う側からこちらに向かって矢をいります。








昭和36に京都の造園家である中根金作によって築庭された庭園。

鎌倉時代の作庭法によって造られたものです。








回 廊


三十三間堂内の仏像も、

千手観音坐像と千体千手観音立像 や、 風神・雷神と二十八部衆 など、

素晴らしい国宝の仏像が目白押しで、もう圧巻!

殆どが鎌倉時代の素晴らしい作品です。












唯一残る平安京の遺構。

創建からおよそ1200年。

1994年に 世界遺産として登録 されました。








不 二 桜(八重紅枝垂れ桜)

樹齢1200年です。

向うに、有名な五重塔が見えます。








五 重 塔(国宝)

この塔が見えると、京都に来たんだな~って実感します。

京都のランドマークタワーですよね。

木造の建築物としては日本一だそうです。








金 堂(国宝)

平安遷都と共に建立された東寺。

薬師如来と日光、月光菩薩 がお祀りされています。








時折、夕立が降ったのですが、

雨が過ぎると、又青空が戻ります。


又、 講堂 内の 立体曼荼羅 天、菩薩、明王、如来 も素晴らしくて、

国宝級の素晴らしい仏像を、

思いっきり堪能できた一日でした。



※鎌倉時代は、地理的な事もあって、

文化のみのお勉強になっています。








昼食は、 花街の歴史と風情が残る元お茶屋・くろすけ 

豆腐料理を頂きました。



次回の日本史シリーズは、9月下旬になります。








2014_06
15
(Sun)21:00

教科書でもう1度学ぶ日本史 平安時代末期~鎌倉時代




昨日に引き続き、今日は 日本史シリーズ の記録です。

この後、11日に行って来た 関西花の寺25ヶ寺巡りも記録に残さないといけないし、

また、四国88ヶ所巡りでし残したことがあるので、

今週の木曜日には、もう一度お四国遍路があり、

その記録も待っています。


今の所、ブログへの記録だけで精一杯!

みな様の所にコメントを残す時間がなくて

申し訳なく思っています。

にも拘らず温かいコメントを残して下さる方もいて感謝感激!!!


もう少しの間、ハードスケジュールが続きます。

落ち着いたら、又お邪魔させて頂きたいと思いますので、

どうか、見捨てないでくださいね~~~☆彡



  



では、日本史シリーズの 平安時代末期~鎌倉時代の文化 です♪


小田原山 浄瑠璃寺
・・・ 京都府木津川市 ・・・

奈良だと思っていましたが、

住所は京都府だったんですね。








山 門

ここは、今年の3月初旬に、

関西花の寺25ヶ寺巡りでお参りしたお寺です。

私の大好きなお寺のひとつなのですが、

交通の便が悪くて、なかなか個人では行けません。

もう一度お参り出来てラッキーでした(^^)v









三 重 塔 (国宝) 藤原時代

薬師如来」をお祀りしています。

寺名は、創建当時のご本尊、薬師如来の浄土である、

浄瑠璃世界からつけられました。


薬師如来は東方浄土の教主で、

現実の苦悩を救い、

目標の西方浄土へ送り出す遣送仏です。








宝 池を挟んで、

三重塔と本堂が向かいあってたっています。

春秋の彼岸の中日には、太陽は三重塔から出て本堂中央に沈むそうです。








本 堂

九体阿弥陀如来(国宝) がお祀りされています。

平安時代と鎌倉時代の作が並んでいます。








お寺のパンフレットの写真から

約40年くらい前に、初めて拝観した時の感激は、

今でも忘れられません。







岩船寺(がんせんじ)
・・・ 京都府木津川市 ・・・

浄瑠璃寺から徒歩で行ける距離にあります。







石 風 呂

山門の左手前にあります。

参拝する折りに、僧がここで身を 清めたのだと考えられています。

「岩船寺」の名称は、この石風呂 ⇒岩船からきたとの説もあるそうです。







山 門









本 堂








バイカウツギ が咲いていました。

我が家では、とっくの昔に咲き終わっているのに・・・

こちらの方が寒いのでしょうね。








三 重 塔 (重要文化財) 室町時代








ヤマアジサイ の青の色が綺麗です~~~☆彡

ここは、関西花の寺25ヶ寺の一つで、

アジサイも有名なのですが、

境内を彩るのは、もう少し先のようでした。








厄 除 け 地 蔵 菩 薩








五 輪 塔 (鎌倉時代)重要文化財


東大寺別当 平智僧正の墓だと伝えられています。

写真では分かりませんが、見上げるような巨大なお墓(総高2.8m(塔高22.4m) )です。








阿字池 から三重塔を望んで








スイレン が咲いていました♪








十 三 重 石 塔 (鎌倉時代)重要文化財

昭和18年、軸石のくぼみの中から 水晶五輪舎利塔 が発見されたそうです。








新緑に包まれた境内に心が休まります^^








シャクナゲの花 も、未だ咲いています。








この黄色い可愛いお花は何ていう名前かしら???


私たちが関西花の寺25ヶ寺巡りで、

このお寺をお参りするのは秋の様です。

その頃は、一体どんなお花で私たちを歓迎してくれるのかしら・・・







円 成 寺
・・・ 奈良市忍辱山町 ・・・






楼 門 (重要文化財)室町時代








境内から楼門を通して見るお庭は、

まるで額縁の中の絵の様です。









本 堂 (阿弥陀堂) 重要文化財 室町時代








鎮守社 春日堂・白山堂 (国宝)鎌倉時代


全国で最も古い春日造の社殿です。

当山の鎮守である春日大明神、白山大権現がそれぞれ祀られています。








多 宝 塔

後白河法皇が寄進したとされますが、応仁の兵火で焼失、

現在の塔は平成2年(1990)に再建されたものです。

塔内には 大日如来坐像(国宝・運慶作) が安置されています。

運よく拝観する事が出来ました。








円成寺でまず目に入るのが、楼門前に広がる美しい庭園です。

平安時代末期に寛遍上人のころに造成されたと見られています。

平安から鎌倉時代にかけて貴族住宅に流行した 寝殿造系庭園 に類似し、

寺院としては阿弥陀堂の前面に広がる浄土式庭園として、

奥州平泉(岩手県)の毛越寺庭園とともに貴重な遺構です。

(↑この説明文は、お寺のHPから)






今回お参りしたお寺は、

3ヶ寺とも素晴らしいお寺でした。

講師の先生も、大好きなお寺だとおっしゃっていました。

こうやって、テーマのあるバスツアーに参加していると、

思いがけず、素敵な所に出会えるんです。

それが嬉しくて、忙しい思いをしながら、

次から次へと参加している私たち夫婦です(^^ゞ






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2014_06
01
(Sun)14:20

教科書でもう1度学ぶ日本史 平安時代 (2)



初夏を通り越して、一気に真夏がやって来たみたいですね。

昨日は、新しく始まった 京都の庭園巡り の第1回目のバスツアーだったのですが、

京都の最高気温が33℃

ド~ンと疲れが出てきました。



そのお話の前に、5月25日に行って来た 日本史 平安時代の2回め を記録しておきますね。







天 台 圓 淨 宗 大 本 山 廬 山 寺
・・・ 京都市上京区寺町通り ・・・

源 氏 物 語 執 筆 地 紫 式 部 邸 宅 址です。



比叡山天台18世座主 元三大師良源 によって10世紀に船岡山の南に創建。

室町時代に応仁の乱で焼失した後、

元亀3年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちは、

正親町天皇の女房奉書により免れましたたが、

豊臣秀吉の寺町建設によって天正年間(1573年~1593年)に現在地に移りました。








元 三 大 師 堂

上にも書きましたが、元三大師は、10世記に活躍した比叡山延暦寺の高僧です。










鐘 撞 堂

この日は、何処へ行っても新緑が眩しいくらい素晴らしかったです^^

紅葉の季節もいいけれど、

観光客が少ない今頃もいいですよね(^^)v








源 氏 庭

紫式部が育ち、源氏物語を執筆したという屋敷跡。

源氏庭は平安朝の庭園の「感」を表現したものであり、白い砂と苔の庭です。

苔の形は、源氏絵巻の雲を表していて、

白い砂は、空だそうです。









紫 式 部 邸 宅 跡 の 石 碑








苔から出ている植物は桔梗なんですよ。

源氏物語に出てくる朝顔の花は今の桔梗のことだそうです。

紫式部に因み、紫の桔梗が6月末から9月初め頃まで咲いています。








御 土 居

御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、

長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として

外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街を守る堤防として、

天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。







五 台 山  清 凉 寺
・・・ 京都市右京区嵯峨釈迦堂 ・・・

地元の人達には、嵯 峨 釈 迦 堂の名で親しまれているそうです。








本 堂  釈 迦 堂

国宝の阿弥陀如来は、源氏物語の光源氏のモデルとされる、

貴族・源融(みなもとのとおる)の生き写しとされています。








仁 王 門








見上げると、モミジの新緑が素敵です♪








赤いモミジも美を競っています^^








多 宝 塔








鐘 楼








本堂から庫裡へは、回廊が続いています。

底から見るお庭も素敵でした。








弁 天 堂

回廊から見たお庭です。







旧 嵯 峨 御 所 大 覚 寺 門 跡
・・・ 京都市右京区嵯峨 ・・・







大覚寺の二つ並んでいる門のうち、向かって左の門が明智門です。








この明智門は、必殺仕事人などの必殺シリーズで、

南町奉行所としてよく用いられていました。









式 台 玄 関

平安時代初期に在位した 嵯峨天皇が離宮を営んでいた所 です。

嵯峨天皇の信任を得ていた 空海 が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、

修法を行ったのが起源とされています。








御 影 堂








御影堂南側正面にあるのが 勅使門

天皇陛下が行幸の場合、あるいは陛下のお使いの方がお越しの時だけ開門するそうです。








右近の橘に 左近の桜ではなくて梅。

昔は、梅の方が正しかったのですが、

時代の流れと共に桜に変わって行ったのだそうです。









勅 封 心 経 殿

御影堂の北に位置していて、

中には、嵯峨天皇、後光厳天皇、後花園天皇、 後奈良天皇、正親町天皇、光格天皇による、

般若心経の御写経が奉納されています。


御影堂までリボンで繋がっていて、

私たちは御影堂のリボンに触れてお祈りをします。








こちらにも素晴らしい回廊がありました。







大 沢 の 池

庭湖とも呼ばれ、平安前期の様式を伝える、

日本最古の人造湖です。







京都について、先ず最初に昼食を取ったのですが、

京都おばんざいのビュッフェスタイルだったので、

画像はありません。








帰りの車窓からは、夕陽がとても綺麗でした。

コンパクトカメラだったので、画像はイマイチですが・・・(^^ゞ







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2014_05
12
(Mon)20:10

教科書でもう1度学ぶ日本史 平安時代 (1)




天気予報が当たりました。

今日は、昼過ぎから雨という予報だったのですが、

信用しなくて、早朝にシッカリと水遣りをしたんですよ(^^ゞ

昨日から、今日の午前中にかけて強風が吹いていたし、

今は、結構雨足が強いんです。


17~18日にあるオープンガーデンまでに、

バラの枝やジキタリスの茎が痛まなければいいのだけど(汗)



  



「教科書でもう1度学ぶ日本史」が再開しました。

今までは奈良へ行っていたのですが、

今回からは、平安時代に入るので京都です。

1回目は、4月29日に行って来ました。



先ずは、清明神社

・・・ 京都市上京区堀川通 ・・・



バスを降りて、清明神社に行く前に、こちらの橋に案内されました。





一條戻橋

この橋には、こんな伝説があります。

 平安初期、熊野の僧侶・浄蔵の父親、文章博士・三善清行(みよしきよつら)が亡くなっ時、父の死を聞いた子の浄蔵が、熊野から駆けつけたところ、丁度葬列がこの橋を通りかかるところだった。

 浄蔵が棺にすがって泣き悲しみ、神仏に祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生し、最後の会話を交したという。

 この伝承から橋は死者が戻ってきた橋として「戻橋」と呼ばれるようになった。

出征兵士など、是非帰って来たいと願う人は、

この橋を渡って行くそうですが、

花嫁さんだけは、絶対に渡ってはいけません。

何故だかわかりますよね(笑)








一の鳥居

金色に輝く社紋の桔梗印の額が架かっています。

鳥居の額は、普通、神社名やお祀りしている神様の名前を入れる事が多いので、

これは、全国的にも非常に珍しいものだそうです。








鳥居の向かって左手には、千利休屋敷跡を記した石碑

ここに、千利休が住んでらしたそうです。








先に見学した一條戻橋の昔の姿を復元したもの

橋の向こう側に見えるのは、式神の石像

陰陽師が使う精霊 で、人の目には見えなかったそうですが。









清明井

洛中名水のひとつ。


ここは、千利休終焉の地で、大閣秀吉に振舞ったり、

最後に自服したお茶も、この聖水で点てたものであろう言われています。








本 殿

陰陽道の祖・安倍晴明公をお祀りしています。







陰陽師・安倍晴明公の像

近年は一大ブームが巻き起こり、

文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、

全国にその崇敬者を集めるようになりました。


そうなの?

知りませんでした(滝汗)


平安時代は、応仁の乱があったり、疫病や飢饉などもあり、

人民が苦しんでいました。

それで、陰陽道が持てはやされたのだそうですが、

この頃の日本も、苦しんでいる人たちが多いのも確か。

陰陽道の崇拝者が増えるのは、悲しむべきなのでしょうね(涙)








厄除桃

古来、中国や陰陽道で桃は、魔除け、厄除けの果物とされています。

『古事記』や『日本書紀』でも、魔物を追い払うさまが描かれています。

桃太郎伝説にも出てきますが、桃から生まれた故の鬼退治です。


この「厄除桃」を撫でることで、

自分の厄を桃にうつすことができるとされています。









屋根の上にも桃が・・・








花嫁さんが記念撮影をしていましたよ^^

どうか、お幸せに~~~☆彡








ハナミズキが満開です♪








京都には、ハナミズキの並木が多いんですね。

バスで走っていると、アチコチで見かけました^^







平安神宮

・・・ 京都市左京区岡崎 ・・・


平安神宮は平安遷都1100年を記念して、

明治28年に創建されました。








応天門

京都で青い屋根瓦が使われているのは、

平安神宮だけだそうです。








振り向くと、表参道の向うには大鳥居








応天門を潜ると、広い広場があり、

その遥か向うには大極殿


ご祭神は、第50代 桓武天皇 と 第121代 孝明天皇

平安遷都をされた天皇と、平安京最後の天皇です。








満願成就の為の結び木

ピンク色の「桜(はな)みくじ」が木に結ばれていて、

花が咲いたようです♪





平安神宮神苑へ行く途中から雨が降り出しました。





大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成されています。

面積は33,000平方メートルで、作庭は小川治兵衛。

国の名勝に指定されています。








日本で初めて営業運転された電車の車両。

創建と同じ明治28年に京都市内で運行されたことから、

苑内に安置されているのだとか。








雨が降ってるのが分かりますよね。

傘を差しながら写真を撮りました。








臥龍橋









泰平閣








泳いでいるのはマガモでしょうか?








牡丹も雨に濡れて可哀そう(涙)


この神苑は、私の大好きなお庭のひとつ。

もう少ししたら、花しょうぶやスイレンが咲き乱れます♪







六波羅蜜寺

・・・ 京都市東山区五条 ・・・





天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された

西国第17番の札所です。

















平 清盛公の塚

平安時代の六波羅蜜時は、広大な土地を持ち、

境域内には、権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、

その数5200余にも及んだそうです。








一願石










六波羅蜜とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。

布施 見返りを求めない応分の施しをさせていただく事をいいます。貪欲の気持ちを抑えて、完全な恵みを施すことです。布施行は物質だけではありません。

持戒 道徳・法律等は人が作り現在はますます複雑になっています。私たちは高度な常識を持ち、瞬時瞬時に自らを戒める事が肝要です。

忍辱 如何なる辱めを受けても、堪え忍ぶことが出来れば苦痛の多い現代社会において、自らが他の存在に生かされていることがわかり、全ての人の心を我が心とする仏様の慈悲に通じることとなります。

精進 不断の努力をいいます。我々人の生命は限りがあります。ひとときも無駄にすることなく日々誠心誠意尽くすことです。

禅定 冷静に第三者の立場で自分自身を見つめることをいいます。

智慧 我々は本来仏様の智慧を頂戴してこの世に生をうけております。しかし、貪りや怒り愚痴によってその大切な智慧を曇らせてしまいがちです。 布施・持戒・忍辱・精進・禅定の修行を実践しどちらにもかたよらない中道を歩み、此の岸から彼に岸へ・・・。









お寺の直ぐ近くにあった子育飴のお店

由来はここに








昼食は、美濃吉烏丸四条店で。








錦市場の近くだったので、

食後に少しだけあった自由時間に、

大好きな麩嘉の麩饅頭を買いに行って来ました^^



次回は、今月下旬。

楽しみにしています(^^♪





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