2017_06
06
(Tue)10:00

千年の都「平安京」の大路小路を歩く 第3回




今日(6/6)は、中国観音巡りの4回目で

尾道まで行ってきたのですが、

予定より1時間以上早く帰れたので、

この間から書きかけていた先月の京都歩きの日記を仕上げました。

長いので2回に分けようかとも思ったのですが、

この後に、もう一つ家島へ行った日記が残っているので、

一気にUPする事にしました。






先月の20日に、京都の大路小路を歩くの第3回 に参加しました。


京の町に文明開化を告げた≪三条通≫
東海道の西の起点「三条大橋」から近代建築めぐりへ











三条大橋

徳川家康によって定められた 東海道五十三次の西の起点

東海道は、京都の三条大橋~江戸の日本橋です。







 クリック! 拡大画像 


三条大橋には

豊臣秀頼が大改修した時の銘入りの擬宝珠(ぎぼうし) があります。

2本の傷は、幕末の池田屋騒動の時、

争いがここまで流れてきて付いた 刀傷 だと言われています。








橋のたもとには、道中安全祈願として

「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さん が立っています。








「三条河原」 と呼ばれ

処刑や処刑後の晒し首が行われました。


ここで処刑・晒し首にされた著名な人物は

石川五右衛門



釜茹での刑

豊臣秀次



さらし首、その妻子側室侍女39名が処刑

石田三成



六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首

近藤勇 - 新撰組局長



晒し首









それでは、 三条通のウォーク のスタートです。








瑞泉寺 本堂

江戸初期の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が、

豊臣秀吉の甥の秀次の菩提を弔うために建立した寺院。








秀次一族が三条河原で処刑されて埋蔵された塚の石塔が、

高瀬川建設の時に発掘され、

角倉了以が、塚を修築して堂宇を建立。








秀次一族の墓

秀吉に子供が生まれたので、

邪魔になる秀次に謀反の疑いをかけて

高野山に追放し、切腹させました。

そして、秀次の遺児、正室・側室合わせて39名が

三条河原で処刑されたのです。








酢 屋

酢屋は、創業280年の材木商で、

幕末当時の6代目・酢屋嘉兵衛は、

高瀬川での水運業の実権も持っていました。


彼は、坂本龍馬の活動に理解を示し、

海援隊の京都本部が酢屋内に設けられていたのです。








家の前に、石碑が立っています。








池田屋騒動の跡

尊王攘夷派の志士が密談を行っていた時、

近藤勇が率いる新選組が、襲撃したので有名な事件現場。








高瀬川








川辺の建築・TIME’S~安藤忠雄の建築

高瀬川・三条小橋のたもとに建つ

ウォーターフロントのはしりの商業施設








三条通がアーケードのある商店街になりました。








三条通と寺町通りの交差点にあるのが 三嶋亭

明治の文明開化華やかなりし頃からの、

創業明治6年のすき焼の老舗。








もう少しアーケードの下を歩いて行くと、

文明開化を告げた近代建築が

次々と現れます。








1928ビル

建てられた年代が、そのままビルの名前になっています。

毎日新聞社の京都支局として長らく使われていましたが、

現在は竣工当初からあった3階のホールなどを活用した

市民向けの施設として使われています。


※手前の男性は、私たちのガイドさん

説明が、とても分かりやすかったです。








家邊徳時計店

1890年(明治23年)の建築で

京都に現存する民間洋風商業建築としては最古の部類に属します。








日本生命京都三条ビル

1914年(大正3年)の建築








分銅屋足袋

創業1864年の老舗足袋専門店








京都文化博物館 別館 (国の重要文化財)

日本銀行の京都支店として、日本銀行本店や東京駅など

日本を代表する明治期の近代建造物を設計した

辰野金吾とその弟子である長野宇平治の設計により

1906年(明治39年)に建築されました。


1986年(昭和61年)4月に京都府に寄贈され、

現在は京都文化博物館別館に転用され公開されています。








ホール内では展覧会や音楽会など

様々な催しを開催しています。








銀行の名残りの窓口

素晴らしい細工です。








中京郵便局

赤煉瓦が美しいこの郵便局舎は、

1902年(明治3年)に京都郵便電信局として建てられたもの。

竣工当初から現在に至る115年間、

現役の郵便局舎として使われ続けてきたという由緒ある建物なのです。








六角堂   山門








御 堂

聖徳太子創建のお寺で、

生け花発祥の地でもあります。








正式な寺号は頂法寺ですが、

御堂の形から「六角堂」「六角さん」と呼ばれ、親しまれています。








柳の枝2本を取っておみくじを結びつけると、

縁結びになると言われているそうです。

くれぐれも、1本や3本の枝に結びつけないように・・・








へそ石

旧本堂の礎石と伝えられているもの。

ほぼ京都の真ん中に位置していたことから、

そう呼ばれていのだとか。








エレベーターに乗って上から見ると

屋根が六角形なのがわかります。








町家美術館 紫織館

大正15年に240坪の敷地に建てられた

大塀建築(だいべいづくり)の京町家の代表例。


屋根の上に見える洋館は、

祇園祭りの山鉾巡業の鉾見台








中に入って見学出来ました。








和室から見たお庭








置時計








応接間のステンドグラス

和室は、数寄屋の名工によって建築され、

洋館部分も、その時代の有名な建築家の設計だそうです。








次の目的地に向かって歩いていると、

発掘調査の現場がありました。

京都は歴史があるので、

建築現場で遺跡が出てくることがよくあり、

そうなると、建設工事が中断されて、

発掘が始まるのです。

施工者にとっては、費用も時間も大幅にかかり、

とても大変なのだそうです。








旧本能寺跡の石碑








明智光秀の謀反により織田信長を自害させた事で

有名な「本能寺の変」で知られるお寺








本能寺が焼失したという事で、

ここには本能寺消防分団がありました。








空也堂(くうやどう)

平安時代、空也(くうや)が創建したといわれ

ご本尊も空也立像という事からそう呼ばれています。








屋根瓦には菊のご紋が・・・

皇室とかんけいがあるのでしょうか?







とっても暑い日で、

電光掲示板の気温が34℃

5月からこの調子だと、

この後、6月、7月の京とはどうなるのだろう?と、

ちょっぴり心配になりました。








昼食は、美濃吉 四条烏丸店

下の箱は引き出しになっています。

京都らしいお料理でした(^^♪






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コメント

Re: オデットさんへ

> あ~~~なつかしい
> この弥次喜多の所で父が座ってたな~~~
> 三条大橋が好きで、散歩もしたし・・・そうそう、刀傷最近知って
> 去年見ました。
> 池田屋なんて何年か前はパチンコ屋で悲しかった・・・
> 今年は姉達が行く予定で、私は久々に行かない事になってますが
> やっぱりちょっと行きたいなーーー
> 三嶋亭の肉!!!食べたい
> 町屋美術館行ってみたいな~~~
> どの辺なんでしょう
> 子供の頃はキライだった京都
> すっかり変わりました~~年とったんだな~~~

オデットさんの場合、京都というと
やはりご両親との思い出がいっぱい残っている所なんですよね。

今年は、オデットさんは来られないのですか?
お母さまやお姉さま達との水入らずのご旅行も楽しいのでは???


2017/06/08 (Thu) 14:51 | ☆Rilla☆ | 編集 | 返信

あ~~~なつかしい
この弥次喜多の所で父が座ってたな~~~
三条大橋が好きで、散歩もしたし・・・そうそう、刀傷最近知って
去年見ました。
池田屋なんて何年か前はパチンコ屋で悲しかった・・・
今年は姉達が行く予定で、私は久々に行かない事になってますが
やっぱりちょっと行きたいなーーー
三嶋亭の肉!!!食べたい
町屋美術館行ってみたいな~~~
どの辺なんでしょう
子供の頃はキライだった京都
すっかり変わりました~~年とったんだな~~~

2017/06/07 (Wed) 00:20 | odetto | 編集 | 返信

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