教科書でもう1度学ぶ日本史 室町時代 北山文化と東山文化
台風19号が九州に上陸。
日本列島を縦断するような気配です。
ホントは、今日は地元の文化協会の主催で、
倉敷と旧閑谷学校へ行く予定でした。
当たり前のことですが、中止になったので、
ブログをする時間が出来ました。
外は、激しい雨が降っています。
被害が無いようにと祈るばかりです。
では、10月7日に行って来た日本史シリーズの第10回目です。

金閣 鹿苑寺
・・・ 京都市北区金閣寺町 ・・・・
正式名称を 鹿苑寺 といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と呼ばれています。
鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を
室町幕府三代将軍の足利義満 が譲り受け、
山荘北山殿を造ったのが始まりとされています。

舎利殿「金閣」
一層は、寝殿造で放水院(ほっすいいん)、二層は武家造で潮音洞、
三層は中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれています。
三島由紀夫や水上勉の小説で知られるように、
現在の金閣は昭和25年の火災で焼失したものを再建したものです。

陸舟の松 (樹齢 約600年)
京都三松の一つで、船の形をしています。
これは五葉松で、義満が盆栽を自ら移植され、
帆掛け船の形に仕立てられたものとされており、
舳先は西の方角を向いています。
この船に乗って西方浄土に向かうという発想からとの事です。

銀河泉
義満公が使用されたお茶の水です。

龍門の滝と鯉魚石

夕佳亭
数寄屋造りのお茶席で、
夕日に映える金閣が殊に佳いという事で、
この名が付きました。

大徳寺
・・・ 京都市北区紫野大徳寺町 ・・・

勅使門(重要文化財)
三門前にあって、前後唐破風、左右切妻、屋根桧皮葺の四脚門。
後水尾天皇より拝領したと伝えられています。

三 門(重要文化財)
2階部分に千利休の像が安置されていて
それが秀吉の逆鱗に触れ、
千利休が切腹に追いやられたと伝えられています。
昨日のNHKの「軍師官兵衛」にも、
その事がチラッと出ていましたよね。

仏 殿(重要文化財)
応仁の乱にて消失後、一休和尚等によって再建されましたが、
寛文5年(1665)、那波常有によって改めて建造。

法堂(重要文化財)
写真は写せませんでしたが、
天井の龍は、狩野探幽35歳の筆。

大徳寺の塔頭のひとつである 大仙院 へ

初期の枯山水の庭があるので、
枯山水の入門としてお勉強できます。

一旦建物の中に入ると、
例え外の景色でも撮影禁止。
枯山水のお庭に興味のある方は、 こちらのページ で、見られます。

大仙院の方丈は、室町時代のもので、
わが国最古の方丈建築として、国宝に指定されています。

銀閣寺 東山慈照寺
・・・ 京都市左京区銀閣寺町 ・・・
銀閣寺は金閣寺とともに相国寺の塔頭寺院で、
相国寺は室町幕府三代将軍 足利義満により創建され、
金閣寺もほぼ時を同じくして義満により創建されました。
そして銀閣寺は、後年、八代将軍である足利義政により創建されています。

観音殿(銀閣)と錦鏡池(きんきょうち)

銀紗灘(ぎんしゃだん)と、
右端に見えるのが 向月台

洗月泉
錦鏡池に落ちる滝で、
山部山畔から流れ落ちる水を銀閣・東求堂のある下段の庭へ導きます。

東 求 堂
観音殿(銀閣)とともに、
東山殿造営当時の遺構として現存するのが東求堂(国宝)です。
東求堂は本来は阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。
浄土信仰の象徴として東求堂を建て、
禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、
義政公の精神世界を垣間見ることができます。

池の向うの山道を上りながら散策。

台風18号が去った後の気持ちの良いお天気。
木漏れ日の下を歩いていきました。

お茶の井
足利義政が茶湯に使ったと言われています。

高い所から見た 銀紗灘

観音殿(銀閣)を上から見たところ。

このアングルは、旅行雑誌などでよく見かけますよね^^

久しぶりにお食事の写真です。

創作料理とお寿司 希味(のぞみ)
ビルとビルに挟まれた京都の町屋造りを利用したお店で、
なんと、看板がありません。

お寿司盛り合わせ

カレー鍋

赤だし
最後に抹茶ピリンが出てきたのですが、
残念ながら画像はありません(^^ゞ
お寿司もカレー鍋も抹茶プリンも、
みんなみんなとっても美味しかったですよ(^^)v
赤だしは、なくても良かったかも・・・(苦笑)
お店のhpを覗いてみましたら、
お手軽ランチで1051円(税込)
その割には、何度も書きますが、美味しかったです^^

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