2017_06
25
(Sun)16:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第4回




やっと梅雨らしくなってきました。

庭仕事は一休みして、

今月の17日に行ってきたバスツアーの事を記録に残しますね。


四条通「情緒あふれる東山と路地裏めぐり」

四条通は、東は八坂神社の西楼門から

西は松尾大社まで続く

京都中心部の幹線道路で、

花街、歌舞伎、祇園祭、鴨川の納涼、金融街、百貨店など、

幾つもの顔を持っています。


今回は、四条通を歩くのは、四条大橋だけで、

後は、四条界隈を散策しました。








知恩院 山門 (国宝)

徳川2代将軍秀忠の命を受けて建立されました。

構造は入母屋造本瓦葺で、

高さ24メートル、横50メートル、屋根瓦約7万枚。

その構造や規模では、

わが国現存の木造建築としては最大級の二重門。

外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳二畳以上にもなるとの事。


ここからスタート!

この辺り一帯が 丸山公園 です。







平野屋総本家 いもぼう

この道は、京都市立美術館から阪急四条河原町駅まで歩く時に

何時も通る道なのですが、

この300年続く老舗「いもぼう」のお店が毎回気になります。

子芋と棒鱈を煮たお料理らしいのですが・・・








丸山公園のしだれ桜

円山公園には、しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜など約700本の桜があって、

毎年多くの花見客で賑わいます。

その公園の中央にあるのが、このしだれ桜

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」

一旦、木が弱って衰弱していたのですが、

近年、元気を取り戻したみたいです。








長楽館

明治42年、たばこ王・村井吉兵衛氏によって

国内外の賓客を持てなすための

迎賓館として作られました。

今も、ホテルやレストランとして営業しています。

1度は行ってみたい所ですが、

残念ながら、まだ機会はありません。








丸山公園は、明治19年開設の市最古の公園です。

東山を背に約86600㎡と、とても広大です。








祇園祭りの時の山鉾を保管する倉庫









八坂神社




舞 殿

舞の奉納など、様々な催しに使われています。

沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものが殆どで、

八坂神社に対する地元の信仰の厚さが伺われます。









舞殿&本殿

八坂神社は656年の創建と伝えられています。

祭神として

スサノヲノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミ が祀られています。

祇園造り(本殿と拝殿を一つの屋根で覆う)と言われる独特の形式で、

現在のものは1654年に再建されたもの。








檜皮葺の屋根が美しいです♪








南楼門

八坂神社の表参道・正門で、

約140年ぶりに進められていた修復工事が

今春に終了したのだそうです。








美御前社

美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされています。








美容水

社殿前には、神水が湧き出ていて、

肌の健康は言うまでもなく、

心から美しく磨かれる「美容水」として

珍重されているそうです。

それでは・・・と、

私も手にかけてきました。

ホントは飲むのかしら???












建仁寺派 法観禅寺の五重塔

聖徳太子のご建立で、日本最初の宝塔












ここから五重塔を見る風景が

旅行雑誌などでよく紹介されているそうです。

私も以前、TVのプレバトの俳句

この風景を見たことがありますが。












安井金毘羅宮 会館

天智天皇の御代に、藤原鎌足が創建

四国の金毘羅さんと同じ神さまがお祀りされているそうです。








縁切り縁結び碑

この碑にお札を貼り付けて、穴を潜ると、

行きは悪縁を断ち切り、

帰りは良縁に恵まれると言われています。








順番を待つ長い列が出来ています。

どんな悪縁を切って、どんな良縁をお願いするのかしら?

ズラッとかけられている絵馬を見ると、

凄い事が書かれているのもありましたよ。








拝殿&本殿

碑を潜るのは諦めて、

ここで病気との悪縁を断ち切れるようお祈りしました。













祇園甲部歌舞練場

有名な 都をどり の会場なのですが、

前に黄色いカボチャの置物が見えます。

ちょっと建物にはそぐわない様な気がするのですが、

あれは・・・








想像通り、 草間彌生さんの水玉カボチャ でした。

一体どういう理由で???












花見小路 へ入りました。

観光客でいっぱいです。








途中、ポスターが貼られていました。

帰って調べてみると、

こんなサイト を見つけました。

歌舞練場内に、フォーエバー現代美術館が出来

オープニング展として、

「フォーエバー現代美術館コレクション展 草間彌生 My Soul Forever展」

を開催するそうです。

そしてこのカボチャは、

フォーエバー現代美術館のシンボル作品として

常設展示されるそうなんです。


以前、香川県の直島に行った時

海辺に展示されたカボチャは、

自然と溶け合って素晴らしかったのですが・・・








一力亭

花見小路の四条通の入り口にある

大石内蔵助が豪遊したとか、

近藤勇や大久保利通、西郷隆盛も通ったとかという

一見さんお断りのお茶屋さん です。








元々この店の屋号は「万屋」だったそうです。

ところが、仮名手本忠臣蔵では、

この店の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号に変えました。

芝居は大当たり!

以来、屋号までが芝居の中で使われた

「一力」という名で呼ばれるようになったのだそうです。












祇園 巽橋(たつみばし)

祇園は京都を代表する花街。

その中を流れる白川に架けられているのが巽橋です。








白川の流れ

比叡山を源流とし、鴨川に注いでいます。








辰巳大明神

元は御所の辰巳の方向を守るために祀られたのですが、

現在では芸舞妓を中心とした祇園の人々に崇敬され、

技芸上達の神様として崇められています。








周りの柵には、聞き覚えのある名前も幾つか・・・








祇園 お茶屋街

ここで芸舞妓を呼んで、

仕出しのご馳走と一緒に楽しむのだそうです。

私のような一般庶民には別の世界ですね(苦笑)








白川通を歩いて行きます。

至る所で、レンタル着物を着た外国人に出会いました。

彼女たちには、今、ブームなのでしょうね。








吉井勇 歌碑


かにかくに 祇園は恋し 寝る時も
枕のしたを 水のながるる









第二次世界大戦の時の建物疎開で、

この辺り一帯は、防火の為に建物を壊したのだそうですが、

それまでは、白川の上にもお茶屋さんが立っていたそうなので、

「枕の下を 水のながるる」と、

昔を懐かしんで読まれたのだそうです。








紫陽花の季節ですね。








この頃は、梅雨にも関わらす晴天続きでしたが、








それにもめげずに、素敵な青色をして、

歩き疲れた私たちを癒してくれました。












四条大橋

私にとっては、よく通っていた

馴染みの橋です。








出雲阿国の像

関ケ原合戦の翌年、京の都で阿国は、

だて男のような装いで、「かぶきをどり」を披露しました。

その後、女歌舞伎が流行しましたが、

1629年に禁止され、

男性が女性役も演じる今のスタイルになりました。

これが今へと続く、歌舞伎の始まりとされているそうです。








京都四條南座

出雲阿国が、京・四条河原で阿国かぶきを創始したことが

歌舞伎の起源とされていますが、

その歌舞伎発祥の地で、悠久400年近くに亘る今日まで

歌舞伎を上演しているという意味で、

日本最古の歴史と伝統を持つ劇場と言われています。








明治39年に松竹に買収され、以後松竹の直営になり、

松竹マークが使用されています。








川床(かわゆか)








先斗町(ぽんとちょう)

ここも花街(かがい)のひとつです。

京都には五花街があって、

祇園甲部・先斗町・上七軒・ 祇園東・宮川町の5ヶ所








途中、鴨川の岸辺に出ると、

川床が身近に見えます。

ここで、夕方から川床料理を頂いている様子がが、

京都の夏の風物詩になっています。








先斗町通りを北上








傘と紫陽花を添えた可愛いお着物

思わず立ち止まってパチリ!












鉄筋のこの古い建物には・・・








「京都市立立誠小学校」との看板がありますが、

今は廃校になっていて、公的な催しに使われているそうです。








建物の前には、「土佐藩邸跡」と書かれた石碑

土佐藩では、坂本龍馬、武市隋山、後藤象二郎など

多くの獅子が活躍し、幕末の政局を動かしていました。

坂本龍馬は、脱藩した後、このお屋敷で

7日間の蟄居を行っただけで許されたのだそうです。








又、建物の前を高瀬川が流れていて、

高瀬川を作った角倉了以(すみのくらりょうい)の像 も立っています.。












岬神社(土佐稲荷)

元は土佐藩内にあって、

坂本龍馬や中岡慎太郎も詣でたとされています。












ここにも紫陽花が・・・












近江屋跡 

しょう油商を営んでいた近江屋に宿泊していた

坂本龍馬と中岡慎太郎は、

刺客に襲われ命を落としました。

大政奉還から1ヶ月後の

明治という新しい扉が開かれる直前でした。








錦市場

「京都の台所」と称されている所です。

今回は、端から端まで歩きましたが、

余りにも人が多すぎて、人ごみに酔ってしまい

殆ど何も買わないで通り過ぎました。

一応、保冷袋と保冷剤を持っていたのですが(苦笑)








昼食は、ザ・ビュッフェスタイルSARA で

夫が名前を聞いた時に、

以前に一度来たことがあるって言っていましたが、

私は、思い出せませんでした。








でも、お店の入り口まで来たときには、

ちゃんと思い出しましたよ(^^)v







ここ1週間、時間のある時に書き溜めていた今回の日記

長くなったので、2回に分けようかとも思ったのですが、

やはり、1回にします。

長い日記を最後まで読んで下さってありがとうございました。






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2017_06
06
(Tue)10:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第3回




今日(6/6)は、中国観音巡りの4回目で

尾道まで行ってきたのですが、

予定より1時間以上早く帰れたので、

この間から書きかけていた先月の京都歩きの日記を仕上げました。

長いので2回に分けようかとも思ったのですが、

この後に、もう一つ家島へ行った日記が残っているので、

一気にUPする事にしました。






先月の20日に、京都の大路小路を歩くの第3回

三条通り「文明開化を告げた近代建築巡り」 に参加しました。








三条大橋

徳川家康によって定められた 東海道五十三次の西の起点

東海道は、京都の三条大橋~江戸の日本橋です。







 クリック! 拡大画像 


三条大橋には

豊臣秀頼が大改修した時の銘入りの擬宝珠(ぎぼうし) があります。

2本の傷は、幕末の池田屋騒動の時、

争いがここまで流れてきて付いた 刀傷 だと言われています。








橋のたもとには、道中安全祈願として

「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さん が立っています。








「三条河原」 と呼ばれ

処刑や処刑後の晒し首が行われました。


ここで処刑・晒し首にされた著名な人物は

石川五右衛門



釜茹での刑

豊臣秀次



さらし首、その妻子側室侍女39名が処刑

石田三成



六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首

近藤勇 - 新撰組局長



晒し首









それでは、 三条通のウォーク のスタートです。








瑞泉寺 本堂

江戸初期の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が、

豊臣秀吉の甥の秀次の菩提を弔うために建立した寺院。








秀次一族が三条河原で処刑されて埋蔵された塚の石塔が、

高瀬川建設の時に発掘され、

角倉了以が、塚を修築して堂宇を建立。








秀次一族の墓

秀吉に子供が生まれたので、

邪魔になる秀次に謀反の疑いをかけて

高野山に追放し、切腹させました。

そして、秀次の遺児、正室・側室合わせて39名が

三条河原で処刑されたのです。








酢 屋

酢屋は、創業280年の材木商で、

幕末当時の6代目・酢屋嘉兵衛は、

高瀬川での水運業の実権も持っていました。


彼は、坂本龍馬の活動に理解を示し、

海援隊の京都本部が酢屋内に設けられていたのです。








家の前に、石碑が立っています。








池田屋騒動の跡

尊王攘夷派の志士が密談を行っていた時、

近藤勇が率いる新選組が、襲撃したので有名な事件現場。








高瀬川








川辺の建築・TIME’S~安藤忠雄の建築

高瀬川・三条小橋のたもとに建つ

ウォーターフロントのはしりの商業施設








三条通がアーケードのある商店街になりました。








三条通と寺町通りの交差点にあるのが 三嶋亭

明治の文明開化華やかなりし頃からの、

創業明治6年のすき焼の老舗。








もう少しアーケードの下を歩いて行くと、

文明開化を告げた近代建築が

次々と現れます。








1928ビル

建てられた年代が、そのままビルの名前になっています。

毎日新聞社の京都支局として長らく使われていましたが、

現在は竣工当初からあった3階のホールなどを活用した

市民向けの施設として使われています。


※手前の男性は、私たちのガイドさん

説明が、とても分かりやすかったです。








家邊徳時計店

1890年(明治23年)の建築で

京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類に属します。








日本生命京都三条ビル

1914年(大正3年)の建築








分銅屋足袋

創業1864年の老舗足袋専門店








京都文化博物館 別館 (国の重要文化財)

日本銀行の京都支店として、日本銀行本店や東京駅など

日本を代表する明治期の近代建造物を設計した

辰野金吾とその弟子である長野宇平治の設計により

1906年(明治39年)に建築されました。


1986年(昭和61年)4月に京都府に寄贈され、

現在は京都文化博物館別館に転用され公開されています。








ホール内では展覧会や音楽会など

様々な催しを開催しています。








銀行の名残りの窓口

素晴らしい細工です。








中京郵便局

赤煉瓦が美しいこの郵便局舎は、

1902年(明治3年)に京都郵便電信局として建てられたもの。

竣工当初から現在に至る115年間、

現役の郵便局舎として使われ続けてきたという由緒ある建物なのです。








六角堂   山門








御 堂

聖徳太子創建のお寺で、

生け花発祥の地でもあります。








正式な寺号は頂法寺ですが、

御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。








柳の枝2本を取っておみくじを結びつけると、

縁結びになると言われているそうです。

くれぐれも、1本や3本の枝に結びつけないように・・・








へそ石

旧本堂の礎石と伝えられているもの。

ほぼ京都の真ん中に位置していたことから、

そう呼ばれていのだとか。








エレベーターに乗って上から見ると

屋根が六角形なのがわかります。








町家美術館 紫織館

大正15年に240坪の敷地に建てられた

大塀建築(だいべいづくり)の京町家の代表例。


屋根の上に見える洋館は、

祇園祭りの山鉾巡業の鉾見台








中に入って見学出来ました。








和室から見たお庭








置時計








応接間のステンドグラス

和室は、数寄屋の名工によって建築され、

洋館部分も、その時代の有名な建築家の設計だそうです。








次の目的地に向かって歩いていると、

発掘調査の現場がありました。

京都は歴史があるので、

建築現場で遺跡が出てくることがよくあり、

そうなると、建設工事が中断されて、

発掘が始まるのです。

施工者にとっては、費用も時間も大幅にかかり、

とても大変なのだそうです。








旧本能寺跡の石碑








明智光秀の謀反により織田信長を自害させた事で

有名な「本能寺の変」で知られるお寺








本能寺が焼失したという事で、

ここには本能寺消防分団がありました。








空也堂(くうやどう)

平安時代、空也(くうや)が創建したといわれ

ご本尊も空也立像という事からそう呼ばれています。








屋根瓦には菊のご紋が・・・

皇室とかんけいがあるのでしょうか?







とっても暑い日で、

電光掲示板の気温が34℃

5月からこの調子だと、

この後、6月、7月の京とはどうなるのだろう?と、

ちょっぴり心配になりました。








昼食は、美濃吉 四条烏丸店

下の箱は引き出しになっています。

京都らしいお料理でした(^^♪






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2017_05
11
(Thu)20:30

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第2回



今日は、とってもいいお天気♪

実は、私の誕生日なのですが、

夫は朝から地方史研究会の催しで出かけて、

夕方まで帰ってきません。

一人でノンビリと過ごしています。

・・・とも言えなくて、

一昨日から一泊二日で中国33観音巡りで山口県まで行っていて、

昨夜遅く帰宅したものですから、

庭の手入れと洗濯もの。

そして先日帰淡していた孫一家のお布団干し等々
<今まで干す暇がありませんでした(^^;)>

しなければならない事が満載!

花が終わったツツジの剪定を終えて、

干していたお布団を取り入れた後、

今(3時過ぎ)、家に入りホッとしています。



薔薇の花も留守中に大分咲き進んでいました。

今の薔薇の様子もUPしたいのですが、

先月に行ってきた「京都の大路小路を歩く」の

2回目の更新が未だなので、

記録の為に、先にこちらを更新したいとおもいます。

次々とスケジュールが入ってきて、

更新の方が追い付けない状態なんです(滝汗)







二条通 時代を切り開いた志士の足跡めぐり

平安京の東西路線としては最大級の51m。

平安京大内裏の南限にあたる通りで、

禁裏と世間を隔離する役割もあったそうです。



最初は、二条通より少し南にある河原町御池からスタート!

北へと向かいます。








長州屋敷跡 ・ 桂小五郎像

長州屋敷は、広大な敷地を占め、

幕末には尊王攘夷の歌劇派も頻繁に出入りするなど

政局の中心を担っていました。








高瀬川

1611年頃に角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河

京都らしい風景です。








高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)

この運河を運行する舟の荷物の上げ下ろしをする

船溜所を「舟入」と言って、

舟入は、この一之舟入を初め、数か所に設けられ

最盛期には百数十艘が上下し、

大阪などの物資を運び入れていました。


現在は、江戸時代の交通運輸の遺跡として史跡に登録されています。








島津製作所 創業の地

島津製作所の創業の地であるとともに、

明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など

多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもありました。








舎密局跡(せいみきょくあと)

明治維新期における化学技術の研究・教育、

および勧業のために作られた官営・公営機関。

「舎密(せいみ)」とはオランダ語「シェミー」の訳語で、

「化学」を意味します。








明治天皇行幸所 木戸邸

木戸孝允が病に伏せている時、

明治天皇がお見舞いに来られたそうです。

これは、とても異例な事で、

二人の親交の深さを物語っています。








木戸孝允 旧邸

もとは公家の名門五摂家のひとつ・近衛家の下屋敷で、

周辺一帯が敷地でした。


明治2年、明治新政府の高官となった木戸孝允(桂小五郎)は、

近衛家から土地と建物を譲り受け京都の別邸としました。


明治10年に病気療養中の木戸に

明治天皇の行幸がありましたが、

翌月に亡くなられました。享年44歳。








達磨堂

木戸孝允邸と、同じ敷地内にあります。

木戸孝允の息子・忠太郎さんが大正12年に

木戸邸の改修と併せて新築したコレクションルームです。

忠太郎さんは木戸の妻・松子(幾松)の妹の子どもとして生まれ、

3歳の時に木戸の養子となったそうです。

忠太郎さんが生涯に渡ってこだわり、

コレクションしていたものが達磨でした。








達磨堂の内部には、

忠太郎さんが50年以上かけて集めた達磨コレクションが、

隙間なく収められています。








ここにも、木戸孝允旧跡の石碑

敷地が広大だったことが分かります。








木戸屋敷跡に建てられているのが

「石長松菊園・お宿いしちょう」で、

修学旅行生の宿泊所になっているそうです。

「石長松菊園」の「松菊」は、木戸孝允の雅号に由来しているのだとか。








途中、トイレ休憩で立ち寄った公園の藤棚。

藤の花が綺麗でした。



その後、家具のまち(夷川通)から二条通へ・・・








薬祖神祠

薬にまつわる神様たちをお祀りしています。

この通りには、昔50を越す薬問屋や薬局などが並んでいました。

江戸時代から薬の町として栄えてたのです。

今は、それらしきものは殆ど見られませんでしたが。








ガラスが貼られた拝殿越しに中を見ると、

奥の方に本殿が見えます。








三井越後屋京本店 跡

江戸前期の豪商・三井高利は、

屋号を越後屋(後の三越)として

巨額の富を蓄え三井財閥の基礎を築きました。



NHK朝ドラ・「はるが来た」の主人公はるの実家は、

ここの親戚筋になるそうです。








こぬか薬師

ご本尊は、平安時代、最澄が刻んだという薬師如来

当初は美濃国に祀られていたのですが、

織田信長が上洛した際、こちらに祀ったと言われています。








こぬか薬師

1230年に京都に疫病が流行った時、

この薬師如来様が住職の夢に現れて、

「一切病苦、わが前に来たらば難病ことごとく除くべきに来也(こぬか)、来也(こぬか)」

と告げて病気を治したことから

「こぬか薬師」 とよばれるようになったそうです。


説明をして下さった住職の奥様が、

雨の中、ずっと私たちを見送ってくださいました。








唐 門

ゴールの 二条城 に到着!

雨が激しくなってきましたが、

中に入ればOK!








二の丸御殿

修学旅行でしょうか・・・

生徒さんたちも沢山見かけます。





中は撮影禁止なので、

二条城パノラマウォーク でもどうぞ(*^-^*)








外から見た 二の丸御殿








釣 鐘

京都所司代屋敷で、

家事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていました。

所司代が廃止sされた後、事情上に移されたと考えられています。








二の丸御殿は、東南から北西にかけて

6棟が鴈行形に立ち並ぶ御殿です。









二の丸庭園 へ・・・

下の方からも枝が出ていて、

まるで盆栽のような素晴らしい姿の松の木です。








二の丸庭園

池の中央に蓬莱島。左右に鶴亀の島を配した書院造庭園。

1626年の後水尾天皇行幸のために改修されました。


二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の

3方向から鑑賞できるように工夫されています。












神泉苑(しんせんえん)

平安京造営時に営まれた広大な禁苑で、

常に清泉が沸きだしえいることから「神泉苑」と名付けられました。

日照りが続いても神泉苑の水は枯れることがなく

この時ばかりは庶民も立ち入りを許されて、

お水が分け与えられたのだそうです。









法成橋

この橋は、心に願いを念じながら渡り

その思いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると

叶うと言われています(願いはひとつ)








善女龍王社

弘法大師空海様が

雨乞いのために北インドからおまねきになった神様です。

善女様は池の中にお棲みになっておられます。








歳徳神(さいとくじん)

恵方(その年の幸運の方角)を礼拝する社です。

毎年土台の石を回して、

方角を変えてお祀りする日本唯一の社。








鯉塚と亀塚

それぞれ、鯉と亀が彫られています。








昼食は からすま京都ホテル 入舟 で








夕食はオプションで わらびの里のお弁当(1000円お茶付き)

このお弁当は、予想していたより美味しかった(^^)v

帰りのバスの中で頂き、午後7時前に帰宅。

その後、7時半から始まる太極拳の練習に行ってきました。

充実の一日でした。






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2017_03
31
(Fri)19:50

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第1回




今日は、トールペイントのお稽古日だったのですが、

先生のご都合でお休み。

1日、ポカッと時間が出来たのですが、生憎外は雨・・・

お陰で、ゆっくりとPCに向かう事が出来、

先日の京都の路めぐりの第1回目の日記を完成させることが出来ました。

ちょっと長くなりましたが悪しからずご了承くださいね。







今月から、中国33観音巡りの他に、

もう一つ新しいツアーが始まりました。

京都の町を、一条通りから九条通りまで

名所・旧跡を訪ねながら

9回に分けて順に歩くのです。



1回目は、今月の22日に参加。

一条通を歩いてきました。



異界うごめく平安京の北限 ≪一条通≫ と

妖怪も夜行した伝説の道 ≪妖怪ストリート≫ 散歩へ










トイレ休憩に立ち寄った淡路SAから見た

明石海峡大橋

この橋が出来て島外へ行くのがとっても便利になりました。







11時過ぎに、ちょっと早めの昼食を取り、

堀川通を北上して一条通へ








一条戻橋

堀川に架けられている一条通の橋


この橋と、次に行く清明神社の事は、

前に行った時に書いた日記 に出ていますので、

興味のある方は、覗いてみてくださいね。








戻橋のたもとの桜

川津桜かしら???

とっても綺麗です~~~☆彡












清明神社 一の鳥居

陰陽師 安倍晴明をお祀りしている神社です。

向こうには二の鳥居が見えています。








清明神社 本殿

左手前は、 陰陽師・安倍晴明公の像








ご神木

樹齢推定300年の楠。

楠は、虫除けなどに使われる樟脳の原料です。

立て札に

樹皮に触れると独特の感覚があります。

両手をあてて大樹の力を感じとってください。


と書かれていたので、両手を当てて、

大樹の息吹を感じてみました。












一条通のウォーキングスタート!

五条通などと違って、以外に道が狭いです。








黒田如水(官兵衛の出家名) 邸宅跡

この辺りは、官兵衛の名前にちなむ「如水町」や

旧姓をとった「小寺町」などの町名が残っています。








創業元治元年 と書かれています。

元治って西暦何年なのかしら?

調べてみると、 1864年 でした。

明治元年が1868年なので、

江戸時代の最後から明治、大正、昭和、平成と、

延々と商いを続けていた事になります。

京都って、やっぱり凄いわね~








垣根の椿の花の花に、思わず引き込まれます♪








浄福寺 赤門(東門)

1788年、京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり、

火は浄福寺にも迫りましたが、この朱塗りの東門の手前で止まりました。


火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗 で、

天狗は赤門の横の大樹の上で

巨大なうちわを扇いで火を消したのだといわれています。








赤門横の 護法堂 では鞍馬の天狗をお祀りしています。








鞍馬の天狗がこの モチノキ の上で、

大うちわで火を消し止めたと伝わっています。








屋根瓦にも天狗のウチワ(ヤツデ)の絵








浄福寺 本堂


2つの建物からなる本堂は珍しい様式ですが、

8代将軍吉宗によって奥行きが制限されたので、

寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。


実は、二棟になっているのは屋根だけで、

本堂の中は、ひとつになっているのだそうです。








このツアーでは、 らくたび さんの案内で歩いているのですが、

ガイドさんのお話では、

屋根を重ねて二棟に見せている

日本で1番古い違法建築 ですって。












ここは、織物で有名な 西陣  の職人さんたちが

遊んでいて所だそうです。








京都は、 「ウナギの寝床」 といわれる

間口が狭くて奥行きの広い家が多いので、

こんな風に、奥の家の表札が並んで掛けられている所が結構あります。


右にかかっているのは、

ホーロー製の町名看板

森下仁丹創業者・森下博氏が、

「広告物も世の為人のためになるべき」と、

明治43年頃から全国の辻々に掲げたそうです。

最近では、約750枚まで減少。

その多くは、京都に残っているそうです。








クレマチスが大きなお花を咲かせています。

これは、多分花付きをお店で買ってきたのでしょうね。

我が家のクレマたちは、まだ新芽が出始めたばかりだもの。








チンチン電車モニュメント

明治になって、東京が首都となり、

天皇が東京にお移りになりました。

京都は、「天皇さんがおられなくならはった!」

と、騒然となったのです。



明治政府はそれを鎮めるため、

わが国近代化の先駆けを、まず京都で 行うことにしました。

すなわち、かの有名な 疎水運河 と、

そしてそれに関連して、

わが国最初の発電所(蹴上発電所)と電気鉄道 を作ったのです。


明治28年2月1日、

日本で初めて京都の街に電車が走りました。

北野のチンチン電車は、明治、大正、昭和と3世代にわたり

今のJR京都駅と北野天満宮を往復 していたのです。







大将軍八神社

平安京造営の際、陰陽師によって

御所の北西にあたる天門の方向に

星神を待つる「大将軍堂」が建てられ、

方位の厄災を解除する社として創建されました。


明治時代、神仏分離令によって、暦神の八神が習合し、

以後、「大将軍八神社」と呼ばれるようになりました。








神仏分離前の名残りでしょうか。

立派な山門が立っています。








境内から山門を通して向こうを見ると、

石の鳥居が見えます。








山門の屋根には、唐獅子と








牡 丹

唐獅子牡丹というと、任侠映画が思い浮かびますが、

ここでの取り合わせには、

一体どんな意味があるのでしょうね???








本 殿








招霊ノ木(神代榊)












一条妖怪ストリート

桓武天皇が平安京を作られた頃は、

一条通は北の端。

その北側は未開の地で、妖怪がウロウロしていたそうです。








大将軍商店街がいろんなイベントを通じて

商店街の活性化を行っているそうです。












北野天満宮 一の鳥居








天神様と言えば

参詣者の方々が撫でるので、ピカピカです。


牛を愛された天神様。

ご自身も丑年だったそうです。








楼 門








三光門【重要文化財】

本殿前の中門で、

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。

ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、

「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。








太陽の彫刻








月の彫刻


三光門と言われるのに何故星がない?

ガイドさんの説明では、平安時代、大極殿から

帝が北野天満宮に向かってお祈りをささげられる際、

三光門の上に北極星が輝いていたことから

星は刻まれていないと伝えられています。








うさぎとうさぎの間に

銀色の三日月が見えます。

星は探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。








社 殿 【国宝】

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿

石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。








この辺りから画像が暗くなています。

帰宅してから気が付いたのですが、

カメラが撮影オートから

知らない間にマニュアルに変わっていたのです。



時々やるんです。こういう失敗(^^ゞ








社殿の素晴らしい建物を眺めながら

周りをぐるっと歩きました。








天神様と言えば、牛の他に梅・・・

梅の木も至る所に植えられています。








梅 苑

梅を愛した道真公ゆかりの梅の木50種約1500本が

約2万坪の敷地に咲き競っています。








写真があまりにも暗かったので、

こちらの方は画像処理をして、

少しだけ明度を上げてみました。








昼食は、「じねん と 食堂」でのバイキング








「じねん」とは「自然」の事

地元の農家さんが真心を込めて作った野菜と、

お客様との出会いを、じねんと食堂がお手伝いします。


とのことだそうです。

ご前11時と、ちょっと早い昼食でしたが、

素材を生かした「おばんさい」の数々を

美味しくいただきました。







今回の京都巡りを歩いた順に書いていったら

恰好長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

2回に分けようかとも思ったのですが、

一回で収める方が、後で見やすいという

自分勝手な都合でこうなってしまいました。


次回は、4月に、二条通を歩きます。






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