2017_05
11
(Thu)20:30

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第2回



今日は、とってもいいお天気♪

実は、私の誕生日なのですが、

夫は朝から地方史研究会の催しで出かけて、

夕方まで帰ってきません。

一人でノンビリと過ごしています。

・・・とも言えなくて、

一昨日から一泊二日で中国33観音巡りで山口県まで行っていて、

昨夜遅く帰宅したものですから、

庭の手入れと洗濯もの。

そして先日帰淡していた孫一家のお布団干し等々
<今まで干す暇がありませんでした(^^;)>

しなければならない事が満載!

花が終わったツツジの剪定を終えて、

干していたお布団を取り入れた後、

今(3時過ぎ)、家に入りホッとしています。



薔薇の花も留守中に大分咲き進んでいました。

今の薔薇の様子もUPしたいのですが、

先月に行ってきた「京都の大路小路を歩く」の

2回目の更新が未だなので、

記録の為に、先にこちらを更新したいとおもいます。

次々とスケジュールが入ってきて、

更新の方が追い付けない状態なんです(滝汗)







二条通 時代を切り開いた志士の足跡めぐり

平安京の東西路線としては最大級の51m。

平安京大内裏の南限にあたる通りで、

禁裏と世間を隔離する役割もあったそうです。



最初は、二条通より少し南にある河原町御池からスタート!

北へと向かいます。








長州屋敷跡 ・ 桂小五郎像

長州屋敷は、広大な敷地を占め、

幕末には尊王攘夷の歌劇派も頻繁に出入りするなど

政局の中心を担っていました。








高瀬川

1611年頃に角倉了以(すみのくらりょうい)が開いた運河

京都らしい風景です。








高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)

この運河を運行する舟の荷物の上げ下ろしをする

船溜所を「舟入」と言って、

舟入は、この一之舟入を初め、数か所に設けられ

最盛期には百数十艘が上下し、

大阪などの物資を運び入れていました。


現在は、江戸時代の交通運輸の遺跡として史跡に登録されています。








島津製作所 創業の地

島津製作所の創業の地であるとともに、

明治初め、京都府が欧米の最新技術を導入した実験所や工場など

多くの産業諸施設を設立した近代科学発祥の地でもありました。








舎密局跡(せいみきょくあと)

明治維新期における化学技術の研究・教育、

および勧業のために作られた官営・公営機関。

「舎密(せいみ)」とはオランダ語「シェミー」の訳語で、

「化学」を意味します。








明治天皇行幸所 木戸邸

木戸孝允が病に伏せている時、

明治天皇がお見舞いに来られたそうです。

これは、とても異例な事で、

二人の親交の深さを物語っています。








木戸孝允 旧邸

もとは公家の名門五摂家のひとつ・近衛家の下屋敷で、

周辺一帯が敷地でした。


明治2年、明治新政府の高官となった木戸孝允(桂小五郎)は、

近衛家から土地と建物を譲り受け京都の別邸としました。


明治10年に病気療養中の木戸に

明治天皇の行幸がありましたが、

翌月に亡くなられました。享年44歳。








達磨堂

木戸孝允邸と、同じ敷地内にあります。

木戸孝允の息子・忠太郎さんが大正12年に

木戸邸の改修と併せて新築したコレクションルームです。

忠太郎さんは木戸の妻・松子(幾松)の妹の子どもとして生まれ、

3歳の時に木戸の養子となったそうです。

忠太郎さんが生涯に渡ってこだわり、

コレクションしていたものが達磨でした。








達磨堂の内部には、

忠太郎さんが50年以上かけて集めた達磨コレクションが、

隙間なく収められています。








ここにも、木戸孝允旧跡の石碑

敷地が広大だったことが分かります。








木戸屋敷跡に建てられているのが

「石長松菊園・お宿いしちょう」で、

修学旅行生の宿泊所になっているそうです。

「石長松菊園」の「松菊」は、木戸孝允の雅号に由来しているのだとか。








途中、トイレ休憩で立ち寄った公園の藤棚。

藤の花が綺麗でした。



その後、家具のまち(夷川通)から二条通へ・・・








薬祖神祠

薬にまつわる神様たちをお祀りしています。

この通りには、昔50を越す薬問屋や薬局などが並んでいました。

江戸時代から薬の町として栄えてたのです。

今は、それらしきものは殆ど見られませんでしたが。








ガラスが貼られた拝殿越しに中を見ると、

奥の方に本殿が見えます。








三井越後屋京本店 跡

江戸前期の豪商・三井高利は、

屋号を越後屋(後の三越)として

巨額の富を蓄え三井財閥の基礎を築きました。



NHK朝ドラ・「はるが来た」の主人公はるの実家は、

ここの親戚筋になるそうです。








こぬか薬師

ご本尊は、平安時代、最澄が刻んだという薬師如来

当初は美濃国に祀られていたのですが、

織田信長が上洛した際、こちらに祀ったと言われています。








こぬか薬師

1230年に京都に疫病が流行った時、

この薬師如来様が住職の夢に現れて、

「一切病苦、わが前に来たらば難病ことごとく除くべきに来也(こぬか)、来也(こぬか)」

と告げて病気を治したことから

「こぬか薬師」 とよばれるようになったそうです。


説明をして下さった住職の奥様が、

雨の中、ずっと私たちを見送ってくださいました。








唐 門

ゴールの 二条城 に到着!

雨が激しくなってきましたが、

中に入ればOK!








二の丸御殿

修学旅行でしょうか・・・

生徒さんたちも沢山見かけます。





中は撮影禁止なので、

二条城パノラマウォーク でもどうぞ(*^-^*)








外から見た 二の丸御殿








釣 鐘

京都所司代屋敷で、

家事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていました。

所司代が廃止sされた後、事情上に移されたと考えられています。








二の丸御殿は、東南から北西にかけて

6棟が鴈行形に立ち並ぶ御殿です。









二の丸庭園 へ・・・

下の方からも枝が出ていて、

まるで盆栽のような素晴らしい姿の松の木です。








二の丸庭園

池の中央に蓬莱島。左右に鶴亀の島を配した書院造庭園。

1626年の後水尾天皇行幸のために改修されました。


二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の

3方向から鑑賞できるように工夫されています。












神泉苑(しんせんえん)

平安京造営時に営まれた広大な禁苑で、

常に清泉が沸きだしえいることから「神泉苑」と名付けられました。

日照りが続いても神泉苑の水は枯れることがなく

この時ばかりは庶民も立ち入りを許されて、

お水が分け与えられたのだそうです。









法成橋

この橋は、心に願いを念じながら渡り

その思いを橋の向こうにある善女龍王様にお願いすると

叶うと言われています(願いはひとつ)








善女龍王社

弘法大師空海様が

雨乞いのために北インドからおまねきになった神様です。

善女様は池の中にお棲みになっておられます。








歳徳神(さいとくじん)

恵方(その年の幸運の方角)を礼拝する社です。

毎年土台の石を回して、

方角を変えてお祀りする日本唯一の社。








鯉塚と亀塚

それぞれ、鯉と亀が彫られています。








昼食は からすま京都ホテル 入舟 で








夕食はオプションで わらびの里のお弁当(1000円お茶付き)

このお弁当は、予想していたより美味しかった(^^)v

帰りのバスの中で頂き、午後7時前に帰宅。

その後、7時半から始まる太極拳の練習に行ってきました。

充実の一日でした。






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2017_03
31
(Fri)19:50

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第1回




今日は、トールペイントのお稽古日だったのですが、

先生のご都合でお休み。

1日、ポカッと時間が出来たのですが、生憎外は雨・・・

お陰で、ゆっくりとPCに向かう事が出来、

先日の京都の路めぐりの第1回目の日記を完成させることが出来ました。

ちょっと長くなりましたが悪しからずご了承くださいね。







今月から、中国33観音巡りの他に、

もう一つ新しいツアーが始まりました。

京都の町を、一条通りから九条通りまで

名所・旧跡を訪ねながら

9回に分けて順に歩くのです。



1回目は、今月の22日に参加。

一条通を歩いてきました。



異界うごめく平安京の北限 ≪一条通≫ と

妖怪も夜行した伝説の道 ≪妖怪ストリート≫ 散歩へ










トイレ休憩に立ち寄った淡路SAから見た

明石海峡大橋

この橋が出来て島外へ行くのがとっても便利になりました。







11時過ぎに、ちょっと早めの昼食を取り、

堀川通を北上して一条通へ








一条戻橋

堀川に架けられている一条通の橋


この橋と、次に行く清明神社の事は、

前に行った時に書いた日記 に出ていますので、

興味のある方は、覗いてみてくださいね。








戻橋のたもとの桜

川津桜かしら???

とっても綺麗です~~~☆彡












清明神社 一の鳥居

陰陽師 安倍晴明をお祀りしている神社です。

向こうには二の鳥居が見えています。








清明神社 本殿

左手前は、 陰陽師・安倍晴明公の像








ご神木

樹齢推定300年の楠。

楠は、虫除けなどに使われる樟脳の原料です。

立て札に

樹皮に触れると独特の感覚があります。

両手をあてて大樹の力を感じとってください。


と書かれていたので、両手を当てて、

大樹の息吹を感じてみました。












一条通のウォーキングスタート!

五条通などと違って、以外に道が狭いです。








黒田如水(官兵衛の出家名) 邸宅跡

この辺りは、官兵衛の名前にちなむ「如水町」や

旧姓をとった「小寺町」などの町名が残っています。








創業元治元年 と書かれています。

元治って西暦何年なのかしら?

調べてみると、 1864年 でした。

明治元年が1868年なので、

江戸時代の最後から明治、大正、昭和、平成と、

延々と商いを続けていた事になります。

京都って、やっぱり凄いわね~








垣根の椿の花の花に、思わず引き込まれます♪








浄福寺 赤門(東門)

1788年、京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり、

火は浄福寺にも迫りましたが、この朱塗りの東門の手前で止まりました。


火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗 で、

天狗は赤門の横の大樹の上で

巨大なうちわを扇いで火を消したのだといわれています。








赤門横の 護法堂 では鞍馬の天狗をお祀りしています。








鞍馬の天狗がこの モチノキ の上で、

大うちわで火を消し止めたと伝わっています。








屋根瓦にも天狗のウチワ(ヤツデ)の絵








浄福寺 本堂


2つの建物からなる本堂は珍しい様式ですが、

8代将軍吉宗によって奥行きが制限されたので、

寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。


実は、二棟になっているのは屋根だけで、

本堂の中は、ひとつになっているのだそうです。








このツアーでは、 らくたび さんの案内で歩いているのですが、

ガイドさんのお話では、

屋根を重ねて二棟に見せている

日本で1番古い違法建築 ですって。












ここは、織物で有名な 西陣  の職人さんたちが

遊んでいて所だそうです。








京都は、 「ウナギの寝床」 といわれる

間口が狭くて奥行きの広い家が多いので、

こんな風に、奥の家の表札が並んで掛けられている所が結構あります。


右にかかっているのは、

ホーロー製の町名看板

森下仁丹創業者・森下博氏が、

「広告物も世の為人のためになるべき」と、

明治43年頃から全国の辻々に掲げたそうです。

最近では、約750枚まで減少。

その多くは、京都に残っているそうです。








クレマチスが大きなお花を咲かせています。

これは、多分花付きをお店で買ってきたのでしょうね。

我が家のクレマたちは、まだ新芽が出始めたばかりだもの。








チンチン電車モニュメント

明治になって、東京が首都となり、

天皇が東京にお移りになりました。

京都は、「天皇さんがおられなくならはった!」

と、騒然となったのです。



明治政府はそれを鎮めるため、

わが国近代化の先駆けを、まず京都で 行うことにしました。

すなわち、かの有名な 疎水運河 と、

そしてそれに関連して、

わが国最初の発電所(蹴上発電所)と電気鉄道 を作ったのです。


明治28年2月1日、

日本で初めて京都の街に電車が走りました。

北野のチンチン電車は、明治、大正、昭和と3世代にわたり

今のJR京都駅と北野天満宮を往復 していたのです。







大将軍八神社

平安京造営の際、陰陽師によって

御所の北西にあたる天門の方向に

星神を待つる「大将軍堂」が建てられ、

方位の厄災を解除する社として創建されました。


明治時代、神仏分離令によって、暦神の八神が習合し、

以後、「大将軍八神社」と呼ばれるようになりました。








神仏分離前の名残りでしょうか。

立派な山門が立っています。








境内から山門を通して向こうを見ると、

石の鳥居が見えます。








山門の屋根には、唐獅子と








牡 丹

唐獅子牡丹というと、任侠映画が思い浮かびますが、

ここでの取り合わせには、

一体どんな意味があるのでしょうね???








本 殿








招霊ノ木(神代榊)












一条妖怪ストリート

桓武天皇が平安京を作られた頃は、

一条通は北の端。

その北側は未開の地で、妖怪がウロウロしていたそうです。








大将軍商店街がいろんなイベントを通じて

商店街の活性化を行っているそうです。












北野天満宮 一の鳥居








天神様と言えば

参詣者の方々が撫でるので、ピカピカです。


牛を愛された天神様。

ご自身も丑年だったそうです。








楼 門








三光門【重要文化財】

本殿前の中門で、

日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。

ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、

「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。








太陽の彫刻








月の彫刻


三光門と言われるのに何故星がない?

ガイドさんの説明では、平安時代、大極殿から

帝が北野天満宮に向かってお祈りをささげられる際、

三光門の上に北極星が輝いていたことから

星は刻まれていないと伝えられています。








うさぎとうさぎの間に

銀色の三日月が見えます。

星は探してみましたが、やっぱり見つかりませんでした。








社 殿 【国宝】

ご祭神菅原道真公をおまつりする本殿と拝殿

石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。








この辺りから画像が暗くなています。

帰宅してから気が付いたのですが、

カメラが撮影オートから

知らない間にマニュアルに変わっていたのです。



時々やるんです。こういう失敗(^^ゞ








社殿の素晴らしい建物を眺めながら

周りをぐるっと歩きました。








天神様と言えば、牛の他に梅・・・

梅の木も至る所に植えられています。








梅 苑

梅を愛した道真公ゆかりの梅の木50種約1500本が

約2万坪の敷地に咲き競っています。








写真があまりにも暗かったので、

こちらの方は画像処理をして、

少しだけ明度を上げてみました。








昼食は、「じねん と 食堂」でのバイキング








「じねん」とは「自然」の事

地元の農家さんが真心を込めて作った野菜と、

お客様との出会いを、じねんと食堂がお手伝いします。


とのことだそうです。

ご前11時と、ちょっと早い昼食でしたが、

素材を生かした「おばんさい」の数々を

美味しくいただきました。







今回の京都巡りを歩いた順に書いていったら

恰好長くなってしまいました。

最後まで読んで下さってありがとうございます。

2回に分けようかとも思ったのですが、

一回で収める方が、後で見やすいという

自分勝手な都合でこうなってしまいました。


次回は、4月に、二条通を歩きます。






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