2017_03
31
(Fri)19:50

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第1回




今日は、トールペイントのお稽古日だったのですが、

先生のご都合でお休み。

1日、ポカッと時間が出来たのですが、生憎外は雨・・・

お陰で、ゆっくりとPCに向かう事が出来、

先日の京都の路めぐりの第1回目の日記を完成させることが出来ました。

ちょっと長くなりましたが悪しからずご了承くださいね。







今月から、中国33観音巡りの他に、

もう一つ新しいツアーが始まりました。

京都の町を、一条通りから九条通りまで

名所・旧跡を訪ねながら

9回に分けて順に歩くのです。



1回目は、今月の22日に参加。

一条通を歩いてきました。



異界うごめく平安京の北限 ≪一条通≫ と

妖怪も夜行した伝説の道 ≪妖怪ストリート≫ 散歩へ










トイレ休憩に立ち寄った淡路SAから見た

明石海峡大橋

この橋が出来て島外へ行くのがとっても便利になりました。







11時過ぎに、ちょっと早めの昼食を取り、

堀川通を北上して一条通へ








一条戻橋

堀川に架けられている一条通の橋


この橋と、次に行く清明神社の事は、

前に行った時に書いた日記 に出ていますので、

興味のある方は、覗いてみてくださいね。








戻橋のたもとの桜

川津桜かしら???

とっても綺麗です~~~☆彡












清明神社 一の鳥居

陰陽師 安倍晴明をお祀りしている神社です。

向こうには二の鳥居が見えています。








清明神社 本殿

左手前は、 陰陽師・安倍晴明公の像








ご神木

樹齢推定300年の楠。

楠は、虫除けなどに使われる樟脳の原料です。

立て札に

樹皮に触れると独特の感覚があります。

両手をあてて大樹の力を感じとってください。


と書かれていたので、両手を当てて、

大樹の息吹を感じてみました。












一条通のウォーキングスタート!

五条通などと違って、以外に道が狭いです。








黒田如水(官兵衛の出家名) 邸宅跡

この辺りは、官兵衛の名前にちなむ「如水町」や

旧姓をとった「小寺町」などの町名が残っています。








創業元治元年 と書かれています。

元治って西暦何年なのかしら?

調べてみると、 1864年 でした。

明治元年が1868年なので、

江戸時代の最後から明治、大正、昭和、平成と、

延々と商いを続けていた事になります。

京都って、やっぱり凄いわね~








垣根の椿の花の花に、思わず引き込まれます♪








浄福寺 赤門(東門)

1788年、京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり、

火は浄福寺にも迫りましたが、この朱塗りの東門の手前で止まりました。


火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗 で、

天狗は赤門の横の大樹の上で

巨大なうちわを扇いで火を消したのだといわれています。








赤門横の 護法堂 では鞍馬の天狗をお祀りしています。








鞍馬の天狗がこの モチノキ の上で、

大うちわで火を消し止めたと伝わっています。








屋根瓦にも天狗のウチワ(ヤツデ)の絵








浄福寺 本堂


2つの建物からなる本堂は珍しい様式ですが、

8代将軍吉宗によって奥行きが制限されたので、

寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。


実は、二棟になっているのは屋根だけで、

本堂の中は、ひとつになっているのだそうです。








このツアーでは、 らくたび さんの案内で歩いているのですが、

ガイドさんのお話では、

屋根を重ねて二棟に見せている

日本で1番古い違法建築 ですって。












ここは、織物で有名な 西陣  の職人さんたちが

遊んでいて所だそうです。








京都は、 「ウナギの寝床」 といわれる

間口が狭くて奥行きの広い家が多いので、

こんな風に、奥の家の表札が並んで掛けられている所が結構あります。


右にかかっているのは、

ホーロー製の町名看板

森下仁丹創業者・森下博氏が、

「広告物も世の為人のためになるべき」と、

明治43年頃から全国の辻々に掲げたそうです。

最近では、約750枚まで減少。

その多くは、京都に残っているそうです。








クレマチスが大きなお花を咲かせています。

これは、多分花付きをお店で買ってきたのでしょうね。

我が家のクレマたちは、まだ新芽が出始めたばかりだもの。








チンチン電車モニュメント

明治になって、東京が首都となり、

天皇が東京にお移りになりました。

京都は、「天皇さんがおられなくならはった!」

と、騒然となったのです。



明治政府はそれを鎮めるため、

わが国近代化の先駆けを、まず京都で 行うことにしました。

すなわち、かの有名な 疎水運河 と、

そしてそれに関連して、

わが国最初の発電所(蹴上発電所)と電気鉄道 を作ったのです。


明治28年2月1日、

日本で初めて京都の街に電車が走りました。

北野のチンチン電車は、明治、大正、昭和と3世代にわたり

今のJR京都駅と北野天満宮を往復 していたのです。







大将軍八神社

平安京造営の際、陰陽師によって

御所の北西にあたる天門の方向に

星神を待つる「大将軍堂」が建てられ、

方位の厄災を解除する社として創建されました。


明治時代、神仏分離令によって、暦神の八神が習合し、

以後、「大将軍八神社」と呼ばれるようになりました。








神仏分離前の名残りでしょうか。

立派な山門が立っています。








境内から山門を通して向こうを見ると、

石の鳥居が見えます。








山門の屋根には、唐獅子と








牡 丹

唐獅子牡丹というと、任侠映画が思い浮かびますが、

ここでの取り合わせには、

一体どんな意味があるのでしょうね???








本 殿








招霊ノ木(神代榊)












一条妖怪ストリート

桓武天皇が平安京を作られた頃は、

一条通は北の端。

その北側は未開の地で、妖怪がウロウロしていたそうです。








大将軍商店街がいろんなイベントを通じて

商店街の活性化を行っているそうです。












北野天満宮 一の鳥居








天神様と言えば

参詣者の方々が撫でるので、ピカピカです。


牛を愛された天神様。

ご自身も丑年だったそうです。








楼 門








三光門【重要文化財】

本殿前の中門で、

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。

ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、

「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。








太陽の彫刻








月の彫刻


三光門と言われるのに何故星がない?

ガイドさんの説明では、平安時代、大極殿から

帝が北野天満宮に向かってお祈りをささげられる際、

三光門の上に北極星が輝いていたことから

星は刻まれていないと伝えられています。








うさぎとうさぎの間に

銀色の三日月が見えます。

星は探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。








社 殿 【国宝】

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿

石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。








この辺りから画像が暗くなています。

帰宅してから気が付いたのですが、

カメラが撮影オートから

知らない間にマニュアルに変わっていたのです。



時々やるんです。こういう失敗(^^ゞ








社殿の素晴らしい建物を眺めながら

周りをぐるっと歩きました。








天神様と言えば、牛の他に梅・・・

梅の木も至る所に植えられています。








梅 苑

梅を愛した道真公ゆかりの梅の木50種約1500本が

約2万坪の敷地に咲き競っています。








写真があまりにも暗かったので、

こちらの方は画像処理をして、

少しだけ明度を上げてみました。








昼食は、「じねん と 食堂」でのバイキング








「じねん」とは「自然」の事

地元の農家さんが真心を込めて作った野菜と、

お客様との出会いを、じねんと食堂がお手伝いします。


とのことだそうです。

ご前11時と、ちょっと早い昼食でしたが、

素材を生かした「おばんさい」の数々を

美味しくいただきました。







今回の京都巡りを歩いた順に書いていったら

恰好長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

2回に分けようかとも思ったのですが、

一回で収める方が、後で見やすいという

自分勝手な都合でこうなってしまいました。


次回は、4月に、二条通を歩きます。






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