2017_07
15
(Sat)17:00

<20番~22番> 中国33観音巡りの旅 第5回ー1




今月の11~12日にかけて、

一泊二日で中国33観音巡りの第5回目の旅行に行ってきました。

今回は、初めに島根県の1ヶ寺。

翌日は、山口県萩市の2ヶ寺をお参りしました。



2日に分けて日記を書こうかとも思ったのですが、

記録の為に、3ヶ寺纏めて載せたいと思います。










第22番札所 亀甲山 多陀寺(きっこうざん ただじ)
・・・島根県浜田市・・・

<本尊 十一面観世音菩薩>


多陀寺(ただじ)とは珍しい寺号ですが、

「多陀」の意味は、古代インドのサンスクリット語(梵語)にある、

「tathagata」(タターガタ)の漢音写で、

完全に覚りきられた仏である『如来』を意味します。  
 
全国にお寺はたくさんありますが、多陀寺と言うお寺は唯一当山だけ。


<↑多陀寺のHP より>








仁王門(山門)


横に大きな木がありますが・・・








天然記念物の大楠木(樹齢1000年)








本 堂 



多陀寺開山の流世上人は、

弘法大師と相弟子で、一緒に唐に留学僧として渡り、

恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より密法の直伝を受けました。

弘法大師より2年早く帰国(806年)、

諸国を行脚したそうです。

そして、この地でめでたいことが起きる前兆として

不思議な現象に出くわしたので、

唐より持帰った金色観音像を安置したのが始まりと伝えられています。








本堂 屋根の石州瓦が美しいです♪







木造天部像群 [流木仏] 59体(県重要文化財)








摩尼車(まにぐるま)

1回回すと、お経を1巻唱えた事になるそうです。








良縁子宝椿観音

普通は蓮の花を持っているのですが、

この観音様は椿の花を持って

良縁・子宝成就を祈念すると言われています。








水子地蔵








鐘楼堂








四国霊場 お砂踏み場








弘法大師像の周りを取り囲んでいます。

左の赤い鳥居群は、稲荷堂への参道








紫陽花の花は、時期的にレトロな雰囲気









第20番札所 霊椿山 大照院(れいちんざん だいしょういん)
・・・山口県萩市・・・

<本尊 聖観世音菩薩 釈迦牟尼如来>




鐘楼門(重要文化財)

8世紀末 ~9世紀初めに、月輪山観音寺という前身寺院があったそうですが、

鎌倉時代末期に建長寺の義翁和尚が大椿山歓喜寺と改め、

臨済宗の寺院としました。








その後荒廃していましたが、

萩藩2代藩主毛利綱広が、

亡父の初代藩主秀就の菩提寺とするために再建。

その時、秀就の法号にちなんで霊椿山大照院と改めたそうです。








池泉庭園

池の中一面の水草はコウボネ


運悪く、本堂の建て替え工事がされていたので、

境内の殆どの所は立ち入り禁止。

お参りも仮本堂でしました。








コウボネの花

一輪だけ咲いていました♪








お寺の奥にある毛利家墓所

こちらには、2代から12代藩主とその妻の

偶数代の藩主夫妻のお墓があります。


ちなみに、奇数代の藩主のお墓は、

萩市内の東光寺にあり、

輝元のお墓は、萩市の天樹院跡にあるそうです。








そして、重臣やゆかりの深い人々が献上した

603基の灯篭が並んでいます。






 クリック! 拡大画像 








何代目藩主のお墓なのかは

ちょっと忘れました(^^ゞ








細い川を隔てて、萩初代藩主 秀就の墓所








昔、毛利元就の時代には、

長門、周防、石見、安芸、備後、備中、出雲、伯耆、因幡、隠岐の

10ヶ国を制していましたが、

輝元が関ヶ原の戦いで豊臣氏に見方をしたので、

長門、周防の2ヶ国に押し込められ、

石高も120万石から36万9千国へと減らされました。

お城も、広島から萩へと移されたのです。


以後萩は、明治維新前までの約260年間、

13代の藩主が治めることとなります。

また、幕末・明治維新期に、多くの人材が傑出した街として、

今や日本有数の観光地の一つになっているのです。










第21番札所 潮音山 観音院(ちょうおんざん かんのんいん)
・・・山口県萩市・・・

<本尊 聖観音菩薩(観音堂) 釈迦牟尼如来>





石段の上には鐘楼門

観音院は、古くから「玉江観音」と呼ばれ、

海の守り観音として崇められてきました。


もとは、大内氏の念持仏でしたが、

戦いに破れ、九州に逃げていく時、

海が荒れたので、海上の安全を祈って海に沈めました。

そうすると、今まで荒れていた海が

凪いできたのだそうです。








石段の脇には、立派なカイズカイブキの木


後に漁夫の網にかかり姿を表した観音様は

長年海に浸かっていたとは思えない端正なお姿でした。


そのお姿に魅せられた藩主輝元が、

萩指月城構築に際し、

高台の観音院に奉納して構築の成功を祈ったのだそうです。


又、民衆にも境内を解放していたので、

多くの幕末藩士が境内で激論を交わしたとも伝えられています。








観音堂

老朽化の為、解体修理が行われ、

数年前に落慶法要が営まれたそうです。








観音院の中の写真撮影は、

若住職さんにブログ掲載を含めて

了承して頂きました。








臨済宗建仁寺派(禅宗)なので、

建仁寺から、こんなお祝いの書状が届きました。








修理費は、約1億円 (国・市・寺が各1/3負担)

お寺の負担金は、地元住民や檀家等からの寄附が充てられました。








観音堂から見える指月(しづき)山 萩城跡

ここで、お城の構築の安全を見守られていたのですね。












1日目の17:20頃、宿泊所に到着!






大浴場(←クリック!)

いろいろな浴槽が楽しめる大浴場と、








美味しいお料理に舌鼓を打った後、

もう一度温泉に入って床に就きました。



次回は、2日目に行ったおまけの観光、

松陰神社 松下村塾と防府天満宮のお話です。



***** つづく *****









萩温泉郷 源泉の宿・萩本陣







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