2017_06
25
(Sun)16:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第4回




やっと梅雨らしくなってきました。

庭仕事は一休みして、

今月の17日に行ってきたバスツアーの事を記録に残しますね。


四条通「情緒あふれる東山と路地裏めぐり」

四条通は、東は八坂神社の西楼門から

西は松尾大社まで続く

京都中心部の幹線道路で、

花街、歌舞伎、祇園祭、鴨川の納涼、金融街、百貨店など、

幾つもの顔を持っています。


今回は、四条通を歩くのは、四条大橋だけで、

後は、四条界隈を散策しました。








知恩院 山門 (国宝)

徳川2代将軍秀忠の命を受けて建立されました。

構造は入母屋造本瓦葺で、

高さ24メートル、横50メートル、屋根瓦約7万枚。

その構造や規模では、

わが国現存の木造建築としては最大級の二重門。

外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳二畳以上にもなるとの事。


ここからスタート!

この辺り一帯が 丸山公園 です。







平野屋総本家 いもぼう

この道は、京都市立美術館から阪急四条河原町駅まで歩く時に

何時も通る道なのですが、

この300年続く老舗「いもぼう」のお店が毎回気になります。

子芋と棒鱈を煮たお料理らしいのですが・・・








丸山公園のしだれ桜

円山公園には、しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜など約700本の桜があって、

毎年多くの花見客で賑わいます。

その公園の中央にあるのが、このしだれ桜

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」

一旦、木が弱って衰弱していたのですが、

近年、元気を取り戻したみたいです。








長楽館

明治42年、たばこ王・村井吉兵衛氏によって

国内外の賓客を持てなすための

迎賓館として作られました。

今も、ホテルやレストランとして営業しています。

1度は行ってみたい所ですが、

残念ながら、まだ機会はありません。








丸山公園は、明治19年開設の市最古の公園です。

東山を背に約86600㎡と、とても広大です。








祇園祭りの時の山鉾を保管する倉庫









八坂神社




舞 殿

舞の奉納など、様々な催しに使われています。

沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものが殆どで、

八坂神社に対する地元の信仰の厚さが伺われます。









舞殿&本殿

八坂神社は656年の創建と伝えられています。

祭神として

スサノヲノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミ が祀られています。

祇園造り(本殿と拝殿を一つの屋根で覆う)と言われる独特の形式で、

現在のものは1654年に再建されたもの。








檜皮葺の屋根が美しいです♪








南楼門

八坂神社の表参道・正門で、

約140年ぶりに進められていた修復工事が

今春に終了したのだそうです。








美御前社

美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされています。








美容水

社殿前には、神水が湧き出ていて、

肌の健康は言うまでもなく、

心から美しく磨かれる「美容水」として

珍重されているそうです。

それでは・・・と、

私も手にかけてきました。

ホントは飲むのかしら???












建仁寺派 法観禅寺の五重塔

聖徳太子のご建立で、日本最初の宝塔












ここから五重塔を見る風景が

旅行雑誌などでよく紹介されているそうです。

私も以前、TVのプレバトの俳句

この風景を見たことがありますが。












安井金毘羅宮 会館

天智天皇の御代に、藤原鎌足が創建

四国の金毘羅さんと同じ神さまがお祀りされているそうです。








縁切り縁結び碑

この碑にお札を貼り付けて、穴を潜ると、

行きは悪縁を断ち切り、

帰りは良縁に恵まれると言われています。








順番を待つ長い列が出来ています。

どんな悪縁を切って、どんな良縁をお願いするのかしら?

ズラッとかけられている絵馬を見ると、

凄い事が書かれているのもありましたよ。








拝殿&本殿

碑を潜るのは諦めて、

ここで病気との悪縁を断ち切れるようお祈りしました。













祇園甲部歌舞練場

有名な 都をどり の会場なのですが、

前に黄色いカボチャの置物が見えます。

ちょっと建物にはそぐわない様な気がするのですが、

あれは・・・








想像通り、 草間彌生さんの水玉カボチャ でした。

一体どういう理由で???












花見小路 へ入りました。

観光客でいっぱいです。








途中、ポスターが貼られていました。

帰って調べてみると、

こんなサイト を見つけました。

歌舞練場内に、フォーエバー現代美術館が出来

オープニング展として、

「フォーエバー現代美術館コレクション展 草間彌生 My Soul Forever展」

を開催するそうです。

そしてこのカボチャは、

フォーエバー現代美術館のシンボル作品として

常設展示されるそうなんです。


以前、香川県の直島に行った時

海辺に展示されたカボチャは、

自然と溶け合って素晴らしかったのですが・・・








一力亭

花見小路の四条通の入り口にある

大石内蔵助が豪遊したとか、

近藤勇や大久保利通、西郷隆盛も通ったとかという

一見さんお断りのお茶屋さん です。








元々この店の屋号は「万屋」だったそうです。

ところが、仮名手本忠臣蔵では、

この店の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号に変えました。

芝居は大当たり!

以来、屋号までが芝居の中で使われた

「一力」という名で呼ばれるようになったのだそうです。












祇園 巽橋(たつみばし)

祇園は京都を代表する花街。

その中を流れる白川に架けられているのが巽橋です。








白川の流れ

比叡山を源流とし、鴨川に注いでいます。








辰巳大明神

元は御所の辰巳の方向を守るために祀られたのですが、

現在では芸舞妓を中心とした祇園の人々に崇敬され、

技芸上達の神様として崇められています。








周りの柵には、聞き覚えのある名前も幾つか・・・








祇園 お茶屋街

ここで芸舞妓を呼んで、

仕出しのご馳走と一緒に楽しむのだそうです。

私のような一般庶民には別の世界ですね(苦笑)








白川通を歩いて行きます。

至る所で、レンタル着物を着た外国人に出会いました。

彼女たちには、今、ブームなのでしょうね。








吉井勇 歌碑


かにかくに 祇園は恋し 寝る時も
枕のしたを 水のながるる









第二次世界大戦の時の建物疎開で、

この辺り一帯は、防火の為に建物を壊したのだそうですが、

それまでは、白川の上にもお茶屋さんが立っていたそうなので、

「枕の下を 水のながるる」と、

昔を懐かしんで読まれたのだそうです。








紫陽花の季節ですね。








この頃は、梅雨にも関わらす晴天続きでしたが、








それにもめげずに、素敵な青色をして、

歩き疲れた私たちを癒してくれました。












四条大橋

私にとっては、よく通っていた

馴染みの橋です。








出雲阿国の像

関ケ原合戦の翌年、京の都で阿国は、

だて男のような装いで、「かぶきをどり」を披露しました。

その後、女歌舞伎が流行しましたが、

1629年に禁止され、

男性が女性役も演じる今のスタイルになりました。

これが今へと続く、歌舞伎の始まりとされているそうです。








京都四條南座

出雲阿国が、京・四条河原で阿国かぶきを創始したことが

歌舞伎の起源とされていますが、

その歌舞伎発祥の地で、悠久400年近くに亘る今日まで

歌舞伎を上演しているという意味で、

日本最古の歴史と伝統を持つ劇場と言われています。








明治39年に松竹に買収され、以後松竹の直営になり、

松竹マークが使用されています。








川床(かわゆか)








先斗町(ぽんとちょう)

ここも花街(かがい)のひとつです。

京都には五花街があって、

祇園甲部・先斗町・上七軒・ 祇園東・宮川町の5ヶ所








途中、鴨川の岸辺に出ると、

川床が身近に見えます。

ここで、夕方から川床料理を頂いている様子がが、

京都の夏の風物詩になっています。








先斗町通りを北上








傘と紫陽花を添えた可愛いお着物

思わず立ち止まってパチリ!












鉄筋のこの古い建物には・・・








「京都市立立誠小学校」との看板がありますが、

今は廃校になっていて、公的な催しに使われているそうです。








建物の前には、「土佐藩邸跡」と書かれた石碑

土佐藩では、坂本龍馬、武市隋山、後藤象二郎など

多くの獅子が活躍し、幕末の政局を動かしていました。

坂本龍馬は、脱藩した後、このお屋敷で

7日間の蟄居を行っただけで許されたのだそうです。








又、建物の前を高瀬川が流れていて、

高瀬川を作った角倉了以(すみのくらりょうい)の像 も立っています.。












岬神社(土佐稲荷)

元は土佐藩内にあって、

坂本龍馬や中岡慎太郎も詣でたとされています。












ここにも紫陽花が・・・












近江屋跡 

しょう油商を営んでいた近江屋に宿泊していた

坂本龍馬と中岡慎太郎は、

刺客に襲われ命を落としました。

大政奉還から1ヶ月後の

明治という新しい扉が開かれる直前でした。








錦市場

「京都の台所」と称されている所です。

今回は、端から端まで歩きましたが、

余りにも人が多すぎて、人ごみに酔ってしまい

殆ど何も買わないで通り過ぎました。

一応、保冷袋と保冷剤を持っていたのですが(苦笑)








昼食は、ザ・ビュッフェスタイルSARA で

夫が名前を聞いた時に、

以前に一度来たことがあるって言っていましたが、

私は、思い出せませんでした。








でも、お店の入り口まで来たときには、

ちゃんと思い出しましたよ(^^)v







ここ1週間、時間のある時に書き溜めていた今回の日記

長くなったので、2回に分けようかとも思ったのですが、

やはり、1回にします。

長い日記を最後まで読んで下さってありがとうございました。






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2017_06
14
(Wed)18:59

<9番、10番、特別霊場> 中国33観音巡りの旅




今月の6日、中国観音巡りの第4回目で、

広島県の尾道へ行ってきました。

今回は、 尾道三山の名刹

千光寺、 浄土寺、 西國寺
を回ります。

尾道水道沿岸に広がるわずかな平地部を囲むようにそびえたつ尾道三山。

三山にはそれぞれ山名となっている古刹があり、

その三寺すべての正面が、同じ所に向けて建てられているのです。

そこは、尾道水道の対岸、向島の岩屋山

冬至の朝、そこから太陽が上がり、

各お寺のご本尊様を照らすのだそうです。








1番目は千光寺へ・・・

バスの駐車場から少し歩きます。

サツキの花が見ごろを迎えていました。








鼓岩(つづみいわ)

岩に斜めに入った傷は、大阪城築城の時、

石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡といわれています。

岩が固すぎて諦めたのでしょう。








別名ポンポン岩と呼ばれ、

岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がします。






第10番札所 大宝山 権現院 千光寺(たいほうざん ごんげんいん せんこうじ)
・・・ 広島県尾道市 ・・・





山門をくぐって、先ず目につくのは、沢山の巨岩です。








奇岩 三重岩








三十三観音堂

西国観音霊場の各札所の御本尊・観世音菩薩33体が祀られていて、

ここにお参りすると西国観音霊場を巡拝したのと

同じ功徳があると伝えられています。








本堂の正面入り口の上に描かれた 龍の絵








千光寺は、大宝山(通称・千光寺山)の中腹、

海抜約100mに位置しているので、

眼下に尾道水道や向島、因島などの瀬戸内海の島々、

遠景に四国の連山が眺められる素晴らしい景観です。








末広の松








鏡 岩

昔、玉の岩の宝珠や太陽、月の光を

鏡のように反射させていたと伝えられていて、

鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われています。








鏡岩の拡大写真

手前の岩の後ろの木を伐採したら、

現れたのだそうです。








鐘 楼

この鐘は「時の鐘」として名高く、

元禄初年から時刻を近郷近海に報じていて、

近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」として

人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっています。








この鐘の特徴は、鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、

梵字百字の真言と五智如来の種子が浮彫りになっています。

環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれていて、

特にこの附近の情景は

志賀直哉氏の小説「暗夜行路」 にも描写されています。








鐘楼の横をロープウェイが通って行きます。

私が今まで、この千光寺に来た時は、

何時もロープウェイを利用していました。

上までバス出来たのは初めてです。








梵字岩

徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、浄厳大和尚が

ここに書き遺されたものと言われています。

円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれ

光明真言曼荼羅だそうです。








石鎚山鎖修行

男性が軽々と登っています。

私には無理・・・(^-^;








お参りが終わって、バスへと向かいます。








岩割松(いわわりのまつ)

樹齢数百年の大きな松が

その根で数トンもありそうな岩を割り、砕いて、

厳然と立ち上がっています。

自然界の力強い生命力を感じさせられます。









第9番札所 転法輪山 大乗律院 浄土寺(てんぽうりんざん だいじょうりついん じょうどじ)
・・・ 広島県尾道市 ・・・




JRの高架下を通ってお参りする、

ちょっと珍しい所にたっています。








長い石段を上がっていくと・・・








山門があり、向こうには本堂








本 堂(国宝)<鎌倉時代の再建>

開祖は聖徳太子と伝えられていて、

ご本尊は聖徳太子御作とされる秘仏・十一面観世音菩薩で、

古くから『身代わり観音』として信仰されています。








境内は、本堂、多宝塔とともに国宝に指定されています。








阿弥陀堂(重要文化財)








屋根瓦は昔のまま








多宝塔(国宝)<鎌倉時代の再建>








足利尊氏の供養塔








包丁塚








境内には、鳩がいっぱいいて、

餌をやると集まってきます。








裏門の屋根裏にハト小屋があります。

伝書バトを使って情報を得て、尾道の商人は富を得ました。


一緒にお参りしたツアーの仲間の何人かが

先日の ブラタモリ に、

この浄土寺と先に行った千光寺が

紹介されていたと教えてくださいました。

私も見たかったな~









特別霊場 摩尼山 総持院 西国寺(まにざん そうじいん さいこくじ)
・・・ 広島県尾道市 ・・・




尾道三山の最後のお寺・西国寺へ行く途中

沢山の枇杷が生っていました。

カメラを向けていると、

「枇杷なんて珍しくもないのに写真を撮るの?」

って不思議がられました(苦笑)

実は、淡路島も枇杷の産地なんです。








金堂(重要文化財)








大師堂までは、この石段を上がらないで、

右側のなだらかな道を歩いて行きます。








大師堂








三重塔(重要文化財)









不動堂








力 石

尾道は一千年の港町。

港では荷の上げ降ろしに多くの人々が働いていました。

力自慢の人達がこの石を持ち上げて競い合っていたそうです。








昼食は、 宮徳のせいろすし

創業天保3年、尾道市で最古の寿し処

180年を越えて今尚使われる『器』にも、

その歴史が感じられます。







 クリック! 拡大画像 

上の画像は、お店のHP から借用。

せいろすし+茶碗蒸しで2250円!

旅行会社のショーゼンさん、今回もはり込んで下さったんですね(*^-^*)





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2017_06
12
(Mon)14:00

後編「家島ウォーク ~ごこくを歩こう!第2弾~




梅雨の中休みでしょうか・・・

梅雨入り宣言以来、ずっと爽やかな好天気が続いています。


土曜日から私用(遊びではなくて)で島外へ行っていて、

今朝、帰淡しました。

出かける前に、「ごこくを歩こう」の後編をアップロードしたと思っていたのですが、

今見ると、下書きボックスに入ったまま。

公開のボタンにチェックを入れ忘れたようです(^-^



;


では、改めて 前回 の続きです♪



私が住んでいる淡路島は、瀬戸内海にありますが、

瀬戸内海には、その他にも沢山の島々があります。

小豆島や、しまなみ街道の島々へは行ったことがあるのですが、

今回の家島(いえしま)は、初上陸でした。












家島諸島は 瀬戸内海東部の播磨灘にあって、

大小40余りの島で構成される諸島です。








平等院 行者堂



とれとれ市場で海鮮BBQを楽しんだ後、

又妻鹿漁港からのチャーター船で約半時間。

家島の船着き場に着きました。

ここから現地ガイドさんの説明を聞きながらのウォークです。








海苔の養殖場








海苔工場


ここで、ガイドさんからの質問

「日本で1年間に何枚の海苔が食べられているでしょうか?」


え~と・・・人口をざっと1億人として・・・

「一人平均10枚で10億枚?」

「ブ~! 個人よりも業者の方が沢山使っていますよ」

「では、100億枚?」

正解でした(^^)v(←私)








「この海へ傾斜している場所は何に使われるのでしょう?」と

又もや、ガイドさんの質問です。








この格納庫に収納さえている ダンジリ船

海へと出ていく道なのです。

7月に家島天神祭り があって、

船上で、家島神社への 獅子舞い奉納 が行われるのだとか。








家島神社 鳥居








式内大社家島神社は、

家島本島の入江の東、天神鼻に位置し、

「天神さん」と呼ばれ、昔から島の人々から親しまれています。








この上の家島唯一の原生林にの中に

家島神社があります。








鳥居の向かって左側へ行ってみました。








真っ青な空と海・・・

そこに船が浮かんでいて絵になる風景です。








大砲のレプリカ

諸外国からの開国要求が高まる中、

姫路藩は、家島と対岸の室津に大砲を構築することにしました。

その時に築かれた台場跡。








家島神社の鳥居の脇に建つ万葉歌碑

736年の夏に新羅に派遣された使節の一行は、

翌年2月の帰朝の際、家島の入り江に船泊まりしました。

その時、使節の一人が、家島という名に誘発されて、

わが家で夫の帰りを待つ妻を恋しく思って詠んだ歌の碑。








石段を上がって、原生林の中へ入っていくと・・・








100段余りの石段と・・・








舗装されていない山道があり、

ガイドさんは、「どちらの方からでも神社に行けますので、

お好きな方からどうぞ」








殆どの人が、舗装されていない道を選びました。








家島神社 本殿

神武天皇が武運長久と海上交通の安全を祈願して

天神(あまつかみ)をお祀りした事が始まりとされています。

また、菅原道真も平安京から

大宰府に左還される際に参拝されたとも伝えられています。








こちらが表参道

石段を上がってくる道です。


この道を通って原生林の中を、

清水公園 へと向かいます。








波の音が聞こえると思ったら、

下に砂浜が見えます。








漁業見学に行くときに見た

あの不思議な形の島が見えてきました。

午前中に見たのとは反対側ですが。


ガイドさんの話では、 家島諸島のひとつ・男鹿(たんが)島 で、

島全体が 花崗岩 でできていて、

石材搬出を主産業にしているのだとか。

あれは、削られた後なんですね~








ムクロジの木

幹が空洞になっていても、その幹から生きた枝が伸びていて、

その枝を、細い木が横から支えているのです。








そして、もっと細い木が、

その支えている木を支えています。


ガイドさん曰く

「今の年金制度のようですね」

私たちのような年金受給者にとっては、

ちょっと複雑でした(^-^;








家島諸島








アチコチで小鳥の囀りが聞こえてきます。

バードウォッチングが大好きなエッチャンがいたら

きっと大喜びして双眼鏡を覗くんだろうなって思ったものでした。








視界が開け、

又男鹿島が見えてきました。

こんなに削られてしまって、ちょっと痛々しいな(涙)








清水公園

ここは桜の名所で、

春になると花見客でいっぱいになるそうです。








家島ウォークを楽しんだ後、帰路の船に乗り、

湾を一周。

海から見た家島の街並みです。








人口は家島諸島全体で5600人ほどで、

家島本島には3300人が暮らしているそうです。

殆どの家が漁業に携わっていて、

姫路にセカンドハウスを持つお金持ちが多いのだとか。

(↑チャーター船の船員さんの話)









島の名前の由来は、

神武天皇が航海中、海が荒れたので、

この島にお立ち寄りになりました。

「まるで家の中にいるかのように、穏やかで静かだ」

ということで「家島」と名付けられたと言い伝えられています。








岸辺は遠浅ではなく、直ぐに深くなっているので、

大型船が着岸しやすいそうです。








妻鹿漁港へ戻り、バスに乗って

今朝の集合場所の三ノ宮へと向かいました。







三ノ宮フラワーロードの花時計

以前、スイスのジュネーブで有名だという花時計を見たのですが、

その時も思いました。

こっちの方がいいって…(苦笑)








ジュネーブの花時計(2010年7月)

とても暑い日に、

添乗員さんから「有名な花時計を見に行く」といわれて、

炎天下の中を歩いて行って見たのが、

この花時計でした。








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2017_06
08
(Thu)14:20

前編 「船上で体感!華姫さわら漁業見学」 ~ごこくを歩こう!第2弾~ 




昨日、梅雨入りしました。

流石、昨日は終日雨でしたが、

今朝起きると、快晴!








慌てて、お洗濯やお布団干しをしました。

週末には、お天気が崩れるそうですが・・・







大分前の事ですが、神戸新聞で、

歩いて知ろう兵庫の自然や食 という

兵庫五国(但馬、丹波、摂津、播磨、淡路)を歩き、

“兵庫の多彩な風土や食文化を学ぶ日帰りバスツアー”

というのを見つけました。



とても面白そうだったのですが、

第一回目は4月で、

「武田尾廃線跡桜ウォークと一庫ダム見学」(摂津)

残念ながら、既にほかの予定が入っていたし、

武田尾廃線跡は、以前行ったことがある ので諦めました。

そして、今回は、2回目。播磨地方です♪







5月28日(日)、三宮7:30発なので、

私の住んでいる所から行くには、

朝1番のバス(5:40発)に乗らなければなりません。

やはり、淡路や徳島の旅行会社は便利だな~と思いながら、

魅力のあるツアーだったので参加した次第です。








途中、明石と姫路からもお客様を乗せて、

姫路市の妻鹿漁港 から

チャーター船に乗って 漁業見学 に出かけます。








船尾波と航跡








当日は、五月晴れの気持ちのいい気候だったのですが、

甲板にいると、風が冷たく、

途中から船室に入りました。








遥か向こうに見えるのは

播磨臨海工業地帯 でしょうか???








面白い形の島が見えてきました。

後で、この島はどんな島か分かるのですが・・・








私たちが乗ったチャター船が、

向こうに見える船の方へと近づいていきます。








3隻の船上で、何かの作業をしているようです。








もっと傍撫で近づいていくと・・・

網の中には鰆がいっぱい!

大量のようです。








収穫した鰆を、運搬船に乗せています。








鮮度が落ちないよう、

船上ですぐに神経締めや血抜きをします。








又違う2隻の船が現れました。








先端(はな)と先端(はな)をくっつけます。

これが、 「はなつぎ網」の名前の由来 なのです。








網を巻き上げていきます。








みんな、ライフジャケットを着て、船上から見学。








2隻の船が並んで、

網の両側から網を巻き上げていくのです。















今回も大漁のようです(^^)v








運搬船に魚を積み込み、

ここで又活〆と血抜きをして出荷になるのです。



この後、船上で、

とれとれの鰆のお刺身を頂きました。

私は漁師町に住んでいるので、

新鮮なお刺身は珍しくはないのですが、

みなさん、感激して召し上がっていました。

ただ、漁師町に住んでいる私でも、

こんな風に漁業の様子を見るのは初めて。

面白かったです(*^-^*)








海の色の濃い所がありますが、

ここには、イワシの群れがいるそうです。








キラキラ光っているのは、全部イワシ。

イワシを餌にしている鰆などがやって来るので、

それを見て、網を張るのだそうですよ。







 クリック! 拡大画像 








妻鹿漁港 へ戻ってきました。

ここの JRぼうぜとれとれ市場

播磨灘で採れた 海鮮BBQの昼食 です。







するめいか一ぱい、ホタテ、サザエ、はまぐり

それに、アルミホイルに包まれているのは、鰆の味噌漬け

これで、一人分です(^^)v








網で焼いて、ご飯とお味噌汁と一緒に

(夫は生ビールも)

全部平らげてしまいました。








久しぶりの海鮮BBQは美味しかったな~~~☆彡

今夏は、我が家でもやってみましょう。



昼食後は、 家島ウォーク です♪




*****つづく *****










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2017_06
06
(Tue)10:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第3回




今日(6/6)は、中国観音巡りの4回目で

尾道まで行ってきたのですが、

予定より1時間以上早く帰れたので、

この間から書きかけていた先月の京都歩きの日記を仕上げました。

長いので2回に分けようかとも思ったのですが、

この後に、もう一つ家島へ行った日記が残っているので、

一気にUPする事にしました。






先月の20日に、京都の大路小路を歩くの第3回

三条通り「文明開化を告げた近代建築巡り」 に参加しました。








三条大橋

徳川家康によって定められた 東海道五十三次の西の起点

東海道は、京都の三条大橋~江戸の日本橋です。







 クリック! 拡大画像 


三条大橋には

豊臣秀頼が大改修した時の銘入りの擬宝珠(ぎぼうし) があります。

2本の傷は、幕末の池田屋騒動の時、

争いがここまで流れてきて付いた 刀傷 だと言われています。








橋のたもとには、道中安全祈願として

「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さん が立っています。








「三条河原」 と呼ばれ

処刑や処刑後の晒し首が行われました。


ここで処刑・晒し首にされた著名な人物は

石川五右衛門



釜茹での刑

豊臣秀次



さらし首、その妻子側室侍女39名が処刑

石田三成



六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首

近藤勇 - 新撰組局長



晒し首









それでは、 三条通のウォーク のスタートです。








瑞泉寺 本堂

江戸初期の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が、

豊臣秀吉の甥の秀次の菩提を弔うために建立した寺院。








秀次一族が三条河原で処刑されて埋蔵された塚の石塔が、

高瀬川建設の時に発掘され、

角倉了以が、塚を修築して堂宇を建立。








秀次一族の墓

秀吉に子供が生まれたので、

邪魔になる秀次に謀反の疑いをかけて

高野山に追放し、切腹させました。

そして、秀次の遺児、正室・側室合わせて39名が

三条河原で処刑されたのです。








酢 屋

酢屋は、創業280年の材木商で、

幕末当時の6代目・酢屋嘉兵衛は、

高瀬川での水運業の実権も持っていました。


彼は、坂本龍馬の活動に理解を示し、

海援隊の京都本部が酢屋内に設けられていたのです。








家の前に、石碑が立っています。








池田屋騒動の跡

尊王攘夷派の志士が密談を行っていた時、

近藤勇が率いる新選組が、襲撃したので有名な事件現場。








高瀬川








川辺の建築・TIME’S~安藤忠雄の建築

高瀬川・三条小橋のたもとに建つ

ウォーターフロントのはしりの商業施設








三条通がアーケードのある商店街になりました。








三条通と寺町通りの交差点にあるのが 三嶋亭

明治の文明開化華やかなりし頃からの、

創業明治6年のすき焼の老舗。








もう少しアーケードの下を歩いて行くと、

文明開化を告げた近代建築が

次々と現れます。








1928ビル

建てられた年代が、そのままビルの名前になっています。

毎日新聞社の京都支局として長らく使われていましたが、

現在は竣工当初からあった3階のホールなどを活用した

市民向けの施設として使われています。


※手前の男性は、私たちのガイドさん

説明が、とても分かりやすかったです。








家邊徳時計店

1890年(明治23年)の建築で

京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類に属します。








日本生命京都三条ビル

1914年(大正3年)の建築








分銅屋足袋

創業1864年の老舗足袋専門店








京都文化博物館 別館 (国の重要文化財)

日本銀行の京都支店として、日本銀行本店や東京駅など

日本を代表する明治期の近代建造物を設計した

辰野金吾とその弟子である長野宇平治の設計により

1906年(明治39年)に建築されました。


1986年(昭和61年)4月に京都府に寄贈され、

現在は京都文化博物館別館に転用され公開されています。








ホール内では展覧会や音楽会など

様々な催しを開催しています。








銀行の名残りの窓口

素晴らしい細工です。








中京郵便局

赤煉瓦が美しいこの郵便局舎は、

1902年(明治3年)に京都郵便電信局として建てられたもの。

竣工当初から現在に至る115年間、

現役の郵便局舎として使われ続けてきたという由緒ある建物なのです。








六角堂   山門








御 堂

聖徳太子創建のお寺で、

生け花発祥の地でもあります。








正式な寺号は頂法寺ですが、

御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。








柳の枝2本を取っておみくじを結びつけると、

縁結びになると言われているそうです。

くれぐれも、1本や3本の枝に結びつけないように・・・








へそ石

旧本堂の礎石と伝えられているもの。

ほぼ京都の真ん中に位置していたことから、

そう呼ばれていのだとか。








エレベーターに乗って上から見ると

屋根が六角形なのがわかります。








町家美術館 紫織館

大正15年に240坪の敷地に建てられた

大塀建築(だいべいづくり)の京町家の代表例。


屋根の上に見える洋館は、

祇園祭りの山鉾巡業の鉾見台








中に入って見学出来ました。








和室から見たお庭








置時計








応接間のステンドグラス

和室は、数寄屋の名工によって建築され、

洋館部分も、その時代の有名な建築家の設計だそうです。








次の目的地に向かって歩いていると、

発掘調査の現場がありました。

京都は歴史があるので、

建築現場で遺跡が出てくることがよくあり、

そうなると、建設工事が中断されて、

発掘が始まるのです。

施工者にとっては、費用も時間も大幅にかかり、

とても大変なのだそうです。








旧本能寺跡の石碑








明智光秀の謀反により織田信長を自害させた事で

有名な「本能寺の変」で知られるお寺








本能寺が焼失したという事で、

ここには本能寺消防分団がありました。








空也堂(くうやどう)

平安時代、空也(くうや)が創建したといわれ

ご本尊も空也立像という事からそう呼ばれています。








屋根瓦には菊のご紋が・・・

皇室とかんけいがあるのでしょうか?







とっても暑い日で、

電光掲示板の気温が34℃

5月からこの調子だと、

この後、6月、7月の京とはどうなるのだろう?と、

ちょっぴり心配になりました。








昼食は、美濃吉 四条烏丸店

下の箱は引き出しになっています。

京都らしいお料理でした(^^♪






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2017_06
02
(Fri)09:55

<おまけの観光> 中国観音巡りの旅 




前回の中国観音巡り では、観光も付いていました。


二日目の朝、15番札所の 漢陽寺 をお参りした後、

近くの 瑠璃光寺 まで徒歩で行きました。








ちょうど見ごろの 黄アヤメ を眺めながら進んでいくと・・・








史跡 萩藩毛利家墓所

墓所には13代毛利敬親と夫人、世子の元徳と夫人、

その子元昭と夫人、さらに毛利本家歴代諸霊の墓

計7基と初代秀就の母周慶寺殿、そのほかの墓があります。








中には、それぞれ 土饅頭 の前に墓石が建てられています。








露山堂にある地水式庭園 を通って出口へ・・・








露山堂 入り口

幕末、毛利敬親が藩庁を萩から山口に移しましたが、

その際、藩庁内につくられた茶室。

茶室とは名ばかりで、その実堂内では討幕の密議が行われていました。








枕流亭

薩長連合結成の密議のため、

薩摩の小松帯刀や西郷隆盛などが山口を訪れた際に

当時、道場門前にあった枕流亭で、長州方と面会をしたのです。








香山公園 を歩いて行くと、

向こうには 瑠璃光寺の五重塔 が見えてきました。
















この美しい五重塔を、

以前からずっと見たいと思っていたのですが、

昨年、やっと念願叶って行けた のです。

ご縁がある時は続くものですねぇ。

今回、又見る事が出来ました。








国宝で、 大内文化の最高傑作 といわれています。

室町時代の建立。

屋外にある五重塔としては、日本で10番目に古く、

京都の醍醐寺・奈良の法隆寺のものとならび

日本三名塔の一つ に数えられています。








池の水面に木々が映り、

何とも言えない風景を醸しだしています。

やはり、素敵な所です♪








雪舟の像

彼は、山口に住んでいた期間が長く、

ここで沢山の傑作を残しているそうです。









秋芳洞




マリア観音








クラゲの滝のぼり








黄金柱








蘇鉄岩








大黒柱








傘づくし








笣 柿








洞内富士








百枚皿








長 渕








出口になりました。








出口を出た所。

こちら側からも入れますが、上り坂になります。

中学生の団体さんは、こちら側から入り

私たちとすれ違いました。

やはり、若いんですね~








秋吉台 バスの車窓から

この下に、先ほど行った鍾乳洞があるのです。








秋吉台の石灰岩柱

ホントは真っ白なのですが、

山焼きをした為に黒くなったそうです。








秋吉台

凄く広い所で、

下には400を超える鍾乳洞があるそうです。








お昼は、山口市内の おもてなし Dining 恒心

お洒落で美味なフレンチでした。


この後、バスで帰路につきました。







9日の宿泊所は、西の雅 常盤 で。

名物女将のいる旅館で、

錆びれた湯田温泉を女将劇場 で盛り上げ、

TVで取り上げられる程になったのだとか。


72歳の大女将が、汗びっしょりになって、

いろんな芸をして楽しませてくれていました。

素人芸に羽が生えた程度のものでしたが、








最後にご自分の長い髪の毛を筆代わりにして、

文字を書かれた達筆には感心しました。


最後にご挨拶に出た時の顔は、墨で真っ黒!

旅館を盛り上げたいとの意気込みを感じました。





湯田温泉 西の雅 常盤





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2017_05
31
(Wed)17:30

<15番~17番> 中国33観音巡りの旅




5月の9日から10日にかけて、

一泊二日で中国観音巡りの3回目で山口県へ行ってきたのですが、

その後、予定が立て込んでいて、

日記に書かないままに5月が終わろうとしています。

もう大分経ってしまったので、

先達さんに教えていただいたことは忘却の彼方へ・・・(滝汗)

でも記録として、どうしても残しておきたいので、

思い出しながら、今から頑張って書いてみます。





第15番札所 鹿苑山 漢陽寺(ろくおんざん かんようじ)
・・・ 山口県周南市 ・・・




参道からの山門の眺め








掲示板に貼られていた素敵な言葉

私も、こういうあったかい気持ちを忘れないようにしよう








玉潤式枯山水庭

様々なタイプの庭園があるので有名なお寺だそうです。








山 門

漢陽寺は臨済宗で、南禅寺派の別格地だそうで、

日本の他のお寺の上に立つそうです。








観音堂

お祀りされているのは、聖観世音菩薩








中国観音霊場








作庭師・重森三玲による「曲水の庭」








新緑が美しいです♪








池庭 には、鯉が泳いでいます。










第17番札所 滝塔山 龍蔵寺(ろうとうざん りゅうぞうじ)
・・・ 山口県山口市 ・・・




参道の入り口に 七福神

台座には、それぞれに奉納者の名前が書かれています。








あく手地蔵






 クリック! 拡大画像 

私も、この立て札に書かれているように

「いい道示していただいて、いい1日でありますように と」

固い握手をしてきました。








山門へと続いている参道の石段

本堂正面には、

雪舟筆と伝えられる青馬の額 があります。

撮影禁止の札はなかったのですが、

一応撮るのは止めておきました。








ここは、花のお寺

境内には、いろんなお花が咲いています♪








石段が雨で濡れていたので滑らないように注意しながら、

長い石段を、やっと登り切りました。








牡丹のお寺 としても有名なのだそうですが、

残念ながら、殆どの牡丹は終わっていました(涙)







滝壷に落ちる水音から

鼓の滝 と名付けられた3段の滝








滝の大岩

この大きな岩は、800年前に、

人の手で置かれたと推定されています。


というのは、左の滝川からこの岩の下に入ると、

キチンと四角に基礎の石を置いていて、

その上に、この大石が置かれえいるのです。


この岩のお陰で

梅雨期の大洪水が防げるのだとか。


800年も前に、一体どうやって据え付けたのでしょうか???








大青不動明王








ミヤコワスレ

このお花は我が家にもあったのですが、

気が付くと消えて無くなっていました(涙)








苔むした幹が美しかったので、

思わずパチリ





1日目のお参りはここまで。

その後、旅館に泊まり、

翌日は、もう1ヶ寺のお参りと、観光もしました。

観光のお話は次回にまわして、

今回は、翌日にお参りした三つ目のお寺の事を記録したいと思います。










第16番札所 正宗山 洞春寺(しょうしゅうざん とうしゅんじ)
・・・ 山口県山口市 ・・・


三矢の教えで有名な毛利元就の菩提寺




室町期の桧皮葺による山門 (重要文化財)

傷まないようにと、現在は使われていません。

私たちは、門の横から境内に入りました。








この門を 入れば 涼風 おのづから








本堂手前の中門








観音堂

聖観世音菩薩をお祀りしています。








ここにもありました。

中国観音霊場の印が・・・








禅宗の建物の中の床は、

みんな、こういう感じだそうです。








菩提樹の木








蕾がついていましたよ(*^-^*)








鐘楼門








昼食は、広島では有名な 酔心 毘沙門店

穴子の釜めしが最高に美味でした(^^)v



次回は、 瑠璃光寺と秋芳洞 のお話です。

泊まった旅館は、名物女将がいました。

その事も少しだけ書きますね(*^-^*)



***** つづく *****





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2017_05
11
(Thu)20:30

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第2回



今日は、とってもいいお天気♪

実は、私の誕生日なのですが、

夫は朝から地方史研究会の催しで出かけて、

夕方まで帰ってきません。

一人でノンビリと過ごしています。

・・・とも言えなくて、

一昨日から一泊二日で中国33観音巡りで山口県まで行っていて、

昨夜遅く帰宅したものですから、

庭の手入れと洗濯もの。

そして先日帰淡していた孫一家のお布団干し等々
<今まで干す暇がありませんでした(^^;)>

しなければならない事が満載!

花が終わったツツジの剪定を終えて、

干していたお布団を取り入れた後、

今(3時過ぎ)、家に入りホッとしています。



薔薇の花も留守中に大分咲き進んでいました。

今の薔薇の様子もUPしたいのですが、

先月に行ってきた「京都の大路小路を歩く」の

2回目の更新が未だなので、

記録の為に、先にこちらを更新したいとおもいます。

次々とスケジュールが入ってきて、

更新の方が追い付けない状態なんです(滝汗)







二条通 時代を切り開いた志士の足跡めぐり

平安京の東西路線としては最大級の51m。

平安京大内裏の南限にあたる通りで、

禁裏と世間を隔離する役割もあったそうです。



最初は、二条通より少し南にある河原町御池からスタート!

北へと向かいます。








長州屋敷跡 ・ 桂小五郎像

長州屋敷は、広大な敷地を占め、

幕末には尊王攘夷の歌劇派も頻繁に出入りするなど

政局の中心を担っていました。








高瀬川

1611年頃に角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河

京都らしい風景です。








高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)

この運河を運行する舟の荷物の上げ下ろしをする

船溜所を「舟入」と言って、

舟入は、この一之舟入を初め、数か所に設けられ

最盛期には百数十艘が上下し、

大阪などの物資を運び入れていました。


現在は、江戸時代の交通運輸の遺跡として史跡に登録されています。








島津製作所 創業の地

島津製作所の創業の地であるとともに、

明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など

多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもありました。








舎密局跡(せいみきょくあと)

明治維新期における化学技術の研究・教育、

および勧業のために作られた官営・公営機関。

「舎密(せいみ)」とはオランダ語「シェミー」の訳語で、

「化学」を意味します。








明治天皇行幸所 木戸邸

木戸孝允が病に伏せている時、

明治天皇がお見舞いに来られたそうです。

これは、とても異例な事で、

二人の親交の深さを物語っています。








木戸孝允 旧邸

もとは公家の名門五摂家のひとつ・近衛家の下屋敷で、

周辺一帯が敷地でした。


明治2年、明治新政府の高官となった木戸孝允(桂小五郎)は、

近衛家から土地と建物を譲り受け京都の別邸としました。


明治10年に病気療養中の木戸に

明治天皇の行幸がありましたが、

翌月に亡くなられました。享年44歳。








達磨堂

木戸孝允邸と、同じ敷地内にあります。

木戸孝允の息子・忠太郎さんが大正12年に

木戸邸の改修と併せて新築したコレクションルームです。

忠太郎さんは木戸の妻・松子(幾松)の妹の子どもとして生まれ、

3歳の時に木戸の養子となったそうです。

忠太郎さんが生涯に渡ってこだわり、

コレクションしていたものが達磨でした。








達磨堂の内部には、

忠太郎さんが50年以上かけて集めた達磨コレクションが、

隙間なく収められています。








ここにも、木戸孝允旧跡の石碑

敷地が広大だったことが分かります。








木戸屋敷跡に建てられているのが

「石長松菊園・お宿いしちょう」で、

修学旅行生の宿泊所になっているそうです。

「石長松菊園」の「松菊」は、木戸孝允の雅号に由来しているのだとか。








途中、トイレ休憩で立ち寄った公園の藤棚。

藤の花が綺麗でした。



その後、家具のまち(夷川通)から二条通へ・・・








薬祖神祠

薬にまつわる神様たちをお祀りしています。

この通りには、昔50を越す薬問屋や薬局などが並んでいました。

江戸時代から薬の町として栄えてたのです。

今は、それらしきものは殆ど見られませんでしたが。








ガラスが貼られた拝殿越しに中を見ると、

奥の方に本殿が見えます。








三井越後屋京本店 跡

江戸前期の豪商・三井高利は、

屋号を越後屋(後の三越)として

巨額の富を蓄え三井財閥の基礎を築きました。



NHK朝ドラ・「はるが来た」の主人公はるの実家は、

ここの親戚筋になるそうです。








こぬか薬師

ご本尊は、平安時代、最澄が刻んだという薬師如来

当初は美濃国に祀られていたのですが、

織田信長が上洛した際、こちらに祀ったと言われています。








こぬか薬師

1230年に京都に疫病が流行った時、

この薬師如来様が住職の夢に現れて、

「一切病苦、わが前に来たらば難病ことごとく除くべきに来也(こぬか)、来也(こぬか)」

と告げて病気を治したことから

「こぬか薬師」 とよばれるようになったそうです。


説明をして下さった住職の奥様が、

雨の中、ずっと私たちを見送ってくださいました。








唐 門

ゴールの 二条城 に到着!

雨が激しくなってきましたが、

中に入ればOK!








二の丸御殿

修学旅行でしょうか・・・

生徒さんたちも沢山見かけます。





中は撮影禁止なので、

二条城パノラマウォーク でもどうぞ(*^-^*)








外から見た 二の丸御殿








釣 鐘

京都所司代屋敷で、

家事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていました。

所司代が廃止sされた後、事情上に移されたと考えられています。








二の丸御殿は、東南から北西にかけて

6棟が鴈行形に立ち並ぶ御殿です。









二の丸庭園 へ・・・

下の方からも枝が出ていて、

まるで盆栽のような素晴らしい姿の松の木です。








二の丸庭園

池の中央に蓬莱島。左右に鶴亀の島を配した書院造庭園。

1626年の後水尾天皇行幸のために改修されました。


二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の

3方向から鑑賞できるように工夫されています。












神泉苑(しんせんえん)

平安京造営時に営まれた広大な禁苑で、

常に清泉が沸きだしえいることから「神泉苑」と名付けられました。

日照りが続いても神泉苑の水は枯れることがなく

この時ばかりは庶民も立ち入りを許されて、

お水が分け与えられたのだそうです。









法成橋

この橋は、心に願いを念じながら渡り

その思いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると

叶うと言われています(願いはひとつ)








善女龍王社

弘法大師空海様が

雨乞いのために北インドからおまねきになった神様です。

善女様は池の中にお棲みになっておられます。








歳徳神(さいとくじん)

恵方(その年の幸運の方角)を礼拝する社です。

毎年土台の石を回して、

方角を変えてお祀りする日本唯一の社。








鯉塚と亀塚

それぞれ、鯉と亀が彫られています。








昼食は からすま京都ホテル 入舟 で








夕食はオプションで わらびの里のお弁当(1000円お茶付き)

このお弁当は、予想していたより美味しかった(^^)v

帰りのバスの中で頂き、午後7時前に帰宅。

その後、7時半から始まる太極拳の練習に行ってきました。

充実の一日でした。






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2017_04
21
(Fri)19:30

<6番、7番、8番> 中国33観音巡りの旅




マタマタ久しぶりの更新です。

次々と予定が入ってきて、

PCに向かう時間を取るのが難しいこの頃です。



10日程前になりますが、

今月の11日に 中国33観音巡りの第2回目 に行ってきました。

朝起きたら生憎の雨・・・

天気予報では終日雨という事だったので、

折りたたみ傘ではなく、大きな傘をさしてバスの乗車場所まで行きました。





第7番札所  補陀落山 円通寺
・・・ 岡山県倉敷市 ・・・




10:40にようやく到着。

小雨が降ったり止んだりの中、

バスを降りて参道を歩いていると桜の花が咲いていました。

やはり、桜の花を見ると幸せな気分になります♪








手入れの行き届いた立派なお庭に

桜の花が彩りを添えています。








本 堂

ご本尊は聖観世音菩薩

茅葺の鄙びた感じの素敵な建物です。








満開の桜の花が迎えてくれました(^^)v








良寛堂

このお寺は、若き日の良寛さまが

長年修業された曹洞宗の名刹です。








純白のシャクナゲの花が綺麗~~~☆彡








馬酔木の花








レンギョウは、もう緑の葉っぱが出てきています。








良寛像と良寛堂








帰り道の参道から見たお庭








美しい満開の桜の花に、

私たち参拝者の顔は、思わずほころびます♪








山頭火句碑

「岩のよろしさも 良寛さまの想い出」


昭和11年、良寛さまが若き日に修業された地、

円通寺に足を運んだ時に詠まれた句

岩の多い寺の、その一つ一つに

厳しい修業時代の良寛さまの面影を偲び

後年の遊戯三昧自在の境地に入った良寛様を

遠く拝んだ句として有名。








お寺は高い所にあるので、見晴らしが素晴らしいです。

煙突から煙が上がっている一帯は、

水島工業地帯です。












車窓から見た桜並木










第6番札所  由加山 蓮台寺
・・・ 岡山県倉敷市 ・・・


 クリック! 拡大画像 








こちらも、桜の花が満開です♪








総本殿入り口


今回は、お参りの前に先に昼食を頂きます。

場所は、 備前藩主池田侯がお泊りになられた建物、

県指定重要文化財の「客殿 」
で。








精進料理 を頂きました。

最後に、蓮台寺名物のあんころ餅とお抹茶が出来てきまし。








お食事会場からは、 立派な庭園と奥の院 が見えます。








上の画像の左側








昼食後、客殿 を案内していただきましたが、

撮影NGだったので画像はありませんが、

1700年頃に完成した備前藩主池田侯の宿泊・休憩用の建物。

木造では県下最大の建物で、県指定重要文化財になっています。








瑜伽大権現

人々の願いを叶えるため

仏が権の姿(権現神)として現れたのが「権現さま」

瑜伽大権現は霊験あらたかで、

「厄よけの権現さま」 といわれています。








善の綱

誰一人もらすことなく「救いとる」御仏の手です。

権現さまと繋がる綱で結び付けられたこの手を撫でると

願いを聞き届けてくれるそのだそうです。








愛染明王

素晴らしい縁を結びつけてくださる仏様です。

良縁成就、夫婦和合などに霊験あらたか。








出た所に、 びんずる様 もいらっしゃいました。

頭、目、耳、膝・・・

いろんな所を撫でて、

これ以上悪くならないようお願いしました。








瑜伽三尊(十一面観世音菩薩・瑜伽大権現・弘法大師)をお祀りする総本殿

◎本尊 十一面観世音菩薩 (伝行基菩薩作)
◎鎮守瑜伽大権現 (本地:阿弥陀如来・薬師如来)
◎宗祖弘法大師









桜・桜・桜・・・

雨も止んで、お花を楽しみながら待っているバスへ。

そして、今回最後のお寺へと向かいます。

次のお寺は、広島県です。









第8番札所 中道山円光寺 明王院
・・・ 広島県福山市 ・・・




長い石段を上がっていきます。

雨は止んでいたけれど、下が濡れているので、

滑らないように注意しながら・・・








本堂[観音堂](国宝) 鎌倉時代末期の建築

ご本尊 十一面観世音菩薩








五重塔(国宝) 南北時代の建築

全国で5番目に古い塔だそうです。








このお寺は、 山陽花の寺24ヶ寺第18番札所 です。

こういうお飾りもしています。



この後、“生もみじ”で有名なにしき堂蔵王店

入り口で、生もみじ の試食があって

とても美味しかったので、

12個購入しました。

妹一家にも好評だったので、

機会があれば、是非又買ってみたいお菓子の一つになりました。






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2017_03
31
(Fri)19:50

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第1回




今日は、トールペイントのお稽古日だったのですが、

先生のご都合でお休み。

1日、ポカッと時間が出来たのですが、生憎外は雨・・・

お陰で、ゆっくりとPCに向かう事が出来、

先日の京都の路めぐりの第1回目の日記を完成させることが出来ました。

ちょっと長くなりましたが悪しからずご了承くださいね。







今月から、中国33観音巡りの他に、

もう一つ新しいツアーが始まりました。

京都の町を、一条通りから九条通りまで

名所・旧跡を訪ねながら

9回に分けて順に歩くのです。



1回目は、今月の22日に参加。

一条通を歩いてきました。



異界うごめく平安京の北限 ≪一条通≫ と

妖怪も夜行した伝説の道 ≪妖怪ストリート≫ 散歩へ










トイレ休憩に立ち寄った淡路SAから見た

明石海峡大橋

この橋が出来て島外へ行くのがとっても便利になりました。







11時過ぎに、ちょっと早めの昼食を取り、

堀川通を北上して一条通へ








一条戻橋

堀川に架けられている一条通の橋


この橋と、次に行く清明神社の事は、

前に行った時に書いた日記 に出ていますので、

興味のある方は、覗いてみてくださいね。








戻橋のたもとの桜

川津桜かしら???

とっても綺麗です~~~☆彡












清明神社 一の鳥居

陰陽師 安倍晴明をお祀りしている神社です。

向こうには二の鳥居が見えています。








清明神社 本殿

左手前は、 陰陽師・安倍晴明公の像








ご神木

樹齢推定300年の楠。

楠は、虫除けなどに使われる樟脳の原料です。

立て札に

樹皮に触れると独特の感覚があります。

両手をあてて大樹の力を感じとってください。


と書かれていたので、両手を当てて、

大樹の息吹を感じてみました。












一条通のウォーキングスタート!

五条通などと違って、以外に道が狭いです。








黒田如水(官兵衛の出家名) 邸宅跡

この辺りは、官兵衛の名前にちなむ「如水町」や

旧姓をとった「小寺町」などの町名が残っています。








創業元治元年 と書かれています。

元治って西暦何年なのかしら?

調べてみると、 1864年 でした。

明治元年が1868年なので、

江戸時代の最後から明治、大正、昭和、平成と、

延々と商いを続けていた事になります。

京都って、やっぱり凄いわね~








垣根の椿の花の花に、思わず引き込まれます♪








浄福寺 赤門(東門)

1788年、京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり、

火は浄福寺にも迫りましたが、この朱塗りの東門の手前で止まりました。


火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗 で、

天狗は赤門の横の大樹の上で

巨大なうちわを扇いで火を消したのだといわれています。








赤門横の 護法堂 では鞍馬の天狗をお祀りしています。








鞍馬の天狗がこの モチノキ の上で、

大うちわで火を消し止めたと伝わっています。








屋根瓦にも天狗のウチワ(ヤツデ)の絵








浄福寺 本堂


2つの建物からなる本堂は珍しい様式ですが、

8代将軍吉宗によって奥行きが制限されたので、

寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。


実は、二棟になっているのは屋根だけで、

本堂の中は、ひとつになっているのだそうです。








このツアーでは、 らくたび さんの案内で歩いているのですが、

ガイドさんのお話では、

屋根を重ねて二棟に見せている

日本で1番古い違法建築 ですって。












ここは、織物で有名な 西陣  の職人さんたちが

遊んでいて所だそうです。








京都は、 「ウナギの寝床」 といわれる

間口が狭くて奥行きの広い家が多いので、

こんな風に、奥の家の表札が並んで掛けられている所が結構あります。


右にかかっているのは、

ホーロー製の町名看板

森下仁丹創業者・森下博氏が、

「広告物も世の為人のためになるべき」と、

明治43年頃から全国の辻々に掲げたそうです。

最近では、約750枚まで減少。

その多くは、京都に残っているそうです。








クレマチスが大きなお花を咲かせています。

これは、多分花付きをお店で買ってきたのでしょうね。

我が家のクレマたちは、まだ新芽が出始めたばかりだもの。








チンチン電車モニュメント

明治になって、東京が首都となり、

天皇が東京にお移りになりました。

京都は、「天皇さんがおられなくならはった!」

と、騒然となったのです。



明治政府はそれを鎮めるため、

わが国近代化の先駆けを、まず京都で 行うことにしました。

すなわち、かの有名な 疎水運河 と、

そしてそれに関連して、

わが国最初の発電所(蹴上発電所)と電気鉄道 を作ったのです。


明治28年2月1日、

日本で初めて京都の街に電車が走りました。

北野のチンチン電車は、明治、大正、昭和と3世代にわたり

今のJR京都駅と北野天満宮を往復 していたのです。







大将軍八神社

平安京造営の際、陰陽師によって

御所の北西にあたる天門の方向に

星神を待つる「大将軍堂」が建てられ、

方位の厄災を解除する社として創建されました。


明治時代、神仏分離令によって、暦神の八神が習合し、

以後、「大将軍八神社」と呼ばれるようになりました。








神仏分離前の名残りでしょうか。

立派な山門が立っています。








境内から山門を通して向こうを見ると、

石の鳥居が見えます。








山門の屋根には、唐獅子と








牡 丹

唐獅子牡丹というと、任侠映画が思い浮かびますが、

ここでの取り合わせには、

一体どんな意味があるのでしょうね???








本 殿








招霊ノ木(神代榊)












一条妖怪ストリート

桓武天皇が平安京を作られた頃は、

一条通は北の端。

その北側は未開の地で、妖怪がウロウロしていたそうです。








大将軍商店街がいろんなイベントを通じて

商店街の活性化を行っているそうです。












北野天満宮 一の鳥居








天神様と言えば

参詣者の方々が撫でるので、ピカピカです。


牛を愛された天神様。

ご自身も丑年だったそうです。








楼 門








三光門【重要文化財】

本殿前の中門で、

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。

ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、

「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。








太陽の彫刻








月の彫刻


三光門と言われるのに何故星がない?

ガイドさんの説明では、平安時代、大極殿から

帝が北野天満宮に向かってお祈りをささげられる際、

三光門の上に北極星が輝いていたことから

星は刻まれていないと伝えられています。








うさぎとうさぎの間に

銀色の三日月が見えます。

星は探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。








社 殿 【国宝】

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿

石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。








この辺りから画像が暗くなています。

帰宅してから気が付いたのですが、

カメラが撮影オートから

知らない間にマニュアルに変わっていたのです。



時々やるんです。こういう失敗(^^ゞ








社殿の素晴らしい建物を眺めながら

周りをぐるっと歩きました。








天神様と言えば、牛の他に梅・・・

梅の木も至る所に植えられています。








梅 苑

梅を愛した道真公ゆかりの梅の木50種約1500本が

約2万坪の敷地に咲き競っています。








写真があまりにも暗かったので、

こちらの方は画像処理をして、

少しだけ明度を上げてみました。








昼食は、「じねん と 食堂」でのバイキング








「じねん」とは「自然」の事

地元の農家さんが真心を込めて作った野菜と、

お客様との出会いを、じねんと食堂がお手伝いします。


とのことだそうです。

ご前11時と、ちょっと早い昼食でしたが、

素材を生かした「おばんさい」の数々を

美味しくいただきました。







今回の京都巡りを歩いた順に書いていったら

恰好長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

2回に分けようかとも思ったのですが、

一回で収める方が、後で見やすいという

自分勝手な都合でこうなってしまいました。


次回は、4月に、二条通を歩きます。






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