2017_12
10
(Sun)20:20

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第9回




今日はお日様が出て、

比較的穏やかな1日でした。

今年も後わずか・・・

気持ちは急いていますが、

相変わらずバスツアーを楽しんでいます♪

昨日は、兵庫県朝来市界隈へ行ってきましたが、

今冬初めての雪景色にも巡り合えました。







3月から始まった千年の都「平安京」の大路小路を歩くも

12月2日に行ってきた今回の九条通で最終回になりました。






「羅城門」と東西の官寺が都の威厳を放った≪九条通り≫


平安京の南限、「九条大路」にあたる道。

東は東大路から西は葛野大路に至る4.1km

平安遷都の時には、都の正門・羅城門

堂々たる姿で建てられていました。








若一神社(にゃくいちじんじゃ)








平安末期、平清盛の邸宅・西八条第を建てた際に

敷地内の鎮守社として紀州熊野の若一王子をお祀りしました。








本 殿


清盛がその後、太政大臣に任ぜられたことから

「開運出世の神」として信仰されています。








境内で仰ぎ見ると

モミジの赤が青空に映えてとても綺麗~~~☆彡








クスノキ(?)も、空を覆い隠すかのように

大きく枝を張っています。








歌 碑

~萌出づるも枯るるも同じ野辺の草
            いづれか秋にあはで果つべき~


意味:芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、

野辺の草は結局みな同じように、

秋になると枯れ果ててしまうのです。

<人の世の無情を歌った平家物語の史跡>








平清盛像








楠社(くすやしろ)

樹齢800年を超す大樹。

平清盛のお手植えと言われ、若一神社の御神木。


昭和9年に市電のレールが敷設される際に

木を切ろうとしたら不幸が相次いだので

レールはクスノキを避けてカーブするように設けられました。












西寺跡

794年に平安京が作られた時

羅城門の西に創建されました。


東の東寺と共に、国家を守護する二大宮寺の役割を担っていました。

990年の大火など火災が相次ぎ焼滅。








礎石だけが残っています。












鎌達稲荷(けんたついなり)神社

ここは、伏見稲荷大社よりも歴史が古くて、

元稲荷とも伝えられています。


平安朝以降は

陰陽師・安倍晴明の子孫、安倍土御門家ゆかりの神社となっています。








サムハラの御守りが有名なのだそうですが

御社殿の右手に写真のような小さな箪笥が置かれていて

引き出しを開けると、御札、御朱印等と共に用意されています。

代金は、御社殿のお賽銭箱にお納めするのだそうです。







サムハラの御守り

「サムハラ」は漢字で表記することができない神字。

呪文のようなものです。


弾除け、厄除け、無病、無傷の護符とされ、

古くは加藤清正が朝鮮出兵の折に

「サムハラ」の4字を刀に刻んで戦いに挑み、

九死に一生を得たのだとか。












羅城門跡

794年の平安遷都の時に建設された平安京の正門

京の中央を南北に貫く朱雀大路の南の端にそびえていました。

幅33m、高さ21mもある巨大な門でしたが

奥行きが8mと短かった為に風に弱く

2度強風により倒壊。

その頃、既に平安京の西域が衰退していたこともあって

朱雀大路がメインストリートでは無くなっていので

その後の再建はありませんでした。












矢取地蔵

平安初期、東時には空海、西寺には守敏(しゅびん)という僧が住持し、

その勢力を競っていました。

長く日照りが続いた時、ふたりは「雨乞い合戦」をし

空海に軍配が上がりました。


以来、守敏は空海を恨み

羅城門近くを通る空海を待ち伏せして

矢を放って命を狙ったのですが

お地蔵さまが身代わりとなって助けたと言われています。


このお地蔵さまが「矢取地蔵」と呼ばれ

災難除けのご利益で信仰を集めているのだそうです。












千年の都「平安京」の大路小路を歩くの

最終ゴールの東寺です♪








南大門

東寺は、唯一残る平安京の遺構です。

創建からおよそ1200年。

平成6年に世界遺産として登録されました。


門を通して見えるのは金堂








新幹線の車窓からこの五重塔(国宝)が見えると

京都に着いたんだって何時も思います。


ラッキーな事に

五重塔の初層内部が一般公開されていました。







もう終わってしまったと思っていたのですが、

思いがけず美しい紅葉に出会えました。








金 堂 (国宝)

豊臣秀吉の再建で、

ご本尊・釈迦如来像が安置されています。








講 堂 (重文)

大日如来を中心に五大明王(国宝)など

21体の仏像が安置されています。

この配列は、「立体曼荼羅」と言われています。








瓢箪池と五重塔のコラボ

絵になります(*^_^*)








瓢箪池の水面に映った紅葉

素敵です~~~☆彡








カメラを、少し右に移しました。

青空も映って素晴らしいです(^^)v








この位置は五重塔を写すスポットのようで

沢山のカメラマンがいました。

人物を外して写すのに苦労しました(^-^;








御影堂(国宝)へも行ってみたかったのですが

残念ながら修復中でした。







今回は九条通りだったので、高速インターから近い所でした。

ガイドさんと落ち合うのはお昼過ぎだったので、

午前中に少し時間の余裕がありました。


昼食場所の近くの神社へ・・・








御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ) 表門







表門を潜り抜けると鳥居があり、

その向こうには立派な参道が続いています。








拝 殿

安産の大神として広く崇められている

神功皇后(じんぐうこうごう)を主祭神とした神社








お宮参りをしていました。

赤ちゃんとパパ&ママ

それに両方のおじいちゃまおばあちゃまなのでしょうね。

お幸せに・・・・・








絵馬堂

大きな絵馬が沢山飾られていました。








もう椿の花が咲いています♪

この日は、小春日和の気持ちのいい日でした(^^)v








武田街道の車石、車道








伏見城跡残石








昼食は伏見の十二屋








鉄板しゃぶしゃぶ定食

柔らかくて美味しいお肉でしたが

量が少なくて、ちょっと物足りなかったので、

翌日の夜は鉄板焼きにしました。







最終回を迎えて、ちょっぴり寂しさを感じましたが

来春には、新たな京都シリーズが始まるのだとか。

楽しみが出来ました\(^o^)/






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。


スポンサーサイト
2017_11
21
(Tue)20:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第8回




このところ真冬の様な寒さが続いています。

そんな中、19日(日)には歴史ウォークで洲本市内を散策。

寒風に吹かれながらでしたが、

楽しく郷土史のお勉強をしてきました。

でも、その事を書く前に、

未だ更新していない旅日記があるのです(汗)

そう、今月の11日に行ってきた京都の道歩きです。







栄華を極めた平家の夢の跡≪八条通≫と「島原」へ


平安京の「八条通」にあたる道は、

東は河原町通から、途中JR線に中断されながら

西は桂大橋西詰まで続いています。

平安末期には、平清盛の「西八条第」がありました。








島原大門

八条通を少し北に上がったところにあります。

島原は、日本最初の公に認められた花街です。


京都を代表するイメージの1つに舞妓さんや芸鼓さんの姿がありますが、

京都の舞妓さん、芸鼓さんは、祇園甲部、宮川町、先斗町、祇園東、上七軒の五花街の

何処かに所属しています。

京都の花街はかつて、五花街以外にもう一ヶ所ありました。

それが島原という花街です。

こちらは主に、皇族や貴族を中心にもてなした花街で、

当時女性に与えられた最高の位・大夫を授けられた女性が活躍した街です。








輪違屋(わちがいや)

創業1688年、320年以上の歴史を誇り、

今も営業を続ける島原唯一の置屋です。

輪違屋には今も大夫が在籍しています。








東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)


 平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられていたが、この島原付近は東鴻臚館址にあたる。当時この館を利用したのは唐ではなく、渤海国の使節に限られた。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜20年(920)
頃には廃せられた。そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。

       平成十三年十一月吉日
                 島原伝統保存会


白梅や墨芳しき鴻臚館   蕪村

   









角屋おもてなしの文化美術館

島原の開設当時からの歴史を持つ旧揚屋

現在の料理屋・料亭にあたります。








 門口(かどぐち)

門口とは街路から人が出入りする門のこと。

普段は閉まっています。








上の画像の門口を内側から見たところです。

角屋の家紋「蔓三つ蔦(つるみつつた)」を染めた暖簾が下げられています。








新選組の刀傷

角屋の支払いに「ツケ」がきかなくなったのに腹を立てた

新選組の1人が付けた傷。








趣のある釣瓶にも角屋の家紋「蔓三つ蔦」








玄関(来客用)








台 所

角屋は、大人数の宴が段取りできる

大規模な台所を備えていました。








梅小路公園へ・・・

市街地の中心にありながら

緑と花を身近に感じることの出来る空間として

平成7年に開園しました。








秋の色に染まった木々を眺めながら

公園内を歩いて行きます♪








この日はお天気が良くて

将に小春日和








歩いていても空気が清々しく気持ちがいい~~~☆彡








西八条第跡

この辺りには、平清盛をはじめとする一門の邸宅群がありました。

6町(約6ヘクタール)以上を占める広大な敷地を有し、

東山の六波羅邸に匹敵する程だったとの事です。








京都水族館

2012年3月に開業した内陸型水族館で、

日本初の完全な人工海水利用型水族館。








さくらの回廊

21世紀の桜の名所になるように

代表的なサトザクラ27種、130本を植樹しています。








今年の紅葉は、ホントに素晴らしいですね。

特別に紅葉狩り等には行っていないのですが、

行く先々で素晴らしい紅葉が楽しめます。








やっと八条通を西に向かって歩き始めました。

通りはJR線に沿って伸びています。








八条通と壬生通の交差点にあるのは・・・








六孫王神社








清和源氏発祥の宮とも書かれていますが・・・









六孫王大神(ろくそんのおうおおかみ)をお祀りする神社

清和天皇第六皇子の貞純親王の子で、

天皇の孫であることから「六孫王」と称される源経基(経基王)のことです。








本 殿

境内は源経基の邸宅の跡地で、

経基が臨終の際に

「死後は龍神となって邸内の池に住んで子孫の繁栄を祈るから、この地に葬るように」

と遺言したといわれています。








神龍池








誕生水弁財天社

源経基の子の満仲誕生の産湯に使われた井戸の上に祀られたことから、

誕生水弁財天と呼ばれるようになったそうです。

現在では幼児の守護神とされ、

特に井戸水は安産の水や健育の産湯として

都七名水のひとつに数えられているそうです。








ルリマツリがこんな木立仕立てに出来るんですね。

我が家はフェンスに絡ませているのですが・・・








狛犬でガイドさんのお話。

右の狛犬が夫で鞠で遊んでいます。

左の狛犬がその妻で、口をへの字にして

「遊んでばかりしないで、ちょっとは子供の面倒も見てよ」

って怒っているように見えませんか?(笑)








源経基は牡丹を愛でていたので

境内には牡丹の株が沢山植えられています。

そして、社紋も牡丹です。



その後、八条通を東へと歩き、

JR京都駅の八条口で買い物時間を取り、

帰路に着きました。












昼食は、ANAクラウンプラザホテル京都のコジー








ロビーには、砂糖工芸菓子・二条城

このホテルは、二条城の前にあるのです。








ランチバイキングです♪








先月の昼食は、みんなブーイングでしたが

今回は大満足~~~☆彡

でも、悲しい事に、そんなに沢山は食べられないんですよね(涙)


来月は、九条通り。

いよいよ最終回です。







今週の木曜日は祖母の25回忌法要

金曜日は、トールのお稽古日で、

土曜日は地区の芸能祭で、太極拳を表演。

そして、日曜日は、美術鑑賞のバスツアーが待っています。

・・・と、相変わらずハードスケジュールをこなしている私です(滝汗)







にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_10
26
(Thu)21:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第7回




今週末に又台風がやって来るみたいです。

明日から2泊3日で、東京から友人二人が来て下さる予定なので、

ちょっと心配です。

実は最初は先週末に予定していたのですが、

22日に太極拳のフェスティバルがあるので、

急きょ、1週間延ばしていただいたのです。

で、皆さんご存知のように台風襲来!

伸ばしてヨカッタって思っていたのですが・・・(滝汗)


22日のフェスティバルは、マイクロバスを仕立てて参加。

107チームの参加だったのですが、

驚いたことに、1チームも棄権しなかったのだそうです。

私たちの出番は、12時過ぎだったので、

表演が終わった後、お弁当を頂いて、

直ぐに淡路島の方へと帰ってきました。

帰宅後、TVを見ると、沢山の警報が出ていたので、

無事に帰って来られてヤレヤレでした。



24日には、神戸新聞の「兵庫五国を歩こう」で

丹波地方へ行ってきたのですが、

大きな木の枝が折れたり、稲が倒れていたり、

浸水した所もあったみたいで、

大変だったんだな~と思いました。

お陰さまで我が家は、皇帝ダリアが2本倒れただけで済みましたが。







ミステリーツアーの翌日(10/11)に行ってきた

「平安京の大路小路を歩く」の7回目です。


天下人の栄枯盛衰を伝える≪七条通≫と美の国宝巡り

七条通は、平安京の「七条大路」にあたる道。

東は東大路通(現在の智積院前)から

西は桂大橋東詰めに至る6kmで、

東本願寺や西本願寺に隣接しているため仏壇仏具店の多い所です。








鴨川に掛かる七条大橋












鴨川にカモの群れ












創業380年の京料理のお店 道楽

秀吉ゆかりの瓢箪が暖簾になっています。


江戸時代寛永年間、

石田三成の軍師・島左近の邸宅跡に茶店を開いたのが始まりとされ、

京都市より歴史的意匠建造物に指定されています。








どんなお店か興味があったのでネット検索

HPを覗いてみると・・・

庶民の私には、ちょっと手の届かないお店のようです(苦笑)












耳塚(鼻塚)

豊国神社門前にある史跡で

戦国時代は、敵の首を取って戦功を証明するのが習わしだったのですが、

秀吉の朝鮮出兵の時、首だと持って帰るのに大変だから耳。

でも、耳だと左右二つあって数をごまかせるので鼻になったのだそうですが

鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降、

耳塚という 呼称が広まったそうです。












豊国神社

秀吉が亡くなり、ご遺体が方広寺近くの阿弥陀ヶ峰に埋葬され

その麓に方広寺の鎮守社として廊所が建立。

後陽成(ごようぜい)天皇から「豊国大明神」の神号が贈られた

秀吉をお祀りしています。



豊臣家滅亡とともに、徳川家の命により廃絶となりましたが、

後に明治天皇の勅命により再興されました。








豊国神社 唐門

伏見城から持ってきたとされています。

漆を塗り、彫刻や飾金具を施したその豪華絢爛な唐門は、

桃山文化を代表する建築の一つとして国宝に指定されています。








豊国寺の正面通りは、こんなに広い。

出来た時、沢山の人たちがお参りに来たからだそうです。








唐門正面にかかげられている「豊国大明神」の額は、

後陽成(ごようぜい)天皇のご真筆 で、

旧豊国社伝来の勅額です。


額の両側にある鶴は、左甚五郎作 と伝えられ、

「目無しの鶴」 と呼ばれています。

何故かというと、あまりにも見事な作なので、

目を入れると飛んでいってしまうかも・・・という事です。








両側には、秀吉をお祀りしている所だけあって

ひょうたん絵馬 が下がっています。








唐門の向こうの拝殿では

ちょうど結婚式を執り行っていました。

どうかお幸せに・・・・



そういえば、3年くらい前に

日本史のお勉強ツアーでここに来た時も、

やはり結婚式が行われているのを見かけました。










隣接されている 方広寺

救世の悲願を込めて銘文が刻印された

「国家安康の鐘」で有名なお寺です。








文中の、「国家安康 君臣豊楽」が故意に曲折して読み取られ、

徳川家への呪いを込めた文章であるとして、

豊臣氏討滅への口実に利用されたのです。








方広寺と豊国神社の間の東側には

大仏殿跡があります。



天正14(1586)年、秀吉が創建した方広寺には

19mの木造大仏を安置する大仏殿が建てられていましたが

慶長元(1596)年の大地震で倒壊。

秀吉の死後、家康の勧めで

世継ぎ・秀頼と淀姫が再建したのですが、

それも、寛文(1662)年の地震で再び倒壊しました。。

そして後に

人々の寄進で作られた木造大仏も

昭和48年に焼失したのだそうです。








芙蓉の花がひっそりと咲いています。










妙法院門跡へ・・・

後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られています。








「門跡」とは、

皇族・貴族の子弟が歴代住持となる別格の寺院








庫裏 (国宝)

庫裏とは、僧侶らが食事や入浴、休息等の日常生活をおくる所。








庫裏 (国宝)

3層屋根の最上階は「煙出し」と呼ばれていて、

煙突にするには勿体ない様な作りです。








庫裏の南に建つ妙法院玄関












妙法院と智積院の間の道は、

今でも、「豊国廊参道」と呼ばれています。

この先の阿弥陀ヶ峰山頂に、秀吉のお墓があります。

西から、西本願寺、豊国神社、豊国廊が一直線に並んでいるのですが、

家康は、それを遮るかのように、

西本願寺と豊国神社の間に東本願寺を建てたそうです。








智積院

秀吉が愛児・鶴松の菩提を弔うために創建したお寺







智積院 金堂

智積院の寺紋は桔梗

金堂の参道前にはキキョウがたくさん植えられています。








お花は、もう盛りを過ぎていましたが、

少しだけ咲いていました。








モミジの葉と苔の緑が美しい。

紅葉も綺麗でしょうね。



収蔵庫で長谷川等伯・久蔵親子

国宝の障壁画を鑑賞

ガラス越しではなくて、目の当たりに国宝の絵が見られる所は

そんなにないでしょうね。

残念ながら、等伯の有名な楓図は、

直ぐそばの京都国立博物館の国宝展の方に

貸し出されていて見られませんでしたが・・・








お庭も有名なので、

次は、そちらの方へ・・・








講 堂

この中からお庭を見ます。








「利休好みの庭」と伝えられるこのお庭は

中国の盧山をかたどっているそうです。








池の水が不透明なのは、濁っているのではなくて

長江を模したのだそうです。








お庭を眺める大書院には、

レプリカの絵が描かれています。








講堂の内部も見学できます。








各部屋に、いろんな絵が飾られていますが、

こちらは、撮影OK(^^)v








ハート形発見!(*^_^*)








千両のような赤い実を見ながら、

智積院とはお別れ・・・












方広寺 南大門

三十三間堂の南側にあります。

※門の左側の塀は三十三間堂


創建当時の方広寺が、

如何に広大だったか想像できます。












法住寺 竜宮門

平安時代中期に藤原為光によって創設され、

その後院政期には、

この寺を中心に後白河上皇の宮廷「法住寺殿」がいとなまれていました。








ご本尊の不動明王は、義仲の放火のさいに、

後白河上皇の身代わりとなったと伝えられていて

身代わり不動として親しまれているそうです。








いい香りが漂ってくると思ったら

大きな金木犀の木がありました。








後白河天皇陵

法住寺と隣接

法住寺は後白河天皇の御陵をまもる寺として長く存続しました。












養源院

秀吉の側室・淀殿が、

父・浅井長政の追善供養のために創建したお寺

ここは、前を通り過ぎただけでしたが、








この「血天井」の立て札が気になります。

「血天井」は、血の染み込んだ板で作った天井のこと。

伏見城で亡くなった徳川家の家臣・380余名の

冥福を祈るために作られたそうです。








京都国立博物館

今、「国宝展」が開催されていて

長谷川等伯の楓図も、今ここに来ています。


この敷地も、方広寺の境内だったそうです。








史跡 方広寺石塁

京都国立博物館の正門の左側。

石の大きさを左の人物と比べてみてくださいね。

まさに、「秀吉らしい」と思わせる巨石の石垣です。








昼食は、京御膳

写真で見ると美味しそうに見えるかもしれないのですが、

こんなに不味いお食事は初めて。

みなさん、ブーイングでした(苦笑)









何度も参加していると、

こういう時もあるのでしょうね。

多分、旅行会社の人は、

写真とお値段だけ見て、試食はしていないと思いました。







あ~、又長くなってしまいました。

最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。

お勉強した事はマダマダいっぱいあるのですが、

私も疲れたので、この辺でお終いにします。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_09
17
(Sun)13:40

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第6回




台風が鹿児島に上陸したようですね。

進路を見ると、日本列島を縦断しそうです。

最近、想定外の気候が続いていますが、

大きな被害が出ないようにと祈るばかりです。







今年の3月から始まった「平安京の大路小路を歩く」は、

7月に五条通りを歩いた後、8月はお休みだったので、

今回(9/3)は、久しぶりのウォーキングで、

六条通りを歩いてきました。


東西ふたつの本願寺が並ぶ≪六条通≫と≪ご利益めぐり≫

長くなりますが、記録に残しておきたいので、

一気に載せたいと思います。

興味のない方は、スルーして下さいね。








最初は、西本願寺に隣接している

龍谷大学の大宮キャンパス

ここは、お坊様が勉強する学校が始まりでした。

正門は、重要文化財です。








本館 (重要文化財)

明治12年に竣工した、大宮キャンパスのシンボル的建物。

石造りに見えますが、

木造建築の壁に石を貼り付けてあるのだそうです。

この時代には、とても珍しい建物でした。








北黌(ほっこう) 重要文化財

白亜の美しい壁と

アーチ型に連なるヨーロッパ調の窓が印象的な北黌は、

同じ意匠の南黌(なんこう)と対をなしている優雅な建築物です。

本館と同じ明治12年に竣工された歴史的な建物です。


昔は、全国から学びに来ていたお坊様の卵の寮でしたが、

今は、教室になっているそうです。







西本願寺へと向かいます。

西本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山

親鸞の死後、娘・覚信尼が、

親鸞像を安置した御影堂を東山の吉水に建て、

これが後に、「本願寺」と呼ばれるようになりました。


以来、各地を転々とした後、

1591年、豊臣秀吉から現在地を寄進され移転。








唐 門 (国宝)

桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した

檜皮葺き・唐破風の四脚門で、

伏見城から持ってきたと伝えられています。


来年から修復作業に入るので、

そうなると、当分の間見られなくなるそうです。








彫刻を眺めていると、

日が暮れるのを忘れてしまうほど見事なので、

「日暮しの門」とも呼ばれています。







築地塀(ついじべい)

切妻造、本瓦葺の版築の塀で

一番格の高い5本の定規筋が引かれています。








御影堂門

門の向こうに見えるのは目隠塀








御影堂(ごえいどう) 国宝

親鸞聖人像がお祀りされています。








本願寺のイチョウ 推定樹齢400年

低い位置から横に大きな枝を伸ばしている

ちょっと変わった樹形をしています。

2度の大火で、火の粉を浴びながらも

生き延びたイチョウです。








以前、TV朝日の世界が驚いたニッポン! スゴ~イデスネ!!視察団

飾り金具を黄金に輝かせる!日本古来の「金箔加工」

平らな銅板に細かな模様を浮かび上がらせて立体的に見せる「たがね打ち」

というのを見たことから、

こういう金具にも興味を持つようになりました。








近くで見ると、ホントに素晴らしい技術ですね。








阿弥陀堂だったか御影堂だったかは忘れたのですが、

床の修理の跡が、楽しい図形になっています。

素晴らしい技術を持った職人さん達、

こういった遊び心もあるんですね。

「一富士 二鷹 三ナスビ」もありますよ(*^-^*)








太鼓楼

本願寺の東北角にある重層の楼閣で、

内部に今も残る大きな太鼓は、

江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。


幕末、本願寺を一時的に屯所としていた

新撰組による刀傷が、

今も残っていると伝えられえています。












亀屋陸奥 銘菓≪松風≫

西本願寺門前に店を構える「亀屋陸奥」は

室町時代中頃より本願寺の諸雑務に携わり

合戦に同行した際、

3代目当主が兵糧として考案したのが始まり。

白みそを練り込んだ生地は、

もちっとした触感で、ケシの実の風味と相まって

深い味わいがするそうです。

※この写真は、ブログに載せたいのでと、

ショーウィンドーの中を写すのを了承して頂きました。












左女牛井(さめがい)之跡

平安時代から京の名水として知られていた井戸の跡。

このあたりに、源氏が居を構えた六条堀川館があり、

左女牛井はその邸内にありました。

後に、千利休などの茶人にも愛用されたといわれています。












いよいよ五条通を歩き始めます♪

先頭を歩いているのは、

洛を旅する らくたびガイドの安達さん



六条通は平安京の「六条大路」にあたり、

東は河原町通から西は堀川通に至る道。

東西の本願寺に隣接しています。


中世までは六条通の東の端・鴨川一帯は

「六条河原」と呼ばれる罪人の処刑場所でした。

普通、身分のある人の処刑場は三条河原で、

極悪罪人は六条河原でしたが、

石田光成は、六条河原で処刑されたのだそうです。








近年では、外国人観光客向けの

ゲストハウスがたくさん並んでいます。








こちらもゲストハウス







東本願寺へ・・・

真宗大谷派の本山。

「お東さん」の愛称で親しまれています。

1602年に第12世・教如が

徳川家康から現在の土地の寄進を受けて建立。


家康が、秀吉を祀った方広寺と

秀吉ゆかりの西本願寺の間を遮るように作ったとも言われています。








勅使門

屋根が切妻造りの檜皮葺による四脚門








御影堂門へ・・・








御影堂門

京都三大門(東福寺、知恩院)の1つ

先を白く塗った組木が素晴らしいです♪








正面に「真宗本廟」の額が架かっています。








こちらの技術も見事です。








御影堂

御真影(宗祖・親鸞の座像)を安置しています。








御影堂

外観が二重屋根なので二階建てに見えますが

下部の屋根は裳階(もこし)なので

単層建築になります。








阿弥陀堂門

切妻造・檜皮葺きの四脚門。

正背面に唐破風を設けています。









京都タワー

高さが131mというのは、

建てられた時の京都市の人口。

東本願寺の横にあるので、

ロウソクの形をしていると、よく言われますが、

白くほっそりとしたフォルムは

海のない京都の街を照らす灯台をイメージ。








御影堂門の前にある噴水は、

防火用水なのだそうです。

昔は、琵琶湖から引かれている疎水を

高低差を利用して使っていましたが、

今は、動力があるので、

地下水を汲み上げているのだそうです。












文子(あやこ)天満宮

大宰府に左遷された菅原道真の没後、

道真の乳母だっら多治比文子(たじひのあやこ)は、

「われを北野の地に祀れ」

との道真の託宣を受けたそうです。








文子は貧しく、社殿を建てることが出来なかったので、

自宅に小祠を建てて道真の霊を祀りました。

それが、北野天満宮の前身とも言われています。








という事で、

小さいけれど、「学問の神様」として

とても人気のある所だそうです。








文子像








相生のご神木 招霊(おがたま)の木

「良縁成就、夫婦円満」と書かれています。








道真公 腰掛石

大宰府へご左遷の際に立ち寄られ、

腰掛けられたと伝えられています。








石の上に硬貨がお花の形に置かれていますが・・・








これは、天満宮の社紋の梅鉢の形なのですね。








門の前には、

ノボタンが綺麗に咲いていました。

やはり、お花を見かけるとホッとします。











長講堂

後白河法皇が六条御所内に持仏堂を建立したのが起こり。

法華経を長期間講習する堂としてその名が付けられました。








中に入らないで、門から中を覗いただけ。

お庭も素晴らしいそうですが、

今回は時間がないとの事でした(涙)








スイレンの花が咲いていました。












市比賣(いちひめ)神社








京都中央市場の守護神と崇められています。

女神を祀ることから、

女人守護神としても知られていて、

特に、女人厄除けにご利益があるそうです。








天之真名井(あめのまない)

歴代天皇の産湯に用いられ、

現在も名水として茶会に用いられているそうです。








山門の上に、マンションが覆いかぶさるように建っていますが、

ここは、女性専用のマンションなんだそうですよ。

ここなら、神さまに守られて安心ですよね(^^)v












上徳寺








世継地蔵菩薩の提灯

私たちのガイドさんも、

ここにお参りして、お孫さん授かったそうです。








本堂

永観堂のものが移築されたという事です。

中には阿弥陀如来像がお祀りされています。








開基は、家康の側室・阿茶の局。








地蔵堂

通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」とも呼ばれています。

江戸時代から、

子授けや安産にご利益があると言われていて

「京都の世継ぎさん」と言えば、この上徳寺なんだそうです。








仏足跡

昔は、お釈迦様の像を造るのは恐れ多いと考えられ

足跡の上にお釈迦様がいらっしゃると思って

お祈りしたのが始まりだそうです。












帰宅したら空が赤く染まって綺麗でした。

夫が、

“こういう空の時は、「鎌を研いて待て」って言うんだよ”

明日は晴れという事です。







昼食は、東本願寺の北側にあるレストランで。








出来立ての暖かいお料理が

一つずつ運ばれてくるフレンチコース

美味しくいただきました(^_-)-☆






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_07
23
(Sun)20:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第5回



先週の水曜日から金曜日(7/19~21)まで家を留守にしていました。

その間、TVや新聞をあまり見なかったので、

帰宅してから梅雨明けを知りました(^^ゞ

旅行前日の火曜日には

各地で大雨やヒョウが降るなどの異常気象だったので、

それが、梅雨明け前の印だったのかしら?


その火曜日の淡路島は、適度なお湿りで済んだので、

以降の3日間は、水やりの心配なしに家を空けられ、

私としましてはラッキーでしたが。









先週の水曜日(7/19)、「京都の大路小路を歩く」の5回目に参加しました。


史実と伝説が交わる通り≪旧五条通り≫と
千年の都に潜む伝説と≪魔界巡り≫



現在の五条通と平安京の五条通は位置が異なります。

すなわち、平安京の五条通は、現在の松原通にあたり、

現在の五条通は、平安京の六条坊門小路(ろくじょうぼうもんこうじ)。


豊臣秀吉が方広寺建立の際に、

五条大橋を、現在の場所に移したことにより、

やがて、五条坊門小路が五条通と呼ばれるようになったのです。


私たちは、旧五条通(松原通)を歩きました。

旧五条通は怖い伝説の場所が多くて

暑い夏には持って来いの通りでしたよ。









歩き始める前に昼食だったのですが、

時間が少し早かったので、

昼食場所の京都ホテル オークラの近くにある

本能寺を見学して時間をつぶしました。


前回は、本能寺跡に行ったのですが、

今回は、現在の本能寺です。

旧五条通から少し離れた御池通りにあります。








本能寺本堂

1928年に再建されたもの








現在、本能寺の「能」という字の右側の文字を

「匕」二つから、上の文字のように「去」の様な文字に変えて使用していますが

これは「本能寺の変」を含め、5度も火災に遭遇したので

匕(火)を嫌い、「能」という字を、行書や草書体にしたと言われています。








本能寺の寺紋

左が結び雁金、右が鶴の丸。









ここから、旧・五条通スタート!




新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)

藤原定家の父・俊成が自邸内に祀った神社に由来すると言われています。








拝 殿

以来、和歌の守護神として朝廷・貴族からの尊崇を集めています。

江戸時代には、松尾芭蕉の師である北村季注が

この神社の宮司として住み、万葉集の注釈書の編纂に励みました。








本 殿

さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな(よみひとしらず)

平安末期の勅撰和歌集に載っているこの歌は

平の清盛の弟の忠盛の作なのですが、

平家が朝敵となった為、

撰者の俊成が配慮して名を隠したのだと、

「平家物語」に出ているそうです。












因幡堂 平安寺(いなばどう びょうどうじ)

寺伝によると、長徳3(993)年、

因幡国司・橘行平が海中から引き揚げた薬師如来を祀ったのが由来。








本尊薬師如来立像

秘仏なので、写真ですが、

日本三如来のひとつです。


度重なる火災の被害に遭いながらも

その度に町衆の力によって難を逃れてきた

創建当初の御本尊です。

コロの付いた厨子の中におられ、

頭には緩衝用の頭巾を被っておられます。












夕顔の墓の碑

紫式部の「源氏物語」に登場する人物・夕顔に由来します。

夕顔は、源氏物語と知り合いましたが、

六条御息所の生霊に襲われて急死。

その場所がこの辺りと伝えられているのです。












ノボタンの花












鉄輪井戸の碑

謡曲「鉄輪」の女性が使った井戸と伝えられ、

今でも怨念が井戸に籠っているのだそうです。








鉄輪井戸

井戸の水を相手に飲ませると

悪縁が切れるとの民間信仰があるそうです。








※謡曲「鉄輪」とは

下京辺りに住む女性が「不実な夫」に嫉妬し

貴船の神に、毎夜丑の刻詣りをして

最後は井戸に入水。

鬼女となって裏切った男を呪ったと言う怖いお話なのです。












明王院 不動寺(みょうおういん ふどうじ)

ご本尊は、空海作の石像不動妙








平安京を作る時、桓武天皇は、

都の東西南北に四つの磐座(いわくら:神が降臨する場所)を定め

この明王院は、その一つの「南磐座」












松原橋

この場所に昔の五条橋が架かっていました。

牛若丸と弁慶が闘った伝説の地なのです。












京都五花街のひとつ・宮川町












六道の辻

この付近は、かって死者を風葬に送る際に

お別れをした場所で、

あの世とこの世の境とされていました。



※六道とは

天上道、人間道、地獄道、餓鬼道、修羅道、畜生道








六道の辻にある西福寺は、

弘法大師(空海)が土で作った地蔵尊を

安置したことが始まりとされています。








嵯峨天皇の皇后・橘嘉智子(たちばな の かちこ)が、

子息の仁明天皇の病気平癒を祈願したことから、

子育て地蔵として信仰されるようになりました。








西福寺の辻向かいにある幽霊子育飴の店

450年以上続く老舗の飴屋で、

若い女性が死んだあとに墓の中で出産し、

生まれた子を育てるために

夜な夜な飴を買いに来たという伝説が残されています。












小野篁の碑

小野篁とは?








六道珍皇寺山門と門前「六道の辻」の碑

六道の分岐点で、この世とあの世の境(接点)の辻が、

古来よりこのお寺の境内あたりであるといわれ、

冥界への入口とも信じられてきたそうです。







「小野篁冥土通いの井戸」


小野篁が夜毎冥府通いのため、

本堂の裏庭にある井戸を、その入口に使っていたそうです。

この井戸から冥途へ行って・・・







「黄泉がえりの井戸」








冥土から帰るのに使った井戸

小野篁伝説参照(←クリック!)








迎え鐘 鐘楼

六道まいりといって

毎年8月7日~10日の4日間

精霊を迎えるために撞くので「迎え鐘」といいます。

この鐘の音響が冥途にまで届くと信じられ、

亡者はその響きに誘われてこの世に呼びよせられるといわれています。

その鐘を納めている鐘楼が100年ぶりの修復工事を終え、

私たちが行った前日(7/18)に、落慶法要が執り行われたとの事でした。








ここを引っ張って鐘を撞き、お迎えするのだそうです。












六波羅蜜寺

ご本尊 十一面観音(国宝)



嵯峨天皇の皇子とされる空也上人により開創

空也上人は、都に流行っていた悪疫退散の為に

自ら十一面観音像を刻んで車に安置し、

市中を曳き廻り、病人にお茶を授けて病魔を鎮めたと言われています。


平安末期には、平家一門の邸宅が建ち並んでいました。








十一面観音立像(レプリカ)と本 堂








弁財天堂








平清盛塚








阿古屋塚

平景清の想い人で、五条坂の白拍子だった

阿古屋(あこや)の菩提を弔うためのもの。


平家の残党を探す畠山重忠は、阿古屋を捕らえ、

詮議のために琴・三味線・胡弓を弾かせました(阿古屋の琴責め)。

その調べに一点の乱れもない事に感動した重忠は

「阿古屋が景清の所在を知らない」

というのは真実であると知り釈放しました。

※歌舞伎 檀浦兜軍記「阿古屋」より








「奉納 五代目 坂東玉三郎」と刻まれた碑

ガイドさんの話では、

 「琴責め」と呼ばれる場面は、

阿古屋を勤めることができる俳優がいなければ上演されません。

六世歌右衛門のあとは、現在、玉三郎だけしか演じられないそうです。








銭洗い弁天と水掛不動








桔梗の花が涼しげです♪








なで牛

「ご自身の痛い所、辛い所を撫でてください」

と書かれていました。








一願石








お寺のお向かいのお家

お花が大好きみたいですね(*^-^*)







京都は暑いと思って覚悟していきましたが、

ここ4日間、毎日夕立があった為

街中が冷やされたみたいで、

この日も、時々傘が要らない程度の霧雨が降り、

それも身体に気持ちが良くて、

割りに快適に散策する事が出来てラッキーでした。


8月はお休みで、次回は9月になります。








昼食は、中華料理

京都ホテル オークラ「ビアテラス」で

<スープ、チャーハン、デザート以外は2人前です。>



翌日から一泊二日で信州へ高山植物を見に行ってきました。

そのお話は次回に・・・






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_06
25
(Sun)16:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第4回




やっと梅雨らしくなってきました。

庭仕事は一休みして、

今月の17日に行ってきたバスツアーの事を記録に残しますね。


町衆の活気あふれる≪四条通≫
華やぐ「花街」から今日の台所「錦市場」へ


四条通は、東は八坂神社の西楼門から

西は松尾大社まで続く

京都中心部の幹線道路で、

花街、歌舞伎、祇園祭、鴨川の納涼、金融街、百貨店など、

幾つもの顔を持っています。


今回は、四条通を歩くのは、四条大橋だけで、

後は、四条界隈を散策しました。








知恩院 山門 (国宝)

徳川2代将軍秀忠の命を受けて建立されました。

構造は入母屋造本瓦葺で、

高さ24メートル、横50メートル、屋根瓦約7万枚。

その構造や規模では、

わが国現存の木造建築としては最大級の二重門。

外に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳二畳以上にもなるとの事。


ここからスタート!

この辺り一帯が 丸山公園 です。







平野屋総本家 いもぼう

この道は、京都市立美術館から阪急四条河原町駅まで歩く時に

何時も通る道なのですが、

この300年続く老舗「いもぼう」のお店が毎回気になります。

子芋と棒鱈を煮たお料理らしいのですが・・・








丸山公園のしだれ桜

円山公園には、しだれ桜、ソメイヨシノ、山桜など約700本の桜があって、

毎年多くの花見客で賑わいます。

その公園の中央にあるのが、このしだれ桜

正式名称は「一重白彼岸枝垂桜」

一旦、木が弱って衰弱していたのですが、

近年、元気を取り戻したみたいです。








長楽館

明治42年、たばこ王・村井吉兵衛氏によって

国内外の賓客を持てなすための

迎賓館として作られました。

今も、ホテルやレストランとして営業しています。

1度は行ってみたい所ですが、

残念ながら、まだ機会はありません。








丸山公園は、明治19年開設の市最古の公園です。

東山を背に約86600㎡と、とても広大です。








祇園祭りの時の山鉾を保管する倉庫









八坂神社




舞 殿

舞の奉納など、様々な催しに使われています。

沢山の提灯は、祇園のお茶屋や料亭から寄進されたものが殆どで、

八坂神社に対する地元の信仰の厚さが伺われます。









舞殿&本殿

八坂神社は656年の創建と伝えられています。

祭神として

スサノヲノミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミ が祀られています。

祇園造り(本殿と拝殿を一つの屋根で覆う)と言われる独特の形式で、

現在のものは1654年に再建されたもの。








檜皮葺の屋根が美しいです♪








南楼門

八坂神社の表参道・正門で、

約140年ぶりに進められていた修復工事が

今春に終了したのだそうです。








美御前社

美人の誉れ高き宗像三女神がお祀りされています。








美容水

社殿前には、神水が湧き出ていて、

肌の健康は言うまでもなく、

心から美しく磨かれる「美容水」として

珍重されているそうです。

それでは・・・と、

私も手にかけてきました。

ホントは飲むのかしら???












建仁寺派 法観禅寺の五重塔

聖徳太子のご建立で、日本最初の宝塔












ここから五重塔を見る風景が

旅行雑誌などでよく紹介されているそうです。

私も以前、TVのプレバトの俳句

この風景を見たことがありますが。












安井金毘羅宮 会館

天智天皇の御代に、藤原鎌足が創建

四国の金毘羅さんと同じ神さまがお祀りされているそうです。








縁切り縁結び碑

この碑にお札を貼り付けて、穴を潜ると、

行きは悪縁を断ち切り、

帰りは良縁に恵まれると言われています。








順番を待つ長い列が出来ています。

どんな悪縁を切って、どんな良縁をお願いするのかしら?

ズラッとかけられている絵馬を見ると、

凄い事が書かれているのもありましたよ。








拝殿&本殿

碑を潜るのは諦めて、

ここで病気との悪縁を断ち切れるようお祈りしました。













祇園甲部歌舞練場

有名な 都をどり の会場なのですが、

前に黄色いカボチャの置物が見えます。

ちょっと建物にはそぐわない様な気がするのですが、

あれは・・・








想像通り、 草間彌生さんの水玉カボチャ でした。

一体どういう理由で???












花見小路 へ入りました。

観光客でいっぱいです。








途中、ポスターが貼られていました。

帰って調べてみると、

こんなサイト を見つけました。

歌舞練場内に、フォーエバー現代美術館が出来

オープニング展として、

「フォーエバー現代美術館コレクション展 草間彌生 My Soul Forever展」

を開催するそうです。

そしてこのカボチャは、

フォーエバー現代美術館のシンボル作品として

常設展示されるそうなんです。


以前、香川県の直島に行った時

海辺に展示されたカボチャは、

自然と溶け合って素晴らしかったのですが・・・








一力亭

花見小路の四条通の入り口にある

大石内蔵助が豪遊したとか、

近藤勇や大久保利通、西郷隆盛も通ったとかという

一見さんお断りのお茶屋さん です。








元々この店の屋号は「万屋」だったそうです。

ところが、仮名手本忠臣蔵では、

この店の「万」の字を二つに分けて「一力」という屋号に変えました。

芝居は大当たり!

以来、屋号までが芝居の中で使われた

「一力」という名で呼ばれるようになったのだそうです。












祇園 巽橋(たつみばし)

祇園は京都を代表する花街。

その中を流れる白川に架けられているのが巽橋です。








白川の流れ

比叡山を源流とし、鴨川に注いでいます。








辰巳大明神

元は御所の辰巳の方向を守るために祀られたのですが、

現在では芸舞妓を中心とした祇園の人々に崇敬され、

技芸上達の神様として崇められています。








周りの柵には、聞き覚えのある名前も幾つか・・・








祇園 お茶屋街

ここで芸舞妓を呼んで、

仕出しのご馳走と一緒に楽しむのだそうです。

私のような一般庶民には別の世界ですね(苦笑)








白川通を歩いて行きます。

至る所で、レンタル着物を着た外国人に出会いました。

彼女たちには、今、ブームなのでしょうね。








吉井勇 歌碑


かにかくに 祇園は恋し 寝る時も
枕のしたを 水のながるる









第二次世界大戦の時の建物疎開で、

この辺り一帯は、防火の為に建物を壊したのだそうですが、

それまでは、白川の上にもお茶屋さんが立っていたそうなので、

「枕の下を 水のながるる」と、

昔を懐かしんで読まれたのだそうです。








紫陽花の季節ですね。








この頃は、梅雨にも関わらす晴天続きでしたが、








それにもめげずに、素敵な青色をして、

歩き疲れた私たちを癒してくれました。












四条大橋

私にとっては、よく通っていた

馴染みの橋です。








出雲阿国の像

関ケ原合戦の翌年、京の都で阿国は、

だて男のような装いで、「かぶきをどり」を披露しました。

その後、女歌舞伎が流行しましたが、

1629年に禁止され、

男性が女性役も演じる今のスタイルになりました。

これが今へと続く、歌舞伎の始まりとされているそうです。








京都四條南座

出雲阿国が、京・四条河原で阿国かぶきを創始したことが

歌舞伎の起源とされていますが、

その歌舞伎発祥の地で、悠久400年近くに亘る今日まで

歌舞伎を上演しているという意味で、

日本最古の歴史と伝統を持つ劇場と言われています。








明治39年に松竹に買収され、以後松竹の直営になり、

松竹マークが使用されています。








川床(かわゆか)








先斗町(ぽんとちょう)

ここも花街(かがい)のひとつです。

京都には五花街があって、

祇園甲部・先斗町・上七軒・ 祇園東・宮川町の5ヶ所








途中、鴨川の岸辺に出ると、

川床が身近に見えます。

ここで、夕方から川床料理を頂いている様子がが、

京都の夏の風物詩になっています。








先斗町通りを北上








傘と紫陽花を添えた可愛い置物/strong>

思わず立ち止まってパチリ!












鉄筋のこの古い建物には・・・








「京都市立立誠小学校」との看板がありますが、

今は廃校になっていて、公的な催しに使われているそうです。








建物の前には、「土佐藩邸跡」と書かれた石碑

土佐藩では、坂本龍馬、武市隋山、後藤象二郎など

多くの獅子が活躍し、幕末の政局を動かしていました。

坂本龍馬は、脱藩した後、このお屋敷で

7日間の蟄居を行っただけで許されたのだそうです。








又、建物の前を高瀬川が流れていて、

高瀬川を作った角倉了以(すみのくらりょうい)の像 も立っています.。












岬神社(土佐稲荷)

元は土佐藩内にあって、

坂本龍馬や中岡慎太郎も詣でたとされています。












ここにも紫陽花が・・・












近江屋跡 

しょう油商を営んでいた近江屋に宿泊していた

坂本龍馬と中岡慎太郎は、

刺客に襲われ命を落としました。

大政奉還から1ヶ月後の

明治という新しい扉が開かれる直前でした。








錦市場

「京都の台所」と称されている所です。

今回は、端から端まで歩きましたが、

余りにも人が多すぎて、人ごみに酔ってしまい

殆ど何も買わないで通り過ぎました。

一応、保冷袋と保冷剤を持っていたのですが(苦笑)








昼食は、ザ・ビュッフェスタイルSARA で

夫が名前を聞いた時に、

以前に一度来たことがあるって言っていましたが、

私は、思い出せませんでした。








でも、お店の入り口まで来たときには、

ちゃんと思い出しましたよ(^^)v







ここ1週間、時間のある時に書き溜めていた今回の日記

長くなったので、2回に分けようかとも思ったのですが、

やはり、1回にします。

長い日記を最後まで読んで下さってありがとうございました。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_06
06
(Tue)10:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第3回




今日(6/6)は、中国観音巡りの4回目で

尾道まで行ってきたのですが、

予定より1時間以上早く帰れたので、

この間から書きかけていた先月の京都歩きの日記を仕上げました。

長いので2回に分けようかとも思ったのですが、

この後に、もう一つ家島へ行った日記が残っているので、

一気にUPする事にしました。






先月の20日に、京都の大路小路を歩くの第3回 に参加しました。


京の町に文明開化を告げた≪三条通≫
東海道の西の起点「三条大橋」から近代建築めぐりへ











三条大橋

徳川家康によって定められた 東海道五十三次の西の起点

東海道は、京都の三条大橋~江戸の日本橋です。







 クリック! 拡大画像 


三条大橋には

豊臣秀頼が大改修した時の銘入りの擬宝珠(ぎぼうし) があります。

2本の傷は、幕末の池田屋騒動の時、

争いがここまで流れてきて付いた 刀傷 だと言われています。








橋のたもとには、道中安全祈願として

「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さん が立っています。








「三条河原」 と呼ばれ

処刑や処刑後の晒し首が行われました。


ここで処刑・晒し首にされた著名な人物は

石川五右衛門



釜茹での刑

豊臣秀次



さらし首、その妻子側室侍女39名が処刑

石田三成



六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首

近藤勇 - 新撰組局長



晒し首









それでは、 三条通のウォーク のスタートです。








瑞泉寺 本堂

江戸初期の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が、

豊臣秀吉の甥の秀次の菩提を弔うために建立した寺院。








秀次一族が三条河原で処刑されて埋蔵された塚の石塔が、

高瀬川建設の時に発掘され、

角倉了以が、塚を修築して堂宇を建立。








秀次一族の墓

秀吉に子供が生まれたので、

邪魔になる秀次に謀反の疑いをかけて

高野山に追放し、切腹させました。

そして、秀次の遺児、正室・側室合わせて39名が

三条河原で処刑されたのです。








酢 屋

酢屋は、創業280年の材木商で、

幕末当時の6代目・酢屋嘉兵衛は、

高瀬川での水運業の実権も持っていました。


彼は、坂本龍馬の活動に理解を示し、

海援隊の京都本部が酢屋内に設けられていたのです。








家の前に、石碑が立っています。








池田屋騒動の跡

尊王攘夷派の志士が密談を行っていた時、

近藤勇が率いる新選組が、襲撃したので有名な事件現場。








高瀬川








川辺の建築・TIME’S~安藤忠雄の建築

高瀬川・三条小橋のたもとに建つ

ウォーターフロントのはしりの商業施設








三条通がアーケードのある商店街になりました。








三条通と寺町通りの交差点にあるのが 三嶋亭

明治の文明開化華やかなりし頃からの、

創業明治6年のすき焼の老舗。








もう少しアーケードの下を歩いて行くと、

文明開化を告げた近代建築が

次々と現れます。








1928ビル

建てられた年代が、そのままビルの名前になっています。

毎日新聞社の京都支局として長らく使われていましたが、

現在は竣工当初からあった3階のホールなどを活用した

市民向けの施設として使われています。


※手前の男性は、私たちのガイドさん

説明が、とても分かりやすかったです。








家邊徳時計店

1890年(明治23年)の建築で

京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類に属します。








日本生命京都三条ビル

1914年(大正3年)の建築








分銅屋足袋

創業1864年の老舗足袋専門店








京都文化博物館 別館 (国の重要文化財)

日本銀行の京都支店として、日本銀行本店や東京駅など

日本を代表する明治期の近代建造物を設計した

辰野金吾とその弟子である長野宇平治の設計により

1906年(明治39年)に建築されました。


1986年(昭和61年)4月に京都府に寄贈され、

現在は京都文化博物館別館に転用され公開されています。








ホール内では展覧会や音楽会など

様々な催しを開催しています。








銀行の名残りの窓口

素晴らしい細工です。








中京郵便局

赤煉瓦が美しいこの郵便局舎は、

1902年(明治3年)に京都郵便電信局として建てられたもの。

竣工当初から現在に至る115年間、

現役の郵便局舎として使われ続けてきたという由緒ある建物なのです。








六角堂   山門








御 堂

聖徳太子創建のお寺で、

生け花発祥の地でもあります。








正式な寺号は頂法寺ですが、

御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。








柳の枝2本を取っておみくじを結びつけると、

縁結びになると言われているそうです。

くれぐれも、1本や3本の枝に結びつけないように・・・








へそ石

旧本堂の礎石と伝えられているもの。

ほぼ京都の真ん中に位置していたことから、

そう呼ばれていのだとか。








エレベーターに乗って上から見ると

屋根が六角形なのがわかります。








町家美術館 紫織館

大正15年に240坪の敷地に建てられた

大塀建築(だいべいづくり)の京町家の代表例。


屋根の上に見える洋館は、

祇園祭りの山鉾巡業の鉾見台








中に入って見学出来ました。








和室から見たお庭








置時計








応接間のステンドグラス

和室は、数寄屋の名工によって建築され、

洋館部分も、その時代の有名な建築家の設計だそうです。








次の目的地に向かって歩いていると、

発掘調査の現場がありました。

京都は歴史があるので、

建築現場で遺跡が出てくることがよくあり、

そうなると、建設工事が中断されて、

発掘が始まるのです。

施工者にとっては、費用も時間も大幅にかかり、

とても大変なのだそうです。








旧本能寺跡の石碑








明智光秀の謀反により織田信長を自害させた事で

有名な「本能寺の変」で知られるお寺








本能寺が焼失したという事で、

ここには本能寺消防分団がありました。








空也堂(くうやどう)

平安時代、空也(くうや)が創建したといわれ

ご本尊も空也立像という事からそう呼ばれています。








屋根瓦には菊のご紋が・・・

皇室とかんけいがあるのでしょうか?







とっても暑い日で、

電光掲示板の気温が34℃

5月からこの調子だと、

この後、6月、7月の京とはどうなるのだろう?と、

ちょっぴり心配になりました。








昼食は、美濃吉 四条烏丸店

下の箱は引き出しになっています。

京都らしいお料理でした(^^♪






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_05
11
(Thu)20:30

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第2回



今日は、とってもいいお天気♪

実は、私の誕生日なのですが、

夫は朝から地方史研究会の催しで出かけて、

夕方まで帰ってきません。

一人でノンビリと過ごしています。

・・・とも言えなくて、

一昨日から一泊二日で中国33観音巡りで山口県まで行っていて、

昨夜遅く帰宅したものですから、

庭の手入れと洗濯もの。

そして先日帰淡していた孫一家のお布団干し等々
<今まで干す暇がありませんでした(^^;)>

しなければならない事が満載!

花が終わったツツジの剪定を終えて、

干していたお布団を取り入れた後、

今(3時過ぎ)、家に入りホッとしています。



薔薇の花も留守中に大分咲き進んでいました。

今の薔薇の様子もUPしたいのですが、

先月に行ってきた「京都の大路小路を歩く」の

2回目の更新が未だなので、

記録の為に、先にこちらを更新したいとおもいます。

次々とスケジュールが入ってきて、

更新の方が追い付けない状態なんです(滝汗)







京の町衆の暮らしが息づく≪二条通≫と
江戸時代の幕開けと幕引きの歴史舞台≪二条城≫へ



平安京の東西路線としては最大級の51m。

平安京大内裏の南限にあたる通りで、

禁裏と世間を隔離する役割もあったそうです。



最初は、二条通より少し南にある河原町御池からスタート!

北へと向かいます。








長州屋敷跡 ・ 桂小五郎像

長州屋敷は、広大な敷地を占め、

幕末には尊王攘夷の歌劇派も頻繁に出入りするなど

政局の中心を担っていました。








高瀬川

1611年頃に角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河

京都らしい風景です。








高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)

この運河を運行する舟の荷物の上げ下ろしをする

船溜所を「舟入」と言って、

舟入は、この一之舟入を初め、数か所に設けられ

最盛期には百数十艘が上下し、

大阪などの物資を運び入れていました。


現在は、江戸時代の交通運輸の遺跡として史跡に登録されています。








島津製作所 創業の地

島津製作所の創業の地であるとともに、

明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など

多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもありました。








舎密局跡(せいみきょくあと)

明治維新期における化学技術の研究・教育、

および勧業のために作られた官営・公営機関。

「舎密(せいみ)」とはオランダ語「シェミー」の訳語で、

「化学」を意味します。








明治天皇行幸所 木戸邸

木戸孝允が病に伏せている時、

明治天皇がお見舞いに来られたそうです。

これは、とても異例な事で、

二人の親交の深さを物語っています。








木戸孝允 旧邸

もとは公家の名門五摂家のひとつ・近衛家の下屋敷で、

周辺一帯が敷地でした。


明治2年、明治新政府の高官となった木戸孝允(桂小五郎)は、

近衛家から土地と建物を譲り受け京都の別邸としました。


明治10年に病気療養中の木戸に

明治天皇の行幸がありましたが、

翌月に亡くなられました。享年44歳。








達磨堂

木戸孝允邸と、同じ敷地内にあります。

木戸孝允の息子・忠太郎さんが大正12年に

木戸邸の改修と併せて新築したコレクションルームです。

忠太郎さんは木戸の妻・松子(幾松)の妹の子どもとして生まれ、

3歳の時に木戸の養子となったそうです。

忠太郎さんが生涯に渡ってこだわり、

コレクションしていたものが達磨でした。








達磨堂の内部には、

忠太郎さんが50年以上かけて集めた達磨コレクションが、

隙間なく収められています。








ここにも、木戸孝允旧跡の石碑

敷地が広大だったことが分かります。








木戸屋敷跡に建てられているのが

「石長松菊園・お宿いしちょう」で、

修学旅行生の宿泊所になっているそうです。

「石長松菊園」の「松菊」は、木戸孝允の雅号に由来しているのだとか。








途中、トイレ休憩で立ち寄った公園の藤棚。

藤の花が綺麗でした。



その後、家具のまち(夷川通)から二条通へ・・・








薬祖神祠

薬にまつわる神様たちをお祀りしています。

この通りには、昔50を越す薬問屋や薬局などが並んでいました。

江戸時代から薬の町として栄えてたのです。

今は、それらしきものは殆ど見られませんでしたが。








ガラスが貼られた拝殿越しに中を見ると、

奥の方に本殿が見えます。








三井越後屋京本店 跡

江戸前期の豪商・三井高利は、

屋号を越後屋(後の三越)として

巨額の富を蓄え三井財閥の基礎を築きました。



NHK朝ドラ・「はるが来た」の主人公はるの実家は、

ここの親戚筋になるそうです。








こぬか薬師

ご本尊は、平安時代、最澄が刻んだという薬師如来

当初は美濃国に祀られていたのですが、

織田信長が上洛した際、こちらに祀ったと言われています。








こぬか薬師

1230年に京都に疫病が流行った時、

この薬師如来様が住職の夢に現れて、

「一切病苦、わが前に来たらば難病ことごとく除くべきに来也(こぬか)、来也(こぬか)」

と告げて病気を治したことから

「こぬか薬師」 とよばれるようになったそうです。


説明をして下さった住職の奥様が、

雨の中、ずっと私たちを見送ってくださいました。








唐 門

ゴールの 二条城 に到着!

雨が激しくなってきましたが、

中に入ればOK!








二の丸御殿

修学旅行でしょうか・・・

生徒さんたちも沢山見かけます。





中は撮影禁止なので、

二条城パノラマウォーク でもどうぞ(*^-^*)








外から見た 二の丸御殿








釣 鐘

京都所司代屋敷で、

家事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていました。

所司代が廃止sされた後、事情上に移されたと考えられています。








二の丸御殿は、東南から北西にかけて

6棟が鴈行形に立ち並ぶ御殿です。









二の丸庭園 へ・・・

下の方からも枝が出ていて、

まるで盆栽のような素晴らしい姿の松の木です。








二の丸庭園

池の中央に蓬莱島。左右に鶴亀の島を配した書院造庭園。

1626年の後水尾天皇行幸のために改修されました。


二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の

3方向から鑑賞できるように工夫されています。












神泉苑(しんせんえん)

平安京造営時に営まれた広大な禁苑で、

常に清泉が沸きだしえいることから「神泉苑」と名付けられました。

日照りが続いても神泉苑の水は枯れることがなく

この時ばかりは庶民も立ち入りを許されて、

お水が分け与えられたのだそうです。









法成橋

この橋は、心に願いを念じながら渡り

その思いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると

叶うと言われています(願いはひとつ)








善女龍王社

弘法大師空海様が

雨乞いのために北インドからおまねきになった神様です。

善女様は池の中にお棲みになっておられます。








歳徳神(さいとくじん)

恵方(その年の幸運の方角)を礼拝する社です。

毎年土台の石を回して、

方角を変えてお祀りする日本唯一の社。








鯉塚と亀塚

それぞれ、鯉と亀が彫られています。








昼食は からすま京都ホテル 入舟 で








夕食はオプションで わらびの里のお弁当(1000円お茶付き)

このお弁当は、予想していたより美味しかった(^^)v

帰りのバスの中で頂き、午後7時前に帰宅。

その後、7時半から始まる太極拳の練習に行ってきました。

充実の一日でした。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。






2017_03
31
(Fri)19:50

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第1回




今日は、トールペイントのお稽古日だったのですが、

先生のご都合でお休み。

1日、ポカッと時間が出来たのですが、生憎外は雨・・・

お陰で、ゆっくりとPCに向かう事が出来、

先日の京都の路めぐりの第1回目の日記を完成させることが出来ました。

ちょっと長くなりましたが悪しからずご了承くださいね。







今月から、中国33観音巡りの他に、

もう一つ新しいツアーが始まりました。

京都の町を、一条通りから九条通りまで

名所・旧跡を訪ねながら

9回に分けて順に歩くのです。



1回目は、今月の22日に参加。

一条通を歩いてきました。



異界うごめく平安京の北限 ≪一条通≫ と
妖怪も夜行した伝説の道 ≪妖怪ストリート≫ 散歩へ










トイレ休憩に立ち寄った淡路SAから見た

明石海峡大橋

この橋が出来て島外へ行くのがとっても便利になりました。







11時過ぎに、ちょっと早めの昼食を取り、

堀川通を北上して一条通へ








一条戻橋

堀川に架けられている一条通の橋


この橋と、次に行く清明神社の事は、

前に行った時に書いた日記 に出ていますので、

興味のある方は、覗いてみてくださいね。








戻橋のたもとの桜

川津桜かしら???

とっても綺麗です~~~☆彡












清明神社 一の鳥居

陰陽師 安倍晴明をお祀りしている神社です。

向こうには二の鳥居が見えています。








清明神社 本殿

左手前は、 陰陽師・安倍晴明公の像








ご神木

樹齢推定300年の楠。

楠は、虫除けなどに使われる樟脳の原料です。

立て札に

樹皮に触れると独特の感覚があります。

両手をあてて大樹の力を感じとってください。


と書かれていたので、両手を当てて、

大樹の息吹を感じてみました。












一条通のウォーキングスタート!

五条通などと違って、以外に道が狭いです。








黒田如水(官兵衛の出家名) 邸宅跡

この辺りは、官兵衛の名前にちなむ「如水町」や

旧姓をとった「小寺町」などの町名が残っています。








創業元治元年 と書かれています。

元治って西暦何年なのかしら?

調べてみると、 1864年 でした。

明治元年が1868年なので、

江戸時代の最後から明治、大正、昭和、平成と、

延々と商いを続けていた事になります。

京都って、やっぱり凄いわね~








垣根の椿の花の花に、思わず引き込まれます♪








浄福寺 赤門(東門)

1788年、京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり、

火は浄福寺にも迫りましたが、この朱塗りの東門の手前で止まりました。


火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗 で、

天狗は赤門の横の大樹の上で

巨大なうちわを扇いで火を消したのだといわれています。








赤門横の 護法堂 では鞍馬の天狗をお祀りしています。








鞍馬の天狗がこの モチノキ の上で、

大うちわで火を消し止めたと伝わっています。








屋根瓦にも天狗のウチワ(ヤツデ)の絵








浄福寺 本堂


2つの建物からなる本堂は珍しい様式ですが、

8代将軍吉宗によって奥行きが制限されたので、

寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。


実は、二棟になっているのは屋根だけで、

本堂の中は、ひとつになっているのだそうです。








このツアーでは、 らくたび さんの案内で歩いているのですが、

ガイドさんのお話では、

屋根を重ねて二棟に見せている

日本で1番古い違法建築 ですって。












ここは、織物で有名な 西陣  の職人さんたちが

遊んでいて所だそうです。








京都は、 「ウナギの寝床」 といわれる

間口が狭くて奥行きの広い家が多いので、

こんな風に、奥の家の表札が並んで掛けられている所が結構あります。


右にかかっているのは、

ホーロー製の町名看板

森下仁丹創業者・森下博氏が、

「広告物も世の為人のためになるべき」と、

明治43年頃から全国の辻々に掲げたそうです。

最近では、約750枚まで減少。

その多くは、京都に残っているそうです。








クレマチスが大きなお花を咲かせています。

これは、多分花付きをお店で買ってきたのでしょうね。

我が家のクレマたちは、まだ新芽が出始めたばかりだもの。








チンチン電車モニュメント

明治になって、東京が首都となり、

天皇が東京にお移りになりました。

京都は、「天皇さんがおられなくならはった!」

と、騒然となったのです。



明治政府はそれを鎮めるため、

わが国近代化の先駆けを、まず京都で 行うことにしました。

すなわち、かの有名な 疎水運河 と、

そしてそれに関連して、

わが国最初の発電所(蹴上発電所)と電気鉄道 を作ったのです。


明治28年2月1日、

日本で初めて京都の街に電車が走りました。

北野のチンチン電車は、明治、大正、昭和と3世代にわたり

今のJR京都駅と北野天満宮を往復 していたのです。







大将軍八神社

平安京造営の際、陰陽師によって

御所の北西にあたる天門の方向に

星神を待つる「大将軍堂」が建てられ、

方位の厄災を解除する社として創建されました。


明治時代、神仏分離令によって、暦神の八神が習合し、

以後、「大将軍八神社」と呼ばれるようになりました。








神仏分離前の名残りでしょうか。

立派な山門が立っています。








境内から山門を通して向こうを見ると、

石の鳥居が見えます。








山門の屋根には、唐獅子と








牡 丹

唐獅子牡丹というと、任侠映画が思い浮かびますが、

ここでの取り合わせには、

一体どんな意味があるのでしょうね???








本 殿








招霊ノ木(神代榊)












一条妖怪ストリート

桓武天皇が平安京を作られた頃は、

一条通は北の端。

その北側は未開の地で、妖怪がウロウロしていたそうです。








大将軍商店街がいろんなイベントを通じて

商店街の活性化を行っているそうです。












北野天満宮 一の鳥居








天神様と言えば

参詣者の方々が撫でるので、ピカピカです。


牛を愛された天神様。

ご自身も丑年だったそうです。








楼 門








三光門【重要文化財】

本殿前の中門で、

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。

ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、

「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。








太陽の彫刻








月の彫刻


三光門と言われるのに何故星がない?

ガイドさんの説明では、平安時代、大極殿から

帝が北野天満宮に向かってお祈りをささげられる際、

三光門の上に北極星が輝いていたことから

星は刻まれていないと伝えられています。








うさぎとうさぎの間に

銀色の三日月が見えます。

星は探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。








社 殿 【国宝】

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿

石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。








この辺りから画像が暗くなています。

帰宅してから気が付いたのですが、

カメラが撮影オートから

知らない間にマニュアルに変わっていたのです。



時々やるんです。こういう失敗(^^ゞ








社殿の素晴らしい建物を眺めながら

周りをぐるっと歩きました。








天神様と言えば、牛の他に梅・・・

梅の木も至る所に植えられています。








梅 苑

梅を愛した道真公ゆかりの梅の木50種約1500本が

約2万坪の敷地に咲き競っています。








写真があまりにも暗かったので、

こちらの方は画像処理をして、

少しだけ明度を上げてみました。








昼食は、「じねん と 食堂」でのバイキング








「じねん」とは「自然」の事

地元の農家さんが真心を込めて作った野菜と、

お客様との出会いを、じねんと食堂がお手伝いします。


とのことだそうです。

ご前11時と、ちょっと早い昼食でしたが、

素材を生かした「おばんさい」の数々を

美味しくいただきました。







今回の京都巡りを歩いた順に書いていったら

恰好長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

2回に分けようかとも思ったのですが、

一回で収める方が、後で見やすいという

自分勝手な都合でこうなってしまいました。


次回は、4月に、二条通を歩きます。






にほんブログ村 シニア日記ブログ 70歳代へ
にほんブログ村

ご訪問ありがとうございます。

帰りがけに応援ポチをしていただけたら

励みになりますので嬉しいです。